鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

三島由紀夫VS東大全共闘

2020-04-12 14:29:27 | 思いつくまま

 

いやあきょうもいい天気です。きょうは日曜日ということで、我が家は朝はゆっくりなのですが、私は6時20頃に起きだして、お湯を沸かしたり、テーブルを拭いたり等々毎朝決まっていることをやってから、いつもより早く、7時台に川への散歩に行きました。

 

新聞を取りに行った時の太陽の眩しさがそうさせました。まあ世の中のみなさんの朝は早いようです。ひとりまたは夫婦で散歩をしたり、犬の散歩をさせていたり、軽くジョギングをしていたり、歩いていたり、いろいろなのですが、朝内冊をしてみようかなとは思うのですが、何かそれを受け入れてくれそうもないので声掛けはしていません。

 

それが何かさみしいですね。折角爽やかな朝に誘われて河原に来ているのですから、いくらコロナの世の中とはいえ”お早うございます”くらいのあいさつはあってもいいのではないかと思うのですが・・・。それさえも ”3蜜” だからと無意識のうちに拒否しているのでしょうかねえ。

 

3蜜といえば、”江草乗”さんは面白いことを言っています。他の人の言ったことを紹介して、自分も使っているということなのですが、それが面白い、よく考えられているとも言えますのでついでに紹介します(させてもらいます)。

 

大いなる皮肉も込められています。新型コロナの発生源が中国の武漢市だということで、中国のトップ習近平をもじって集団・近接・閉鎖空間の3つの頭文字をとって 集近閉 ということです。密閉・密集・密接の3蜜から、集団を避ける・近接を避ける・閉鎖空間を避ける 集近閉 です。

 

 

 それはそうと、みなさんはもうすでにご覧になりましたか? 「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」です。この前観てきました。館内は私を入れて3人だけでした。何とも贅沢な空間でした。 

 

おかげさまで思う存分周りを気にしないで、50年前にタイムスリップして見ていることができました。浸ることができました。が、内心は、内面はすっきりさっぱりというわけにはいきませんでした。確かに50年前に東大安田講堂の攻防戦のあと、こういう公開討論会が開催されました。

 

でも、東大全共闘運動に関しては個人的ですが、私の周りの人たちが自分から参入したり、意に反して巻き込まれたりしてその後の人生が大きく変わっています。そういうことがどうしてもついてまわるものですので、複雑な心境にならざるをえません。

 

映画のコピーでは、「稀代のスーパースター三島由紀夫と反逆のエリート東大全共闘のスリリングな直接対決 伝説の討論会の全貌を明かす衝撃のドキュメンタリー」と銘打っています。三島はこの1年半年後に市ヶ谷の自衛隊の建物のなかで自決しています。

いろいろ考えたりはしているのですが、この映画をどう総括するかとか、今問われていることは何か、とか、そんなカッコいいことなんか書けません。ただ、ああそういうことがあったなあ、あの討論会ではこういうことが話し合われたのか、こういう雰囲気だったのかということを改めて知り、死ぬまで記憶していこうかな、いくべきだろうなとか、そういうことしか言えません。

ただ私でも言えることは、三島由紀夫ひとりで乗り込んできて(一番前には楯の会の人も居たようです)、本当に真摯に向き合い、学生の言うことに耳を傾け、ひとつひとつ丁寧に答えていたのです、けっして居丈高になることはなく、学生を見下すこともなく、なんかいわば”同士”みたいな関係で話し合いが行われていたのは凄いことだなと。

言葉の力というものを本当に信じている人だったんだなと改めて思いました。 「私は暴力を否定したことは一度もない」 「君たちの熱情だけは信じる」 「一言天皇と言えば共闘したかも」(これは昔から聞いて知っていました。)

それにしても壇上の人たちの、三島も入れて、タバコには辟易してしまった。まあ水分もとらなかったようだし、気持ちを落ち着けるためにもたばこは必要だったのでしょうが、たばこを全く吸わない、吸ったこともないものから見るとなんとかならないかと叫びたくなります。

ましてや東大全共闘側の理論的支柱の芥 正彦は赤ん坊を抱っこしながら、三島の話しを聞き、相互に議論し合っていたり、たばこを吸いながら抱っこしているのですから、いくら50年前と今ではたばこの対する考えが違うといっても、なんとかならなかったものか。

でも見方によっては、あの可愛い赤ん坊が居たことによって激高することなく議論ができたといえるかもしれません。話し合いの貴重な触媒となっていました。そして感じたことは学生側の主張はかなり観念的な感じがしました。三島はあくまでも自分に即して言葉を選び、話しかけていたと感じました。

誰かが、平野啓一郎かな、言っていましたが、認識と行動について言っていましたが、三島は行動に重きを置き実践していったのに対し、他の知識人たちはいつまでも認識に拘っていたために行動することができなかった、とか。

 

最後に、私の尊敬する思想家 内田樹さんの言葉です。3月9日の「内田樹の研究室」からです。

 「彼は近い将来に楯の会によるクーデターを計画していた。・・・・。三島はそのクーデターに加わる同志を『リクルート』するために東大乗りり込んできたのである。・・・・。だから、この時の三島の目標は『この人となら一緒に死んでもいい』という欲望を学生たちの間にかき立てることだった。千人の『敵』の前に、鷹揚として、笑顔を絶やさず、胆力とユーモアと、深い包容力を持つ政治的カリスマとして登場すること、それが三島の駒場での一世一代のミッションだった。」

          水量は少ないけれど、ゆく河の流れは絶えずして・・・・・

 


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