(草に巻きついて横に咲いて見せています。天晴!)
きょう午後から小学校の児童の下校時刻に合わせて、見守り声掛け活動がありましたが、さすがというかどこにそんなエネルギーがあるのかと感心させられます。
(午前8時前ですが、もう除草作業ははじまっていました。)
授業が終わったという解放感もあるのでしょうが、子どもたちは元気によく走ります。何も走らなくてもいいのにと老人は思うのですが、多分走らざるを得ないのでしょうね。内面からつき動かすチカラが湧いてくるのでしょうか。
危ないから走らなくてもとこちらは思ってもかなりの割合で走りますね。低学年に多いのですが。でも元気な子どもたちの姿を見ているのは嬉しいし気持ちも明るく楽しくなります。
そして私が嬉しく思ったことの理由としてはもうひとつ、空には雲があるのですがそれでも明るく少々蒸し暑くさえ感じたということです。あしたもこうであってほしいな、そしたら最後となるかもしれない広瀬川の鮎釣りができるかもしれないと思ったからです。
釣れる釣れないはもう関係ありません。とにかく雨が降らない川に入って広瀬川のアユたちに最後の挑戦をしてみたいということです。最後の勝負を挑みたいと思っています。そして観念するという段取りですが、・・・・・。
最後最後と言ってはいますが、諦めの悪い釣り師の言葉です、どうなるか分かりません。(こんなことを言うこと自体自分でも嫌になります。)
挑戦と言えば、「半分、青い。」です。いよいよ最終章に入り、鈴夢と律がそよ風の扇風機を作るために会社を共同経営して、アラフォーにして互いにバツイチ同士一緒になるかもしれないという期待を抱かせます。
(河原バッタの背中が見えます。)
こちらは毎日じれったい思いをして毎朝見ているわけですが、それがいいのでしょうかね。2人が一緒になって、そよ風扇風機を完成して THE END でも文句は言いません。生まれも時間も一緒だったのに、その後は大きな回り道をしてしまいましたが、また一緒に結ばれるのであれば HAPPY END で結構です。
きのうは久しぶりにカラスの写真をアップしましたが、今河原は除草中で、草の実なんかが落ちているのでしょうか、それらを拾って食べているかのようです。カラスの落穂ひろいです。で、そのカラスですが、先月新聞の書評欄に「カラス学のすすめ」(杉田 昭栄著)という本がありました。
いろいろ面白いことが分かりました。カラスは嗅覚ではなく、紫外線の反射具合によって半透明ごみ袋の中の生ごみを探し当てているのだそうです。だからゴミ袋が黒かった時代は、これほどの被害はなかったのだそうです。
分別マナーを守らない人間がふえてゴミ袋が半透明になったということで、人間にも非があったと言わざるを得ないようです。何のことはない、ニンゲンの愚かさがカラスに生ごみあさりの口実を与えてしまったようです。
また、日本を含めアジアでカラスの肉は食べられてきたが、カラスの肉はタウリンが多く含まれる健康食材なのだそうです。単に獣害だから殺処分するだけというのでは余りに人間として情けない話しのようです。 (ブラックバス等何とかも釣ったら食べるということにできないものでしょうか。ただあまりにも汚い所に住んでいるからなあ~)
9月8日の朝日新聞ですが、オピニオン&フォーラムの欄に「安倍政権の製造責任」者、当時の民主党政権の首相「野田佳彦」 の長いインタビューが掲載されました。大変興味を持って読ませていただきました。
浅はかな野田が、狡猾な安倍との党首討論で安倍の術中にはまって(主張に応じて)衆議院を解散したことが今のすべての悪夢の始まりでした。日本を悪くしてしまいました。その意味でその責任はあまりに重い、重すぎるくらい重いのです。
「テレビ中継のある党首討論で解散を明言したわけですから、当然のことながら守ってもらえるという前提に立っていました。」 (消費税を引き上げるとうことと国会議員の定数削減という約束のこと) 詰めが甘かったということでしょうね。
その最大の戦犯(といってもいいくらいでしょう。もう取り返しが効かないのですから)である野田が今の安倍政権を「かってないほど議会制民主主義がないがしろにされた」とか「答弁の不誠実さ」を嘆いてどうするというのでしょう。そんなレベルですか。
また、安倍個人については「いろんな意味でとんがっています。発言で人を切り捨てますし、穏やかさが感じられません。だから逆に保守、保守と叫ぶのでしょう。」なんて言っています。
そして当時の民主党の政策については「(安倍政権が政策をかぶせていたりするので)方向性としては正しかった。道半ばに終わったということだと思います。」と総括しています。さらに、「チームワークに問題があった。自民党は政権を維持するため、何があっても、最後はまとまるという知恵がある。我々にはそれがなかった。」と。
そして現在は、「3党合意はないがしろにされ、二大政党制は崩れていく。『このまま政界から身を引くわけにはいかない、死んでも死にきれない』と思い直したんです。」ということです。本当に死んでも死にきれないと思うのであれば、議事堂の中で悶々するのであれば、全国行脚して辻説法でもしたらどうかといいたいですね。
「折々のことば」毎日楽しみにして読んでいますが、この頃まますます冴えてきてるような気がします。 9月6日は雑草学者の、稲垣栄洋さんの言葉を紹介しています。
「足並みそろうと全滅しちゃうので。」
植物は開花の時期をずらしたり、背丈を違えたり、つねに多様性を広げようとするそうです。つまりは環境のどんな変化にも対応できるように用意しておくということです。 そこから人はついばらつきを嫌い、標準化を図るが、生き延びる工夫は植物の方が上らしいと言います。
意味深長なことばじゃないですか。大政翼賛会もそうですし、今の安倍一強独裁体制もそうではないですか。次に待っているのは”全滅”ですか。