鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

元気ですね、一家は

2015-12-26 21:50:13 | 広瀬川

 日中はよかったのですが、夕方位から雨降りとなりました。 これがあした辺りから冷え込みが厳しくなって、凍ったりしなければいいのですが。 あしたから火曜日にかけて冬らしい気温になるようですので、雪が降るか、降った雨が凍るか、どうなるのでしょうか。

   (写真は午前11時過ぎの撮影です)

 

                      

       

 河原の緑地帯ではきょうも大学生と高校生のサークル(クラブ)の人たちが元気に動いていました。 見ていると本当に若い(苦しいという字に似ているのですが、歌の文句です)って素晴らしいことだなあ~と思ってしまいます。

         

 広瀬川の分流でもいい光景が見られました。 総勢7羽のカモの一家です。 早目にこちらが気がつき、飛び去ることのないように十分注意しながら写真を撮りました。 少し離れたり近付いたりしながら緊張感をもって撮りました。

 そうはいってもそれはあくまでもニンゲン側の論理であって、カモにとっては緊張感を抱かせ、静寂さを破るものに他なりません。 全体の動きを見ていると悩み迷っていることがうかがわれます。

 

  下流に下るか?、逆に上流側へ行くか?

            

 そうこうするうちに大人のカモたちでしょうか、上流側へ向かいました。 もしかしてこれは、ニンゲンの注意をこちら側(大人のカモ)に向けさせようとする作戦かもしれません。

 

          水は透明できれいです。

               

 子どもたち(と思います)はもう親達にはついていけないと判断したのか、下流側へゆっくりと移動し始めました。

  

 でも1羽は動きません。

                      

 下の写真は先に上流側へ向かった親たちのカモです。

 

 そして子どもたちも親のあとをついて行き始めました。

                 

 そういう動きがあって、1羽も飛び立つことなく、カモとニンゲンは上流と下流にすれ違って、それぞれのその後の動きへとつながっていきました。

   

 

 昨夜はテレビで、沢田研二主演の映画「太陽を盗んだ男」を見ました。20年以上は前の映画ですよね。学校では全く冴えない物理の先生である沢田研二がウラン(プルトニューム)を盗み出し、自宅で原爆を製造し、国家権力と対峙しつつ滅亡していくという物語ですが、菅原文太演じる刑事とのやりとり、攻防が見せ場の一つとなっています。

 原爆という一瞬にして何十万人を殺害できる兵器を手にするということは、それだけで国家権力と対等に、またはそれ以上にやり取りができるというところに、原爆というものの恐さ、恐ろしさが現れています。

 同年代の者としてつねに声援、支援している沢田研二の演技力も大したものです。

 

 大したものだということで言えば、きょうみた映画「母と暮らせば」の二宮和成の演技も一段と進歩しています。 「硫黄島からの手紙」のときの二宮和成は、まあそんなところかなと思いつつも、なかなかいい感じと思っていたのですが、きょうの母親役の吉永小百合との親子の演技では、なかなかどうしていい演技をしていたのじゃないでしょうか。

 産婆さんの母親と医学生の息子、そして黒木華演じる婚約者(その後小学校の先生)の3人を中心とした生活を、昭和20年8月9日午前11時2分、原爆が一瞬にして破壊してしまった。

 まだ映画は上映されていますので詳しいことは省略しますが、原爆によって、深い情愛によって結ばれていた人たちが、偶然にも助かった人と一瞬にして亡くなってしまった人に分かれてしまうという理不尽さ。

 生き残った人は、亡くなった人との関係をどうすれば乗り越えられるのか、生き残ってしまったという負い目から自由になるにはどうしたらいいのか、そもそも自由になれるのか、いつになったら許されるのか。

 そして亡くなった人は生き残った人に対してどのような感情をもっているのか、妬ましい感情からいつになったら自由になれるのか、そして天国(極楽)へ行けるのか、いろいろ考えさせられる映画でしたが、とっても感動的な映画で心が洗われた感じがし、あらためて戦争の理不尽さを痛感しました。


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