鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

あの日から11年6か月

2022-09-11 14:15:40 | 思いつくまま

  

きょうも予報通りいい天気です。きのうより暑くはなく過ごしやすい一日ですね。きのうから始まった定禅寺通り須ストリートジャズフェスティバルもこの分では天気に恵まれたかたちで終われそうです。

  

よかったですね。いくら規模を縮小しての実施とはいっても、丸2年間はできなかったわけで、スタッフの人たちはさぞかし喜んでいることでしょう。苦労も報われたといっていいのではないでしょうか。

  

いつもですと、実施規模が小さいとはいえ、風の向きによってはよくジャズの音楽が聞こえてきたものです。おっやってるな!と内心で叫んで別のことをやっているものでした。風というものはそこはかとなく音を運んでくる分には最高ですね。

  

とくに、我が家は広瀬川が近いので川風が結構吹いてきます。夏であればセミの鳴き声や鳥のさえずりも果然が運んできたりしたものです。

  

ということで、きょう正午の観天望気です。 天気:曇り、雲量:9割以上、気温:26.7度、湿度:58%、風速:3m/s,不快指数:74 となっています。

              

 

きょうは9月11日です。きのう10日は中秋の名月ということでした。きょうは十六夜の月ということですか。我が家でもささやかではありますが、中秋の名月を祝い?ました。ですが、愚かにも肝心のお月様を仰ぎ見ることはなかったです。

   

この2枚の違いは何でしょうか?お分かりですね。団子です。今年は果物がちょっと豪華だったかも。

        

 

11日ということはあの日から11年と6か月になるということです。先月のことで恐縮ですが、ある団体で仙台市の東日本大震災遺構荒浜小学校へ行く機会がありました。当日は小雨模様で傘が荷物となってしまいました。

                

    

    

この横断幕の日付が2016年3月31日となっていますが、なぜだかお分かりでしょうか。分かりませんよね。明治6年に開校した荒浜小学校は廃校?となり、4キロ離れている七郷小学校と統合されたからです。142年の歴史に幕が引かれました。存続していれば今年で150年となるはずでした。

いろんな色のハートのマークがいっぱいあることは知っていましたが、そのハートの一つひとつに児童等の感謝の言葉が書かれていることは8月まで知りませんでした。2,3回は訪れているはずなのに、ひとりで訪問していたからかな。

先月は語り部(5人いて、お互いに「震友」と呼んでいるとか)の人とともに校舎を回り、話を聞きました。それで知りました、ハートには感謝のことば等が書かれていることを。例えば;

             

 

2011年3月11日当日の在籍児童数は91名、出席(登校)者は88名でした。学校としては日頃から防災訓練として、校庭と校舎に逃げる訓練を行ってきました。

震災当日は校長も教頭もいました。(大川小学校は校長は不在でした) 体育館はおしゃれな建物でしたが、体育館には避難しなかった。震災当日、最初は校庭に避難しましたが、より高いところがいいと校舎に避難しました。

 (体育館の惨状)

         

校舎に逃げても、それでも徐々に高い階の教室へ移動しました。体育館にあった災害備蓄をすべて校舎3階に運び込みました。この地区の正式な避難場所である七郷小学校は4キロも離れているので、荒浜小は一時避難場所ではあっても災害備蓄を充実させておきました。

素晴らしいのは、高い階の教室をそれぞれの町内会別に割り振っておいたので、スムーズに各地区の避難場所の設定創設ができたことですね。

そして、前年の11月に避難所運営シミュレーションによる実態に即した訓練を実施していました。

以上のようなことを日頃から訓練しておいたのでいざというときに威力を発揮したということです。地域の小学校、地域に可愛がれれる小学校ということだったのでしょうね。

 

              

これが震災前の荒浜地区です。神戸大学の学生たちが作ってくれたとか。素晴らしいです。

 

           

 (荒浜小学校) 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする