きょうは12月7日、地下鉄東西線の開業翌日、きのうはたくさんの乗降客で賑わいましたが、きょうはどうだったのでしょうか?他人事ながら心配ではあります。
きょうは本当に慌ただしい一日で、毎日何とかして行っている広瀬川分流にも行く時間がありませんでした。 だからいつもの見慣れた風景の写真はありません。
朝は寒い中定期立哨、しかし肝心の子どもたちの姿が見えませんでした。それもそのはず、きょうは振替休日だったのです。 子どもたちの元気な賑やかな声が聞こえず、活発な動作が見られないのは寂しい限りです。
冷え切ったからだが温まる暇もなく、午前中二つの会議や打ち合わせが入っていまして、午後一番はサークルの活動、それできょうの一日は終わるはずだったのですが、二つ目の会議の時に電話が入り、サークルの仲間が急逝したというのです。
わたしと同じ年齢です。9月にも小中と一緒だった同窓生が亡くなりましたし、またしても同学年の死亡です。 まだまだ70歳前です。 でもガンには勝てませんでした。
午後5時からの通夜に出て、その後仲間と故人を偲んで飲んできました。 そんなこともあってきょうのブログはきのう撮った写真で書いて行こうと思っています。よろしく。
この3枚は、澱橋の乱流によって深い穴が掘られた橋脚の補修工事後の写真です。
一応は砂で穴は埋められてはいますが、上を歩いてみるとかなり柔らかくて、乾燥すればかなり沈むことでしょう。
水中のこういう深いところも何とかして欲しいものですが、聞いてもらえません牛越橋のようにすれば、橋脚の周囲が掘られるようなことはないと思うのですが、・・・。
上下の写真を見て何か思い出しませんか? そうです、あの ヒロッシー です。 ヒロッシーについては、このブログで「ヒロッシー」として「このブログ内で」として検索してもらえれば数件出てきます。
下の写真のような円筒形の鉄の中に張られていた硬化プラスティックが正体でした。
そして、こういうものも。
まるで20センチ榴弾砲みたいではないですか! 70年以上前の旧日本軍はこういう偽装高射砲や大砲を造っていたのです。
またきのうは分流の向かいの大木で鳴いているトンビの接写とまではいきませんが、近くで撮ることができました。
以下のヒロッシーではない、プロントザウルスの藁の造形作品は卸町の公園にありました。地下鉄東西線で国際センター駅から卸町駅まで乗って行ってきました。
公園の中には池もあり、沼から姿を見せているネッシーをイメージして、胸から上と尻尾の先だけを作ったのでしょうか。考えています。
後ろからの姿です。
下の写真は、荒井駅前に展示されているマンモスの骨組みの写真です。この上に藁を縛っていって完成させたものです。 この骨組みはプロの大工さんには依頼せず、近くの演劇工房の大道具担当者に作ってもらったそうです。
大工さんでは頑丈に作られてしまうので、あえて演劇の大道具さんにお願いしたと、この公園にいた関係者は言っていました。