(どっちが頭だか?)
今ラジオで言っていました。仙台でまた新型コロナウイルスの感染者が4人見つかったと。HUBという店にいたようです。これで仙台では何人になるのでしょうか、11人かな。なんかじわじわと締め付けられているようで、嫌な気分です。
smnニュースではアメリカの新型ウイルスによる死者は、社会的隔離を行っても、10万から20万人と予想されるとコロナウイルス対策調整官が言っているとのこと。驚くべき多い数字ですね。イタリアの事例を参考にして推計したとか。
3月31日現在で、全世界の感染者は85万人で、そのうち18万人以上をアメリカが占め、過去24時間以内に800人以上が死亡しているとか。 イタリア、スペイン、アメリカの今後の動向はどうなるのか、全く予断を許しませんが、いったい我々はどうしていけばいいのかまじめに考えると途方に暮れますね。
暗くなるから、だから考えたくない、嫌なことは考えたくないと現実逃避するのが日本人の思考の特性?みたいだとか。そして行きつくところは、だれも責任を問われないで済むために破局的な状況を迎えることだ、と。端的なのが先のアジア太平洋戦争の陸海軍の統帥部の考えのようですが。
外も薄暗く、しかも予報通り小雨が降りだしています。何かまるで梅雨に入った感じです。気が滅入ってしまいます。ラジオだけが頼りだなあ~。でも今広瀬川の水量が少ないので、雨降りは歓迎です。
天気はよろしくないですが、気温は高目での推移となっています。最低気温が9.1度なのですから。最高は10時19分に記録した14.4度のようです。
過去1週間の最低気温の推移です。26日からきょう1日まで。3.8度、5.2度、11.4度、1.5度、0.1度、2.6度、9.1度となっています。最低気温は最高気温よりも乱高下しています。株価もどうなるのか?円安・株高なんか、高根の花でしょう、今となっては。
風はないですが、風というと29日に加藤登紀子さんが面白いことを書いていました。私も先に風に関する疑問を恥を承知の上で書かせていただきましたが、こういう見方、感じ方があるのかとさすがだなと感じ入った次第です。
『風はなぜ吹くのだろう。きっと、世の中のモヤモヤを、吹き流してくれるため。』という兵庫県の人の作品?を紹介しながらこう続けます。「そう、きっとそうでしょう。『風は言葉だ』と思うことがあります。自分と向き合い、自分を空っぽにし、新しい自分になるための・・・。」
風の”幅”とか、風の”厚さ”とかを気にしている私と比べると、ぐっと詩的で、情緒があり、きれいです。即物的なことと人間の奥深い内面の反映の違いですか。 でも私はやはりそれはそれとして、自然の風の幅とか厚みとかを知りたいです。