鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

再会!

2015-12-16 16:17:23 | 広瀬川

 きょうも曇りがちの天気でしたが、それだからでしょうか、気温は仙台で14度まで上がったそうです。 ただ、あしたからは冬らしい天気となりそうです。 寒暖を繰り返すから体がついていくのが大変となります。

 

 きょうも午前中乳幼児と戯れてきました。 楽しかったですね。 お互いにジーと顔を見つめ合ったあとに、にこっと笑って生えはじめた小さな歯を見せてくれると何とも嬉しいものです。

 写真はその帰り道に撮ったもので、時間は12時20分頃でしょうか。

    

                    

    

  

 

 帰り道に川へ寄ったもので、川そばを歩くのはいつもとは逆の流れとなります。 それがきょうは功を奏したというのか、よかったのでしょうか!!??

 

 いつも最初に広瀬川分流そばで定点撮影しているところに下流から近付いたころに、左岸側にまたしても波紋が見えました。 きょうはお昼頃ということでカモ等の鳥は分流には居ませんでした。

 

 そうです、ということは川面に広がった波紋は魚です、サケしか考えられません、こんなに大きい波紋は。

 

 居ました。 居てくれました。 顔?を見せてくれました。 13日に2匹のサケの姿を目撃したものの、その後二日間はまったく見ることができませんでした。 だから正直もう諦めていました。 そしたら、やはり居たのです。嬉しかったですね。 でも1匹だけでした。

 

 わたしが近くに来た時に”波紋”を起してくれて、自分の存在を知らせてくれました。ありがたいことです。 もしかしてサケとニンゲンの以心伝心?かなと思ったりして、バカですねえ。 でもいいタイミングなのです。

 

 しかもその後サケは4,5メートルの周囲しか動かず、写真を撮らせてくれました。 死期の近い自分の写真を撮ってくれと言わんばかりの動きでした。

 右岸側に動いてからは、尻尾を振って波紋を出してくれたり、背びれをチラッと見せてくれたり”サービス”精神も見せてくれました。

                   

    

         

                

 あしたも見られますように!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月と言えば、

2015-12-15 15:40:27 | お知らせ

 きょうは朝の冷え込みも厳しくなくて助かりました。 

               (午前10時過ぎ)

 

 今年最後の定期立哨だったからです。 最高気温も仙台で13.3度とかで、平年よりも5度くらい高いようです。 前回は休校日にあたっていて、子どもたちには会えませんでしたが、きょうはたくさんの子どもたちと会えて元気をもらいました。

   (午後2時過ぎの撮影) 

   

      

 何しろ坂の数十メートル前から走ってくる子もいるのですから、そのエネルギーにはただただ感心するばかりです。 学校は24日から冬休みに入りますが、実質的には23日の天皇誕生日から休みとなります。 半袖姿の子も元気です。

 

 この広瀬川分流にいたのはサケではなく(サケの姿はどうしても見えません)、オシドリでした。 でもすぐに飛び立っていきました。

         

  

 

 「12月と言えば、」と言えば何を思い出しましたか? 

 いまベートーベンの第九を聴きながら思いつくことを書いています。 「12月と言えば、」一般的には「第九」かなと思います。 今聞いているのは、いろいろ聴く中でやはりこの演奏が一番しっくりくるかなと思っています。 ”BEETHOVEN SYMPHONY NO.9”  指揮:DANIEL BARENBOIM  演奏:ベルリン・シュターツカベレ  合唱:ベルリン国立歌劇場合唱団 です。

 

 今第2楽章に入りました。 今年の仙フィルの第九特別演奏会は23日で、合唱は仙台フィルと第九をうたう合唱団です。先週の12日に1回目のマエストロ稽古が入っていたようで、2回目は21日となっています。 19日の土曜日も合唱の練習があり、前日の22日がオケ合わせ、23日当日の午前中にゲネプロという予定になっています。

 

 いよいよあと8日ですね。当日聴きに行くのがとても楽しみです。 どんな合唱を聴かせてくれるのか、去年までの仲間の顔を思い浮かべながら書いています。 まあ、何と未練タラタラなんでしょうと自分でも思ってしまいます。 今第3楽章に入りました。

 

 きょうの「12月と言えば、」は、第九ではなく、”地下鉄東西線”です。 12月6日に開通というか開業しました。ということはきょうで丁度10日経ったということになります。

 

 (仲の瀬橋から、八木山へ向かう電車を撮りました。左から右へ)

 利用客は6日は10万人(見積もりは8万人の利用)を超えて大盛況だったのですが、翌日の平日月曜日には5万人を切りました。 その後の利用状況についてはなぜか公表していません。 なぜ公表しないのか? 

 

    (まもなく国際センター駅到着です。)

 どんな意利用客が少なくてもきちんと公表して行けばいいのにと思います。利用客が少ないなら少ないとそのとおり公表し続ければいいのに、公表し続けるべきです。少なかったら少ないでしょうがない、みんなでどうやったら利用客が増えるか話し合っていく場を設けてはどうでしょうか。

 

 (西公園の源吾茶屋付近から、八木山へ向かっている電車)

 地下鉄の駅周辺で地域の人々が智恵を出し合って、地域おこしを考える。自分たちの問題として広く智恵を出し合って、地下鉄駅を中心としたまちおこしを考えていくチャンスでもあります。駅を地域の拠点としてとらえて、行政にお願いばかりするのではなく、地域に住む人々自らが自らの問題として考え行動していくようになったら素晴らしいじゃないですか。

       

           (間もなく国際センター駅到着です。)

 そのためには交通局はきちんと毎日の利用客を公表し、地域住民に常に情報を公開しつつ、一緒に地下鉄のことを考えていくというような雰囲気が作れたらいいかなと思っています。もともとは地下鉄東西線は不要という考えですが、曲がりなりにも開業してしまったからには、地下鉄を地域のために何とか生かしていこうという前向きな姿勢があってもいいかなと思うようになりました。

 

       (国際センター駅を出て西へ向かいます。)

 「自分たちの地下鉄である」という意識をもって問題や利用方法を考えていけば何かしら新しい次元が、もしかして開けるのかもなんて夢想に近いですが思っています。

       

 (上下の写真はすこし北側に寄って撮りました。上の写真は八木山方面へ、下は荒井方面へ向かいます。)

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

亡くなって、もう五日

2015-12-14 15:57:32 | お知らせ

 きょうの天気も冴えませんね。お昼目に一時明るくはなったのですが、続きません。 最高気温もお昼頃では10度を超えてはいないようです。 もう12月も14日、あしたは15日で師走も半分を終えようとしています。

                  午前9時30分前です。

      

                      

 川の底が割とはっきり見えたので、何とかして2匹のサケの姿を探したのですが、見つかりませんでした。 カモたちがいたので分流の上流の深い方へ移動したのでしょうか。 ここに入られると底の様子がよく見えません。

    

       

 

 年賀状をどうしようかなと思っています。 みなさんの中にはもう書いて出したという人もいますか? わたしはまだ年賀状さえ買ってはいません。 だからまったく年賀状の図案も考えてはいません。 去年(2015年用)は喪中ということで年賀状は出しませんでした。 欠礼のハガキは出しましたが。

 この際、半ば形式的な年賀状は止めてしまおうかなとも思わないでもないです。 でも一気に止めてしまうというのも、それでいいのか?決断の出来ない自分としてはためらわれます。 止めるなら止めるで、そのことをはっきりとお知らせしていかないといけないでしょうし。

 一年に一回位は形式的ではあっても、互いの無事を確かめ合うという行為もまったく価値のないこととは言えないでしょうし。

 

 

 きょう午前中の分流です。 カモとオシドリがゆったりと水上生活を楽しんでいました。

                

 そこに私が行ったので、急に慌ただしい動きとなりました。 向かう方向は下流域です。

 

 でもゆっくり歩いて行ったので、カモもオシドリもゆっくりと右岸側を下流に流されていきました。

 

 9日に亡くなりました。85歳  残念です。

 今NHKのFM放送で、野坂昭如の「黒の舟歌」が流れています。 上手な歌い方です、何ていったら失礼ですね、作家であるとともに歌手ですから。

 見つかりました、「通販生活」2015秋冬号 です。 これで180円ですから安いものです。もっともいちいち本屋で購入しているわけではありません。 前金払いしています。

 写真の上の詩(歌詞)は きたやまおさむ 、作曲 杉田二郎 の「戦争を知らない子どもたち」でしたか。 テレビでもギターを弾いて歌いながらこの通販生活をPRしていましたね。

                

 この通販生活の中で毎号連載しているものに 「野坂昭如の昭和ヒトケタからの詫び状 往復書簡編36」というコーナーがあって、毎回違う人と手紙のやり取りをしています。もう36回になるのですか。 この号は、瀬戸内寂聴さんが相手でした。

 

 太字で書かれているのは、「寂聴さんの行動力には驚くばかり。思えばあなたは常に体を張って生きていらした。」という文言です。 下の返書の3段目の右側に書かれています。

              

 非常に憂国の情に溢れている文章ですので、抜粋を掲載させていただきます。改めてじっくりと今年の、特に後半の政治の動きを振り返ってみるのにちょうどいいかと思います。

 【戦後70年だという。近頃の世の中、加速度をつけつつ戦争に近づいている。・・・、ぼくら戦争を知る世代は肌で感じている。・・・。ひと昔前なら、安保法案が衆院を通過などなかった。与党の中にも重しとなる人物がいて、暫し待てと、留めたものだ。今、政府の中に暴走を止める者がいない。】

 【安倍さんは一見お坊ちゃま風で、世間の中には軽く見なす向きもあるだろう。だが気づけば国家機密法が施行され、言論統制が行われ、マイナンバー制はやがての徴兵制に結びつく。そのうち軍備拡充、愛国心の効用をはかり、生命をかけて国を守るという覚悟こそ男子の最高徳目と続くだろう。大袈裟な話しじゃない。一片のお触れがたちまち世の中を死に追いやる。世間など、どうなろうと知ったこっちゃない。これが権力者の典型。自分の名前を歴史に刻みたいのだ。】

 【・・・。栄えた国はやがて斜陽を迎える。この時自分たちの食いぶちを何とか賄えれば滅びずやっていける。だが日本はその道を捨てた。お天道さまと天水を有効に用いた農業を棄ててしまった。日本はまったく逆行している。お上は無策のまま過ごし、ここへきて落込みを言い、経済成長が一番と口にする。そのため原発はなくてはならないという。】

 【寂聴さんとぼくに共通していることは、報道を信じないということでしょうか。・・・。・・・。我々にとって大事なもの、守るべきことは何なのか、これをアメリカの言いなりではなく、日本独自で決めること。親子兄弟でよく考えた方がいい。ぼくは軍事では日本を守れないと思っている。といって平和国家をお題目のように唱えていては駄目であろう。】

 何か遺書のような内容の返事となっています。心して新年を迎えなければ。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冴えない天気で、

2015-12-13 14:52:31 | お知らせ

 天気は毎日移り変わるというか、自然と変わるのではなくて、わざと毎日全く違う天気にしているのかなと勘繰りたくなるくらい、変わりようが激しいです。

             午前11時20分頃

   

                      

       

 まあ幸い風邪を引いていないというのが嬉しいことですが、のどの調子はいつもいまいちで、いつも喉から体調を崩してしまうので要注意ではあります。 みなさまは大丈夫ですか? そういえばインフルエンザのニュースは幸いにして聞きませんね。

  

 天気は冴えませんが、冴えに冴えわたっているのが羽生選手ですね。 GPファイナルの男子フリーでも断トツのトップだそうで、得点は219.48、ショート(110.95)と合せて合計 330.43 だそうです。またしても両方で自己最高を記録、ということは世界最高でもあります。

            

 4回転のサルコーもトーループも共に成功とのこと。一体全体どこまで記録を伸ばし続けるのでしょうか。 自分の敵は自分だけ、常に自分越えを狙い続けるしかないという、競技の世界での孤高の1匹オオカミならぬ至高のスケーター(何と語彙の貧困であることか!)、もうこの辺でゆっくりしてもいいよと言いたくなるくらいですが、高嶺に挑み続ける姿勢は余りに崇高すぎるというか心配になってきます。

 

 そういう羽生選手の大記録に応えようとしたのでしょうか、午前中にいつものように同じところから分流の写真を撮り、さらに下っていって澱橋とビル群の写真を撮ってから、いつもならというか半分くらいはそのまま堤防に上って帰途につくかするのですが、きょうはまた来た道を分流をみながら遡上しました。

 ふと分流の中流域の左岸をみたら、何か生き物が動いたように波紋が起きていました。一対なんだ?カモはいないはずだ、えっもしかしてと思い、腰を低くして抜き足差し足忍び足で近寄りました。(「抜き足差し足忍び足」と思わず書いてしまいましたが、思い出します、そのむかし子どもに何度も読んで聞かせた児童向けの本『どろぼう学校』だったかな、親分の命令で子分がいろんなものを盗み出すという内容でした。蛇足)

 残念なことはまだ濁りが残っていることと川面が反射で見えにくくなっていることでした。それでもしっかりとこの老眼の混じった両の眼で見ました、2匹の尾が白くなったサケの姿を。 広瀬川が増水したからここの分流にも遡上してくれたのです。

 嬉しくなりますね。サケの健気さに、一途さに泣きたくなるくらいです。 必死の思いで追い続けシャッターを押しましたが、残念ながらいずれも不完全な写真です。それでもよく目を凝らして映像を凝視していただければお分かりになると思います。

  2匹とも上流を向いています。

                      

 見えにくいでしょうが、PCの角度を変えたりすると何とかそれらしきものが見えることと思います。 

  

 上のサケは中央より左側、下のサケは右側に写っています。

              

 2匹のサケはなんかつがい(番)のようです。嬉しいですね。 仲が良いようで、一緒に上流に動き出したかと思うと一緒に止まってゆっくり寄り添うようにしていたりしています。 でも男尊女卑か女尊男卑かはしりませんが、一緒に並ぶということはなく、どちらかが一歩身を引いています。

  

 

  【 きょうのことば 】

   きのうの記事です。 毎週土曜日に日野原重明さんが「104歳・私の証 あるがまゝ行く」というコラムを投稿しています。 きのうは””沖縄が真のパラダイスになる日””という見出しで、「新老人の会」沖縄支部のフォーラム出席のため沖縄に行ったときの実感です。

 「今年は戦後70年を迎えたことで、何やら『日本の戦後は一区切りした』という論調がまかり通っていることが不安です。米軍基地が集中する沖縄は、太平洋戦争で日本が負った傷を、今も目の前の現実として引きずっているのです。」

 「70年前の戦争を忘れず、米軍基地を返還してもらった時、沖縄は本当の意味でパラダイスとなると思うのです。」

 そしてきょうの朝日歌壇から;

 「威を振りて新手荒手で沖縄を敵国のごと追いつめし国」

                                 三鷹市  山室 咲子さん

 「あなたならどうすると問う沖縄の苦悩を忘れて未来はあるか」

                                 秋田市  小松 俊文さん


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

44歳のチアリーダー!! 試写会

2015-12-12 15:30:19 | お知らせ

 きょうはちょっと風があったものの、とっても過ごしやすい一日でした。今はまだ午後3時半頃ですが。

            (写真は午後2時30分過ぎ頃)

    

              逆光です  

        

 午後の河原は子どもたちのサッカーや親子での野球等で賑わっていました。 もちろん散歩や走ってる人も多いです。

    12月中旬です 

         

 

 そんな中午前11時からイーグルスドームにて、NHKプレミアムドラマ「44歳のチアリーダー!!」の招待試写会がありました。 私たちは一応夫婦でエキストラに参加しましたので、一緒に見に行ってきました。

   大型スクリーン

 そもそもイーグルスドームに入るのは初めてですし、未知への挑戦、好奇心に従い行ってきました。 思っていたよりは大きくないです。 なかで共同記者会見などを行うのにはちょうどいいかも。 あとこうあって欲しいものですが、リーグ優勝でも、日本シリーズ優勝でも、ビールかけの場所としては最適かもしれません。

              

       (表)                                (裏)

  

 小野寺真沙子役の堀内敬子さん 

  これはご本人のチアリーダー時の写真

 12月20日(日)午後10時から 

 NHK BS プレミアム(103CH) で放送されます。 59分のドラマです。 いままでNHKの地元放送局作成のドラマは 「かつお」 「独眼竜花嫁道中」 にでていますので、これで3本目となります。

 で、肝心の出来具合ですが、正直言って3本のうちで一番いい!!文句なし!!感動します。 是非ともご覧ください。ほんとジーンときますよ。

 何歳になっても挑戦してみようということの大切さ、そして家庭の中年の主婦が誰もが想像だにしなかった、東北楽天ゴールデンイーグルスの「チアガール」に応募することによって、一時家庭内がぎくしゃくとなるものの、逆に主婦である母親が必死に挑戦していくなかで反対だったか長男や祖母の意識も変わり出し、ついには家族全員の理解も深まり、最後までチアガールならぬチアリーダーをやり抜き、家族の絆も深まっていくという家族愛の実在のドラマです。

 試写会が終わってから、主役や製作者、プロデューサー、そしてドラマのモデルとなった小野寺さんも入れて、4人のトークとマスコミ(マスコミ関係者は7人くらい来ていました。)による質問等があり、これは初めての経験で面白かったですね。

   堀内敬子さん

 

                ご本人                    女優さん

            

 モデルとなった本人とその本人を演じた俳優さんが並んで座り、話しをするというのも珍しいことではないでしょうか。

 小野寺さんご本人はスタイルが良くて足がとっても細いのです。チアガールになるためにウエストは6センチ細くなったそうですし、現役のときは筋肉もついて腹筋は200回もできたと言います。本当に努力苦労されたようです。 でもその努力は報われました。

 そして何よりもビックリしたのは、感心したのはその立ち居振る舞いと言動ですね。 とても55歳の普通の主婦とは思えない落ち着いた見事な受け答え、全く無駄なところがないのです。 言葉もはっきりしていますし、質問にきちんと答えていました。 羨ましいくらいでした。

 これで昔ははずかしがりやで人見知りをしていたというのですから、ニンゲンは変わり得るのですね。

 そして1時間35分の全日程を終了したという次第です。

 

       NHKからいただきました。

  

                     このストラップは光ります。ライと付です。

                    


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野坂昭如死去 と 4年9か月

2015-12-11 15:01:46 | 思いつくまま

 深夜から強い雨が降り続きましたが、午後あたりからは小止み状態となっています。 西日本のように気温は高くはなっていません。 今暴風警報が出されています。

     

                       

   

 ニュースで知りましたが、羽生選手、いったいどこまですごいのでしょうか!!伸びるのでしょうか!!!ショートプログラム(SP)でNHK杯の106.33天を上回る 110.95点 を獲得したというではないですか。

 何でも半数以上の審判が満点をつけたということです。ここまでくればもう恐れ入りましたというほかはないですね。

    

             サギとオシドリ(のこども)

                        

 

  雨の分流にはサギが1羽とオシドリの家族が浮かんでいました。

                     

    

 サギは飛び立ちましたが、オシドリは逃げませんでした。嬉しかったですね。

             

        

 きのうブログをアップしてから知りました。 9日午後10時30分頃野坂昭如(敬称略ですみません)が誤嚥性肺炎からくる心不全で亡くなったということでした。 きょうの新聞には大きく記事が載っています。

 (2012年8月15日のこのブログもご覧ください。)

   (煙草も酒も好きだったなあ) 

 野坂昭如とは付き合いは古く(何て書くと個人的な親交があったように聞こえますが、それはまったくありません。)、大学の頃からかな興味を持ち始めたのは。 最初はあの風貌から”無頼風”な印象を受けていましたが、ダンディーな黒メガネに真っ白なスーツスタイル、そして「平凡パンチ」(だったかな)等の文章を読むようになってから段々と印象が変わってきました。

 滅茶苦茶なことを言っている風貌とは打って変わって、とってもナイーブな人で、ニンゲン観察力が鋭く、その根底にはとっても強い反戦平和の思想があり、とりわけ子どもへの思いが強い人だなあとはっきりと認識してからは、愛読者になり、いろんな評論集や小説を読むようになりました。 そして現在に至っています。

 この頃目にしていたのは、カタログハウス社の「通販生活」でのいろんな文人等との往復書簡となっていました。 病に倒れてからは、元宝塚出身のきれいな奥様の献身的な介護を受け、その頃のことを書いた本も微笑ましく読ませていただきました。

 つい最近は水木しげるも亡くなり、ますます貴重な戦争体験者が減ってきて、それと反比例するかのように威勢のいい論陣を展開する、戦前回帰かと思わせる動きが大きくなっていることはまことに心配でなりません。いくら危惧しても危惧しすぎることはないと恐れに似た気持ちさえ抱いています。

 【 飢えにとことん痛めつけられた人の、悲痛な体験    「戦争で、最もひどい目に遭うのは、子供たちだ」   縦横自在な顔   根っこにあったのは、昭和ひとけた世代の反骨心と正義感であろう。一面の焼け野原から僕らのすべては始まったと言い、まだ足は焼け跡に置いたままのつもりだと語っていた。型破りと歌劇が絵になる人だった。   空襲に焼かれた後の日、妹を背負ってよく見入った蛍の群舞が忘れられないと書いていた。以来、自分は唱歌「蛍の光」を歌えないと。    ・・・・以上は「天声人語」より 】  

 【 極端にいうと、「いかがわしさのカリスマ」を持った人でした。    行儀の悪いコラムにグラビア、インタビューで、野坂さんの存在は表面化しました。   今でいう「ヘタウマ」の走りじゃないですか。   彼には自分の本道は作家にある、国民文学として名を残すという志があった。    世の中を野坂だらけにしてやれ     晩年は・・・戦争を思い起こし、老境を読ませるようになりました。   一時代をイメージ通りのものに作りあげ、信奉者もつくった   ・・・・以上は「野坂昭如さんを悼む」(山藤章二)から 】

 【 私生活ではお互いに意識的に離れながらも、時代に対しては共闘者として対してきたつもりである。    恩人でもあり、仲間でもあった。大きな支えが失われたようで、淋しい。   無頼派を演じつつも、傷つきやすい芸術家だったと思う。  ・・・・五木寛之の寄稿から 】

 【 昭和一ケタ生まれの作家として、最後まで反戦平和を訴え、子どもたちの飢えた顔をみたくないと、TPPにも反対していた。  ・・・・矢崎泰久 】

 【 眼前の危機に見て見ぬふりをしがちな今の日本を憂え、原発問題についても懸念する(内容の手紙が届いていた)。    病床からこんな危機感を伝えなければならなかった今の日本とは何だろうかと思う。  ・・・・横尾忠則 】

 【 日本がひとつの瀬戸際にさしかかっているような気がしてならない。    当面の安穏な生活が保障されるならばと身を合わせているうちに、近頃、かなり物騒な世の中となってきた。戦後の日本は平和国家だというが、たった一日で平和国家に生まれ変わったのだから、同じく、たった一日で、その平和とやらを守るという名目で、軍事国家、つまり、戦争をする事にだってなりかねない。    明日にでも、たったひとつの選択しか許されない世の中になってしまうのではないか。    また、ヒョイとあの時代に戻ってしまいそうな気がしてならない。    ・・・・12月7日放送TBSラジオ「六輔七転八倒九十分」から 】

 以上はきょうの朝日新聞の記事からでした。

 

 きょう12月11日は、あの日から4年9か月目となります。 正直に言えば自分の中でも風化というか、ついつい過去の出来事としてややもすれば忘れてしまいかねない状態になっていることが怖いです。

 忘れないためには、風化させないためには記憶し続けること、記録することが大切なのは言うまでもないことですが、やはりそのためにも風化を防ぐためにも、いわゆる”震災遺構”が必要と考えています。

 岩手県の記事ですが、大槌町の旧役場庁舎をどうするか、住民同士でいろいろと話し合いが行われてきましたが、町長は年度内に解体するという方針を貫き、解体費を盛り込んだ補正予算を議会に提出しています。

 大槌町の役場では、先の大震災による大津波で当時の町長を含む40人もの人が犠牲となっています。 このことはとっても大きい事実現実です。 同じような被害があった宮城県の南三陸町の旧防災庁舎は、宮城県が借用することになって解体ということからは免れました。

 常々個人的には、宮城県は少々極端にいえば、教育や福祉には全くと言っていいほど積極的ではなく、土木行政主体と言ってよく、県政には不満が多いのですが、この件に関してはよくやったと思っています。これこそが県のとるべき施策と考えます。

 今回の大槌町の旧役場についても、岩手県の介入が出来なかったのか?できなかったのはなぜか?単にしなかっただけか?全く分かりませんが、ひとつの町だけの問題として任せておくのは、今回の大震災をどうとらえるかという県自体の問題(ではないでしょうか?)からも逃げているように感じられます。

 そして私が一番問題ではないかと感じているのは、今回の旧庁舎の解体か保存かについていろいろな考えが出されている中で、高校生たちが解体に”待ったをかけた”ということです。新聞によると、大槌高校の6人が今月4日に議論の継続を求める要望書を提出したからです。

 大槌高校「復興研究会」という、全校生徒236人の半数が所属する研究会で、大学の研究者や町の職員と街づくりを議論してきたと言います。その一環として、広島市の原爆ドームや神戸、新潟の被災現場を訪問して勉強してきました。その結果が旧庁舎を保存すべきとなったとのことです。

 

 『自分たちが主役となる町の未来に直結する大事な議論。高校生同士でも、もう少し話し合う時間が欲しい。』

 『次代を担う高校生として町の将来を考えなければいけない。旧庁舎を残し、生まれてくる子どもに震災を風化させずに伝えたい。観光資源にもなる。』

 『町が好きだから、真剣に旧庁舎の問題を考えている。町長ともう一度冷静に意見を交わしたい』

 

 これに対して町長は全くつれない態度ですね。解体方針は変えずに、「旧庁舎はすべての世代の問題。若者の考えだけを受け入れられるほど単純ではない」といっています。

 折角地元の高校生たちが真剣に考え議論して要望書を提出したというのに、単に考えは聞くだけ、要望書は受け取るだけというのはいかがなものでしょうか。真剣に町の将来を考えている高校生たちがいるというのに、非常にもったいないと思います。

 確かに「旧庁舎がある限り前を向けない、苦しくてたまらない」というひともいるのは事実でしょう。 ならばそういう人たちも含めて議論協議するということは考える余地さえないということなのでしょうか。 それこそ老若男女での話し合いができるというものです。

 それこそ生きた社会科の授業、生きたまちづくりにつながり、その結果”解体”となったとしても、そういう話し合いの場があったということだけでも貴重な経験となるのではないでしょうか。過去をしっかりと直視し、過去から学ぶという姿勢がしっかりしていれば、していなければ将来は明るいとは言えないのではないでしょうか。

 平野公三町長の判断は残念ながら近視眼的で、現実追随主義にほかなりません。

 ≪こういう内容で行ったんアップした後に、地元の新聞をネットで見たら、大槌町議会の13人が全員の総意として、解体予算案の提出を先送りする要望書を町長に提出したそうです。よかったです。結論を出すのは来年の12月頃とのことです。≫

 同じ岩手県の釜石市の事例です。 2013年12月4日のこのブログでも取り上げています。

 忘れないでほしい。

 

 ここで多くの命が失われたことを

 

 忘れないでほしい。

 

 生きたかった命がここで絶たれたことを

 

 忘れないでほしい。

 

 ここで亡くなった多くの遺族がいることを

 

 忘れないでほしい。

 

 津波はまたくるのだということを

 

 忘れないでほしい。

 

 ここであった現実を

 

 

 

 伝えてほしい。

 

 生きるために、今自分がどうすべきか

 

 伝えてほしい。

 

 失った命を 家族を守れずくやしい思いの人間がいることを

 

 伝えてほしい。

 

 震災で命をなくしてはいけないということを

 

 伝えてほしい。

 

 今は そして今日は 今日しかない、明日は 数分後は 何もわからないという現実を

 

         「釜石市鵜住居地区防災センター」で奥さんを亡くした遺族(男性)のメッセージです

 

  とっても長くなってしまいました。 読んでくれた人に感謝です。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年もまばゆく、光のページェント

2015-12-10 15:16:50 | お知らせ

 きょうは曇り空の天気でしたが、思ったよりは寒くはなく、過ごしやすかったように感じます。 とはいっても朝方の冷え込みは厳しいですが。

 

 きょうはお昼頃に川に行ったからでしょうか、サケの姿はもちろん、サギもカモの姿も見えませんでした。 見えたのは濁りがとれてきた広瀬川分流の川底です。 泥がびっしりと石を覆っています。 こういう川を見るのは何とも辛いものです。 できれば見たくはありません。

 

 午前中からお昼にかけて、近くの保育園に行って年長組の園児たちと交流してきました。 子どもたちは来年は小学校一年生となります。 園の秋の遠足で、一緒にバスに乗って縄文の里まで行きましたが、その時に紹介した名前をほとんどの園児たちが憶えていてくれたのには感激しました。 親しみを込めて名前を大きな声で言ってもらえると、とっても嬉しかったですね。

 子どもたちの劇「孫悟空」というか「西遊記」を鑑賞しました。 全員を出すために孫悟空や三蔵法師とかは3人くらいが交代で演じていました。 まあみんなしっかりと声を出していました。 しゃべられなくなった子はひとりもいませんでした。大したものです。

 自分の二人のこどもが保育所の年長児だったときに何をしたか思い出そうとしていましたが、悲しいかな思い出せませんでした。 でもこの子どもたちの劇を見ていて、これをみた保護者は感激しただろうな思いました。

 あとは一緒に輪になってのいろんな遊戯をしたりして楽しみました。 そして最後は一緒に会食というか昼食を食べました。 ついついお変わりまでしてしまいました。 同じテーブルの3人の子どもたちは野菜も魚も、そしてご飯もきちんと食べていました。

 参考までに、メニューはこういうものです。

 

 ちくわともやし入りのおひたしも残さず食べていました。 サバのフライ(竜田揚げ)は食べにくそう(箸で掴むのは大変です)ではありましたが、それでもちゃんと完食しました。

                            

 シメジも嫌いな子はいなかったです。トーフも箸でつまむのは、力加減が少し難しいですね。 

    

 

 きのうの忘年会の前と後に撮った第30回ですか光のページェントの様子です。 60万個のLEDの電球ですか、煌々と寒空に映えていました。 ではありますが、やはりマンネリ化は避けられないようですね。

 

                    (勾当台公園です)

                   

 数年に1回くらいずつ見学するのであれば感激もするのでしょうが、正直言って少々食傷気味といってもいいかなと思います。 

 

            (定禅寺通りです)

        

 とくに他都市のイルミネーションをテレビで見るにつけ、どうしても他都市のそれはとても立派に豪華にきれいに見えるものです。 何とかもう一工夫、ふた工夫する必要がありますね。みんなで知恵を出し合えばなんとかなるのではないでしょうか。

 

              (こちらは一番町商店街です)

             

 現に生きているケヤキの木を利用しているとうことから、そうそう斬新なアイデアは出にくいかもしれません。 でも全国公募でもして、御知恵を拝借すれば新境地が開けるのではないでしょうか。

 

                   

  

 いかがでしたでしょうか? 雪が降り積もるか、深々と雪が降り続いているときの光のページェントはまた違った趣を見せてくれることでしょうね。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よく冷え込みました、

2015-12-09 15:33:25 | お知らせ

 正確に何度かははっきりしませんが、よく冷え込みました。 車のフロントガラスは当然ガチガチです。 やっぱり冷えこんだ朝は起きるのは厳しいですね、辛いです。 

 

 分流の草も寒さに耐えています。 しかも凛として耐えている感じで、尊敬の気持ちさえ起きてきます。

                    

   

                 

   

 

 別にいまは何時まで寝ていてもいいのですが、会合や会議等があるし、それよりも毎日きちんとした生活を繰り返すことが必要かなと思って起きています。

                

   

 どんなに冷たくても分流のカモは元気です。

    

 水浴びしたり、羽を広げて見せたり、子どものようなカモは元気ですね。

                

   

 合計9羽のカモですか、きょうは脅かさないようにちょっと離れて写真を撮りました。

                     

 初めて飛び立たないまま過ぎ去ることができました。

 

             

 

 きょうは3回目の忘年会がありますので、写真特集になってしまったようで申し訳ありません。写真ブログのようになっているなと思っている(反省している)今日この頃です。 でも今ブログを開いてくれるひとにとってはその方が肩がこらずにいいのでしょうけど。

 

 寒い思いをした後は、春はまだまだですが、学区内のある家では今桜が咲いています。西公園にも冬に咲く桜があることは前にも紹介していますが、こんなにも大きな桜の木なのに今咲き誇って?います。

 初春を想像しながらご覧ください。 こういう種類のサクラもあるのですね。

 まずは全体像から。これはやや西側からの撮影。 午前10時半頃の撮影です。

 

            こちらはやや東側からの撮影です。

         

 狂い咲きということになるのでしょうか?

 

                地球温暖化の影響でしょうか?

                         

   青空との対比が綺麗じゃないですか!

  

                  

  

               

   いかがでしたか。 春はもうすぐそこです、とは全く言えませんが、”(ようやく)冬来りなば春遠からじ”です。 どんな2016年 平成28年になるのでしょうか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魚はいいですね!うみの杜水族館 その2

2015-12-08 16:44:20 | お知らせ

 きょうはまあ過ごしやすい天気と言っていいでしょうか。 

 今日の午前中は、児童館で乳幼児と保護者を対象にした”クリスマス”が開催されました。 双子の乳児も居て可愛かったですね。一見したところ女の子の方がかなり多いように見受けられました。 職員もいろいろと工夫を凝らし、小さい子どもたちに飽きられないように歌ったり、動いたりして出し物を見せたりと大変ですがやりがいはあることでしょう。

          午前10時過ぎの東の様子です。

 

   

 きのうは川に行っていなかったのですが、きのう何があったのでしょうか? この水の濁り方は一体どうしたというのでしょうか? 単なる川の水の濁りというより、泥水が溜っているといったような広瀬川分流の様子です。

    

 こんな流れでは川底はもちろん見えないし、何もいないだろうと思っていたら、いたのですね、カモの親子?家族が。 考えていなかった現象がパッと目に飛び込んでくると、びっくりするものですね、いい方に。

          

         

        

 なかなか逃げようとはしなかったので、カモたちは分流の右岸にたむろしていました、そのまま無事私が左岸側を通り過ぎられたらいいなとそのことを念じて下って行きました。

            

 だんだんとカモたちも用心しながら下りはじめるのが分かりました。極力カモたちをみないようにして、何事もない、心配はないということを理解してほしいと思いつつ歩いたのですが、

    

 やはり無理だったのでしょう、自然界で生きていくためには用心するにこしたことはないのですから。

    

 

 きょう午前中の広瀬川分流の写真の脇に、水族館で撮ったきれいな小魚を掲載させてもらいました。 以下の写真はその他の魚の写真です。

         

 こうやって見ると、右を向いている姿が多いようです。これはたまたまだと思うのですが、もしかして魚は右を向きやすいのだということがあったりして、・・・・(ないでしょうね)

         

 これらの魚は一か所にいたものではありません。 1階とか2階とか、1階でも何カ所かの水槽で飼われている魚です。

      

 実にいろんな表情の魚がいるもので、じっくりと付き合ったら時間はいくらあっても足りません。

             

       

 うみの杜水族館では、魚のほかに爬虫類や鳥も、少ないですが、見られます。

 そうそう最後に、12月8日、昭和16年のきょう日本海軍は真珠湾を奇襲攻撃した日です。 70年前、3年9カ月近くもアメリカと太平洋を中心として戦争をしたということ、大敗し、無条件降伏をした結果、沖縄がいまもって日本における米軍基地の中心であり続け、基地の島から抜け出せないでいること、それらが普天間基地の辺野古への移設に大きい影を投げかけていますが、政府と沖縄県が法廷闘争を繰り広げなければならないという悲劇をいつまで続けることになるのでしょうか。胸が痛むことです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月曜日はいろいろあって、

2015-12-07 21:32:28 | お知らせ

 きょうは12月7日、地下鉄東西線の開業翌日、きのうはたくさんの乗降客で賑わいましたが、きょうはどうだったのでしょうか?他人事ながら心配ではあります。

 きょうは本当に慌ただしい一日で、毎日何とかして行っている広瀬川分流にも行く時間がありませんでした。 だからいつもの見慣れた風景の写真はありません。

 朝は寒い中定期立哨、しかし肝心の子どもたちの姿が見えませんでした。それもそのはず、きょうは振替休日だったのです。 子どもたちの元気な賑やかな声が聞こえず、活発な動作が見られないのは寂しい限りです。

 冷え切ったからだが温まる暇もなく、午前中二つの会議や打ち合わせが入っていまして、午後一番はサークルの活動、それできょうの一日は終わるはずだったのですが、二つ目の会議の時に電話が入り、サークルの仲間が急逝したというのです。

 わたしと同じ年齢です。9月にも小中と一緒だった同窓生が亡くなりましたし、またしても同学年の死亡です。 まだまだ70歳前です。 でもガンには勝てませんでした。

 

 午後5時からの通夜に出て、その後仲間と故人を偲んで飲んできました。 そんなこともあってきょうのブログはきのう撮った写真で書いて行こうと思っています。よろしく。

 

 この3枚は、澱橋の乱流によって深い穴が掘られた橋脚の補修工事後の写真です。

                      

 一応は砂で穴は埋められてはいますが、上を歩いてみるとかなり柔らかくて、乾燥すればかなり沈むことでしょう。

 水中のこういう深いところも何とかして欲しいものですが、聞いてもらえません牛越橋のようにすれば、橋脚の周囲が掘られるようなことはないと思うのですが、・・・。

 

               

 上下の写真を見て何か思い出しませんか?         そうです、あの ヒロッシー です。 ヒロッシーについては、このブログで「ヒロッシー」として「このブログ内で」として検索してもらえれば数件出てきます。

 

 下の写真のような円筒形の鉄の中に張られていた硬化プラスティックが正体でした。

                       

 そして、こういうものも。

 

 まるで20センチ榴弾砲みたいではないですか! 70年以上前の旧日本軍はこういう偽装高射砲や大砲を造っていたのです。

                           

 

 またきのうは分流の向かいの大木で鳴いているトンビの接写とまではいきませんが、近くで撮ることができました。

   

 

 以下のヒロッシーではない、プロントザウルスの藁の造形作品は卸町の公園にありました。地下鉄東西線で国際センター駅から卸町駅まで乗って行ってきました。 

 

 公園の中には池もあり、沼から姿を見せているネッシーをイメージして、胸から上と尻尾の先だけを作ったのでしょうか。考えています。

                         

 後ろからの姿です。

 

                     

 

 下の写真は、荒井駅前に展示されているマンモスの骨組みの写真です。この上に藁を縛っていって完成させたものです。 この骨組みはプロの大工さんには依頼せず、近くの演劇工房の大道具担当者に作ってもらったそうです。

 

 大工さんでは頑丈に作られてしまうので、あえて演劇の大道具さんにお願いしたと、この公園にいた関係者は言っていました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仙台市営地下鉄東西線 祝 開業!

2015-12-06 16:48:09 | お知らせ

     

 最高気温は8.1度とかで、上がりませんでした。

                    

 この時は風が強かったです。

         

 

 なんやかんや言いながらも、とうとう地下鉄東西線も開業いたしました。 今後どうなるか、天邪鬼な私としては、見通しは明るくないですが、一応は開業を祝いましょう。 ミーハーでもありますので、お祭りに参加しないわけにはいかず、行ってきました、近くの(といっても歩いて15分かかります)国際センター駅です。

            

 上の車両は八木山動物公園行きで、下は荒井駅行きです。

  

 駅の2階で車両の写真を撮ろう止まっている人々です。入って行けませんでした。

         

 ここから東の卸町を往復してきました。 片道300円ですので、600円かかりました。 距離から言えば高くはないかなと思います。 ただ卸町駅で切符を買う時にずらーと50人くらいも並んでしまいました。 券売機が2台では少ないような気がします。

                        

 

 やはり明るいし新しいし、車内は混んではいても気分はいいです。 振動もほとんどなく、釣り川面(「つりかわ」もと入力したらこうなりました。)、吊革も長いのと短いのがあって、短いのは164センチにはちょっと高いかなと思いました。

 

 何といっても車内の電光掲示板というべきか、これが素晴らしい。 日本語(漢字とひらがな)と英語と中国語とハングルで表示されます。

                           これはハングルと漢字表記

                   

 中国語表記 3両目の車両ということ

 

                       英語表記 およその到着時間の表示です

                  

 

                      ハングル表記で、「薬師堂」と書かれています。

                   

  間もなく電車が到着するお知らせ

 

                               乗り換え案内付

               

 

      ドアが開きますというお知らせです。

                 

 以上地下鉄東西線特集でした。

 こういう中の見えるゴミ入れは初めて見ましたが、いいのではないでしょうか。

 

 

        帰宅した午後3時45分くらいの西の空です。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ようやく始まり

2015-12-05 16:33:48 | お知らせ

 きょうはこの時期相応の天気と言っていいでしょうか。 

  

 土曜日ということもあって、河原の緑地帯では若者たちが動き回っていました。

               

 フットサル?とクリスビー?かな。

  

 きのうの雨のためでしょう、広瀬川は増水し濁りが入っていました。 これだけ増水すればもしかしてと思わないでもないですが、いくらなんでももうこの時期には遡上は無理でしょうね。(と言っておきながらも心の中ではもしかして?という気持ちがあるのです。)

                       

    

     

 

 【ようやく始まりました。】

 澱橋の橋脚、乱流によって深く鋭くえぐり取られた橋脚の深い穴ですが、きょうようやくショベルカーが来て工事をしていました。 9月の11日頃ですから、約3か月ぶりに修復工事に着手したということになります。

 

                       

   

 その間事故がなくて幸いでした。落ち方にもよるでしょうが、落ちたらかなり危険でした。 最初の頃は水が一杯溜っていたため、その後は穴の壁が脆くなっていたためです。

 下の2枚の写真は澱橋の上から下を撮ったものです。 小型のダンプカーが土砂を運んできて、穴を埋めているようでした。 これは午前10時50分頃かな。

   

               

 そsてこれは午後3時30分頃の写真です。 もう工事は終わっていました。少なくとも穴は埋まっていました。 こんなことならもっと早くできなかったのでしょうか?流木の撤去よりも先にやるべき工事だったと思うのですが。

  

 

 【ようやく始まります。】

 こちらは地下鉄東西線国際センター駅です。  あしたいよいよ開通です。  きょうも大型バスが4,5台も駐車していて、周りから見るにマスコミ等を招待していたのと関係者への公開なのでしょうか。

 

 ちょっと場所を代えてみるとこういう見方もできます。春になればこうは見えないでしょう。

           

 プロ、素人を含めたくさんのカメラマンが地下鉄の電車を待っていましたので、私も仲間入りをさせてもらって撮りました。 荒井駅から到着しようとしているところです。

 

 この分ならすぐに荒井駅に向かう電車も来るだろうと待ち構えていたのですが、さっぱりやってきません。 7分間隔くらいで走ると思っていたのですが、それは土曜日の朝夕の時間帯のことだったのかもしれません。

            

 あしたの開通イベント用の準備でしょうか。

    

 あしたは何事もなければ、地下鉄に乗ってみるつもりでいます。 ミーハーですから。

 

 

 そうそうこれは何だと思いますか? 普段通らないところを通ったら見つかりました。 といっても澱橋の左岸堤防の東側終点付近ですが。 蔦から何かが実っています。中に何が入っているのでしょうか? 何とも不思議な植物だと思った次第です。 これからすこし注目して行こうかなと思っています。

                      

 

 最後は澱橋からの上流の長めです。

 

 間もなく緑は絶えて荒涼とした風景となってしまうのでしょう。 

         

 

   

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イワシの巨大な群れ

2015-12-04 15:25:47 | お知らせ

 一体何でしょうか?この天気。 まあ朝から愚図ついていて、全くはっきりしない天気で、小雨模様、ときどき強く風と共に吹き付けたり、突然まわりが薄暗くなったり、かと思えば陽が射してきたりもして、洗濯を終えた我妻は洗濯ものをどこに干したらいいものか大いに迷っていました。

 山は降雪、積雪のようで、泉ヶ岳でもはじめて除雪車が出動したとか。いよいよですね、冬本番は。

 

 そういう天気の中、春先にあることでいただいた温泉の宿泊券と言いたいところですが、入浴券が2枚ありましたので、秋保温泉へ行ってきました。広い湯船にお客は二人だけという贅沢さ、ありがたいのですが、やはりもう少しお客さんがいてくれた方が楽しいかなあなんて思ったりもして、・・・。 まあ雪見酒ならぬ雪見浴ということにはなりませんでしたが、贅沢をさせてもらいました。

 帰りには「さいち」にて、全国的に有名となってしまったおはぎを買ってきました。あんこと新しい商品?納豆おはぎ、ずんだもちを買ってきました。あんこのおはぎのあんこが納豆に代わったものです。 握られたもち米に納豆をまぶしたものです。ありでしょうが、少し不思議?でした。

 

 そうそうきのう地下鉄東西線の西の終点(始発)駅「荒井駅の北側の田んぼの藁アートを紹介しましたが、きのうの朝日新聞の地方版にも同じ記事が掲載されていました。 きのうは新聞は午後になってから読んだので、記事のことは全く知りませんでした。

      

 記事によると、マンモスの大きさは高さが5メートル、全長7メートル、トリケラトプスは高さ3メートル、全長5メートルということです。 (下の写真はきのうの再掲です)

 

 地下鉄東西線もいよいよあさって開通とのことで、なんかまだ信じられないような気分です。乗降客は想定の何割となるのか?非常に興味のあることです。

 こういうチラシをこの前図書館で見つけました。

                  

 このチラシのマンモスは荒井駅のマンモスとは異なります。 花の形、状態が異なります。 チラシの下にいろいろ書いてありますが、実行委員会の共催団体に「武蔵野美術大学わらアートチーム」というのがありました。 

 武蔵野美術大学のチームが製作したようです。 チラシの写真のマンモスは、写真提供として新潟市西浦区産業観光課「わらアートまつり」と書いてあります。 写真のマンモスは新潟市で作られたマンモスのようです。

 チラシの裏面を見ると、わらアート””空想動物園””卸町会場には、全長18メートルの恐竜”オロッシー”が出現しているようです。 荒井会場と卸町会場の2か所でわらの恐竜が見られるということです。(マンモスは恐竜ではないですが)

 12月6日は寒くても快晴に恵まれればいいですね。 同日からは光のページェントも開催されるようです。

 

 さて下の写真は一体何でしょうか!? イワシの群れ、大群です。実にいろいろな集団行動、動きをします。 とくとご覧ください。

 

        

 

           

 

        

 

            

 仙台うみの杜水族館です。 みちのく三陸地方の海をイメージしているとか。 これから時々(毎日)少しづつご紹介して行きます。 嫌がらずにお付き合いください。

 

  今夜2回目の忘年会があります。 天気は生憎ですが、こればかりはどうしようもありませんね。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

完成してました、マンモスとトリケラトプス

2015-12-03 16:14:51 | お知らせ

 白石市の半沢さん宅で5メートルもの「皇帝ダリア」が11月に咲いていたとのこと。 今年は暖かかったために咲き伸びているとか。 5メートルなんて信じられますか?想像を絶するダリアです。

           

 

 小雨模様の全く冴えない天気の12月3日です。 寒さが緩んだのが嬉しいですが。

                午後3時頃の東方面です。

     

                          

 風が出てきて川面にはさざ波が立ち、川底は見えにくくなっていました。

       

      

 

 そしてこれも完成していました。 そうです、田んぼアート、稲わらで作ったマンモスとトリケラトプスです。 このブログで制作中の作品を紹介しています。 11月24日です。 併せてみてください。

 まずはマンモスから;

 全体像です。

       

 

                         

 

 次はトリケラトプスです;

 全体像です。

 

                        

 

             

 

            ツーショットです。

 

 しかしよく作ったものです。 よくできているでしょう。  欲を言えば足下のビニールが見えないように工夫してくれればもっとよかったと思うのですが・・・・。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冷え込みましたが、その後は穏やか?で

2015-12-02 15:59:42 | お知らせ

        

                   (午前10時前の東方面です。)

 これは何だと思いますか? 水木しげるさんの「幸福の七か条」だそうです。

 第1条:「成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはならない」


 第2条:「しないでいられないことをし続けなさい」


 第3条:「他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし」
 

  第4条:「好きの力を信じる」


 第5条:「才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ」
 

  第6条:「怠け者になりなさい」


 第7条:「目に見えない世界を信じる」

 何かとっても水木しげるさんらしい言い方ですね。 現代の強欲資本主義、成長至上主義の社会においては、こういう生き方こそが相応しいのかもしれませんね、アンチとして。 きょう読み終えた親書の中の言葉、「100万円でしか生きられない社会」がいいのか、「100万円でも生きられる社会」を目指すのか、を思い出しました。 みなさんはどう考えますか。

 

                    

       

 分流の水面はこのようになっていましたが、左岸の歩くところにはこういうものがありました。

 

 水晶か?        霜柱です。  きれいですね。

           

                

      

 以上は午前10時前後の写真ですが、以下は午後3時半過ぎの様子です。

 

 午前と午後の2回分流の左岸側を歩きました。 好きですねえ~、自分でもそう思います。 でも午前中はきのう生きていたサケの姿を見つけることができませんでした。

 なぜ見つからないのか、見つけられないのか、何とかして生きている姿を目撃したいと思って午後も行ってみたのですが、・・・・・

 いたのは カモ が2羽。下流域に浮かんでいました。

  

 そしてその上流の右岸へチにこういうものがありました。

    

                 

 またしても見つかったのは、水中に沈むサケの死骸です。これがきのう生きて立いたサケの死骸かどうか?何とも言えません。 生きているサケの姿が見えなかっただけです。

 無数にいた小魚の姿もほとんど見られず、数カ所で100匹くらいが群れているくらいです。

 

 水面が穏やかなときは木々もきれいに映ります。

  

                 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする