鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

冷えています、

2016-12-16 16:56:35 | 思いつくまま

 

        

 

      

                     

 

 午後3時過ぎ頃の車からの外気温は1度でした。その後雪が舞い始めました。 この分ならもしかして明日朝は積雪となっているかも・・・・。こちとらは毎日が日曜日とはいっても、前にも書いたとおり早起きをしています。 すくなくとも妻よりは早く起きようと慎ましい、ときに涙ぐましい努力をしています。 寝るのが早いので、当然と言えば当然ですが、それを言っちゃあお仕舞よ!

  (午前9時過ぎ。東の空には雲がありましたが、西南北には全くと言っていいほど雲はありませんでした。)

 

 これは何でしょうか?

  氷砂糖?

             

   氷砂糖ではありません。「霜」です。

 

 早いとはいってもこの頃は午後10時20分頃ですね、布団に入るのは。 これも前にも書きましたが、一番幸せだなあ~と感じるのは布団に入って、眠りにつくまでの時間ですね。 往々にして私は早く寝入ってしまうのですが、少しでもその時間を長くしたいというのが願いです。不眠症の人から見たらなんと贅沢なと思われるかもしれませんが。

 この頃は朝の5時前には目が覚め、ラジオを音量を低くして聴いています。ラジオを聞きながら実際に布団から起きだすまでの間も”いい感じのひととき”ですね。

 きょうも午後から理事会前の打ち合わせ会があり、その後は支払いに回ったり(個人的な借金ではございません。)、ついでに図書館に寄ったり、自転車で寒い中動き回りました。 夜はやはり一回は光のページェントを見ておかないとと思うのですが、夜の冷え込みを考えると躊躇してしまいます。これも加齢に伴う現象なのでしょうか。そうそう愚痴が多くなったのはまさにそれですね。

 

                  

        

 

 

 

 

 せっかくちょっと水量が増えたのですが、また減りつつあります。

 きょうはこういう躍動を見ることができませんでした。

   (サギとカモの飛翔は先週の撮影です。)

          

 ひときわ鮮やかなのは、これですね。

 

           

 

 自然界の、自然な流れの寒さを迎えていますが、またしてもニンゲン界の寒々とした出来事がありましたね。 そうです、千代田区の中学校での事件です。横浜、新潟についで千代田区です。 「原発避難の生徒に3人がおごり要求」との新聞の見出し。

 情けない、悲しい、恥ずかしいという怒りよりも、またかあという落胆、落ち込みの気持ちが強いです。 おごらせておいてそのごみを被害者の生徒のカバンに詰め込むという、もういたずらなんて言っていられない悪質な行為です。 

 ニンゲンの屑どもで、こいつらこそごみとして焼却場へ投げ混んでしまえ!と言いたいです。ひとの痛みを想像できない屑どもは消え去れ! 生きている価値はない! 教科書やノートまで無くされたと言います。

 提案です、このような屑どもはフクシマ第一原発で働かせてはどうでしょうか。身を持って原発の怖さを実感していただきましょう。 こういう卑怯なふるまいをする屑どもは、多分に親の影響や家庭教育のせいでもあるのでしょうから、親子で原発の現場で廃炉に向けての労働をしていただきましょう。

 

 

 

 


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髙橋祐次 in 天降川 ・続

2016-12-15 13:55:42 | お知らせ

 朝方は寒さが厳しかったあ~・・・・。 いやあまったくもってもう立っているのが辛かった!!でも元気な子どもたちの顔や声、動作を見ているとほっとします、うれしくなります。 元気な子はまだ半ズボンですし、手袋をしていない子どもも何人かいました。

               (午前9時10分過ぎ)

 

 その後時間の経過とともに陽が差してきて、日当たりの場所は暖かくなるのですが、それは私がいなくなってからのことです。 夏は陽が差し、冬はまったく陽が差しません。皮肉ですね。風がなかったから助かりましたが、両手の冷え込みはちょっと厳しかったです。

                 

        (辛うじて水は流れていました。)

 

 ここ何年も見たことがない光景に出合いました。この前は白鳥(多分)の群れ(7羽)での飛来をたまたま目撃しましたが、今朝はやや小さい旅客機(? 胴体の左右にエンジンが付いている飛行機)がかなりの低空で北東方面から東方面に弧を描きながら飛んでいきました。

               

 

 普通の旅客機ならこんなにも低い上空を飛ぶはずがありません。飛行場が近いわけではありませんので。 もしかしてロシアのプーチン大統領の専用機?なんて一瞬思ったりもしましたが、午後山口県に到着とかですのでそんなわけはない。それとお昼のワイドショーでみた大統領の専用機は両翼の下に二つづつのエンジンが付いていました。

 

 低い上空を飛び回るのはアメリカ軍のオスプレイ等の軍用機です。なんでも日本の法律では150メートル以下の飛行はできないそうですが、アメリカ軍は何でもできます、60メートルでもOKらしいですから。

 沖縄県でまたしても未亡人製造機といわれていた(る)オスプレイが海に落っこちました。日米の首脳は「不時着」だと言っていますが、機体の損傷具合から、どうみても「墜落」が正しいようです。ここでも言い換えて責任逃れ、責任の度合いを少なくしようという魂胆が読み取れます。 「戦闘」を「衝突」と言い換えていますし。

 何にしても日本国内での事故なのに、日本の警察は事故現場にさえ近づけません。遠回りにして日本人等の侵入を規制するのが日本の警察の役目ですから、一体どこに日本国の主権があるのやら・・・。こうう状態をほったらかしにしておいて、日米同盟は強固だとかいって自画自賛しているのですから、その能天気さにあきれます。

 超低空を飛行するのはこういうものに任せるべきです。

           ピンボケですみません。

 

 

 「鮎2016」ですよね。 私の好きな髙橋祐次が、九州は鹿児島県の天孫降臨の川、天降川(あもりがわ)での大鮎釣りに挑戦しました。時は、時は元禄十五年12月14日、きのうは赤穂浪士の討ち入りの日でしたね。3,4日前に吉良邸討入りの実況中継を古館一郎がやっていましたが、結構面白かったですね。後半しか見なかったけど。

 吉良側は屍累々なのに、赤穂側は死者はなしですから、えらい違いです。夜間だということ、吉良側のひとりに対して3人で立向うということであれば、普通負けませんよね。「四十七人の刺客」では、赤穂浪士側は全員鎖帷子を身に着けていたといいますから、重くて動きは鈍るでしょうが、切られても顔面でなければ打撲で済みます。

 最初の考えでは浅野家の菩提寺泉岳寺に行く気はなく、近くのお寺で済まそうとしていたとか。でも寺側から断られたため雪の中十キロも歩いて泉岳寺へ行く羽目になったようです。

 一人に対して三人で立向うというのは幕末の新選組の戦い方を思い起こさせますね。新選組の薩長のテロリストとの戦い方も基本的には大人数で立向うというものでした。池田屋事件はその余裕が全くなかったわけですが。   脱線しました。

 髙橋祐次が竿を出したのは、晩秋というべき10月21日と22日でした。しかも聞いたことのない鹿児島県の河川です。何よりも驚いたのは、漁協はあるのですが、鮎釣りには年券しかなく、日釣り券がないということ、しかもその年券の料金がたったの500円ということ、さらにオトリ鮎が1匹これまたたったの200円ということに、ただただ驚き口あんぐりでした。

 

 川は漁協があるので一応は放流事業もやっているようですが、ほとんどは天然ものだそうです。放流事業にお金を掛けなくていいから、年券やオトリ代が安いのでしょうね。ということはどこの河川でも河川の環境さえよくすれば、毎年天然鮎が一杯遡上してくることになるはずですし、そうなれば日釣り券も(年券も)オトリ代も安くなるのでしょうが。

 川の堰を遡上しやすいように工夫すること。 晩秋には産卵床をきちんと整備すること。 川漁師の存在しない川では、投網は全面禁止とすること。 できれば鮎は友釣りを中心とし、専用区をたくさん整備すること。 上流にダムがある河川では水量の調整をまめに行うこと。 バスやブルーギル等の外来魚を根絶すること。  これだけでもかなり環境はよくなっていくと思うのですが。

 

 髙橋祐次の釣りには欠かせないものがあります。常について回るもの、そうです、”雨” です。祐次は”雨男”なのです。 ロケに行けばどこであっても雨が降ってくるのです。今回もそうでした。 でも祐次にはもう一つの特徴があります。

  そうです、「笑い」です。

                      

 常に大きな笑い声が絶えません、どんな時でも。

 

                             

 

                            

  

 

 惜しかった!30.1センチです。これでは正確には尺鮎とは言えません。30,3センチなければならないのです。 やはりさびが入ってきます。

      

 

 

                       

  

 こういうところです。

 

 最後の最後に盛大なショーが待っていました。まさかまさかの展開となったのです。こういうこともあるのですね。 釣りをした場所は海から10キロ以内、8キロ付近とか言っていましたが、それを証明するような事件、まさに事件と言ってもいいかもしれません。

 こんなものを釣り上げてしまったのです。私もかっては白石川で巨大なアメマスを友釣りで掛けたことがありますし、二ゴイとの戦いは何回も経験しています。今年は最上川でバスも釣りました。 でも髙橋祐次が掛けたものとは、これです。

  シーバスです。

                 スズキです。  

   

 掛かった時は何かおかしいといいながら付いて行きました。鮎か、鮎じゃないのかも、大きい尺鮎か、いろいろ言いながら取り込もうとします。橋の上からスタッフ?の声でナマズなんていう言葉も入りました。 でも掛かったのはこんなに大きいシーバス(スズキ)でした。

 初めての経験だそうです。いままで大きなナマズは釣ったことがあるそうですが。 

 リリースします。 

  これはハリが全く曲がっていないという証拠写真です。大物を掛けたのにかかわらず、ハリはピンとしている。 

 如何にハリがいいかということの証明はもうひとつあります。

  これです。下のハリの先に見える物は?

 そうです、鱗です。アユの鱗です。鱗を突き刺す鋭さを持っているということですね。普通は鱗と鱗の間に刺さるものですが、これは見事に鱗を刺し貫いているということです。

 

 

 冬の大鮎釣り。如何でしたか。 長くなってしまいました。ブログを10年やってきてこんなに長いのは初めてかもしれません。読んでいただいて感謝です。 楽しんでいただけたとしたら嬉しいです。 

 

コメント (3)
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髙橋祐次 in 天降川 with 大鮎 

2016-12-14 14:39:17 | お知らせ

 昨夜からの強い雨も今朝方には止みました。雪にならなくて、また凍結しなくてよかったです。 今朝の9時5分過ぎです。

 

 きのうの雨により分流はようやくというか何とか流れがつながりました。見てやってください。

                    

                 

        

 

 本流の方も露出していた岩なんかも大分みえなくなりました。

 

 

 見ましたか?今週の月曜日放送された「鮎2016」 髙橋祐次の出番です。今年の鮎の最終放送でしょう。 楽しんでみましたが、全く知らない川でした。地元の人ならご存知なのでしょうが、みちのくのニンゲンとしては全くの未知の川でした。

 そもそも鹿児島県の川でも大アユが釣れるなんて、失礼ながら考えたこともなかったですね。九州地方の鮎釣り河川と言えば、やはり熊本県、宮崎県そして福岡県でしょうか。みちのくの河川でも秋田県や山形県は全国区でとても有名ですが、宮城県は全く書かれません。無視されている県ですが、実際はそこそこ釣れてはいるのです。このブログの愛読者のみなさまはお分かりかと思います。知られない方がいいのかもしれません。

 鹿児島県の天降川、天が降ってくる川、臨の川のようですが、・・・。凄い名前の川です。それだけで畏れ多いことのようにも感じますし、歴史も感じます。

 

 

 ということでこんかいの「鮎2016」は私の大好きな髙橋祐次が挑戦した九州は鹿児島県の天降川(あもりがわ)での大鮎釣りの様子でした。

       

 そこで狙うは、目指すは、家康の首一つ!ならぬ”大鮎””尺鮎”です。

 

 

 『終焉を 鹿児島の 大鮎で惜しむ。』と書かれていますが、「終焉」の名の通り釣行は2016年の10月21日と22日でした。まずそのことからして信じられません。10月下旬でも鮎が釣れるなんて。静岡県や和歌山県なら極端な話し12月までその気になれば鮎は釣れるとは聞いていましたが、・・・。

 10月下j旬になって川に入っても冷たくはない、しかも大アユが釣れるなんて、まれで鮎釣りの桃源郷ですね。オマケにさらにビックリしたのが遊漁証とオトリの値段です。

   オトリ店です。ウナギや鯉もあります。

                     

 これが遊漁証です。かわいいというか、何ともシンプルです。

 

 そしてこれは日釣り券ではなくて、何となんとナント”年券”なのです。 日釣り券はない!!というのです。 そして驚くなかれこの年券は、年券なのにたったの 500円 というのです。 二つの漁協とも500円です。 たったの500円ですよ。信じられますか!?まだこういうところが日本にあったんですね。

 そしてオトリ鮎も驚きです、たったの 200円 というのです。 だから祐次はいっていました、1,400円あれば釣りができると。 (500+500) +(200×2)=1,400

 祐次の大鮎仕掛けはこうです。

 

 

 

 竿についてはテスト用の竿のようです。何も言ってはいませんでした。次世代のブラックバージョンを開発中なのでしょうか。 

 ハリは最初は8号でしたね。 その後9号も使ったようです。

  これは8号のハリ

 大鮎狐復刻版とか 

 これは一体逆さバリの通し方の説明です。2回回しのセットの使い方です。

             

  

 21日の釣り場所は、「隼人町松永」というところでした。鹿児島空港から車で15分で来れるとか言っていました。

 付近には温泉も一杯  

 

  あしたに続きます。

 

 

 

 


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ちょっと見てもらいたくて、

2016-12-13 14:55:51 | 広瀬川

 きょうはどんよりとした曇り空(時には陽射しも差しましたが)ですが、風がなく日中はまあそれなりに過ごしやすい一日となりました。まだ3時なのに過去形で言っていいものか・・・?

 

                     

 (分流の上流のいつもたくさんの小魚がいた付近にいました。)

  

                    

  

 

 話しは飛びますが、今週の「英会話タイムトライアル」は気象天候に関していろいろ教えてくれます。 It's sunny. (晴れています。)  It's windy.(風が強いです。)   It's cloudy.(曇っています。)   It's rainy.(雨です。)  It's muggy. (蒸し暑いです。) It's chilly.(肌寒いです。)

 便利なものですね。名詞に「y」をつけるだけでいいのです。それで名詞から形容詞になります。きょうはちょっと進んでこういうことを勉強しました。 be supposed to ~です。

 It's supposed to rain today.  (今日は雨が降るみたいですよ。)

  It's supposed to snow today. (今日は雪が降るみたいですよ。)

 あしたの勉強する内容はこういうものです。 Nice weather,isn't it? (いいお天気ですね。)

 Lousy weather,isn't it? (嫌なお天気ですね。)

     

 

 このところ、分流にはカモとサギの姿がほど毎日見られます。この前はカワウもいました。 しかし、どういう訳か、あんなにいた小魚の群れ、何百?何千?といたのに今はすっかり影をひそめてしまったのです。 おかしい? 一体どこに行ってしまったのでしょうか?

 魚は当然のことながら”飛べません”。 であればこの分流から本流へ逃げることは不可能なのです。分流の上流はほとんど水が流れていませんし、下流にしてもニンゲンたちによって石の堤防が何重にもつくられています。おまけに木の葉も一杯くっついています。

 だから私はあれだけの数の魚ではあったが、鳥類に食べ尽くされてしまったのではないか!?という気持ちでいます。鳥類の数に比べて小魚の数はべらぼうに多いかったですが、いつものように分流沿いに歩いても魚の姿は全くと言っていいほど見つからないのです。

 どこかにうまく身を隠しているのかもしれませんが、素晴らしいリーダーがいて。 また、そうあって欲しいのですが。

 

 ということで分流のサギの様子をご紹介します。撮影は8日となります。川面に映るサギです。

   

              

       

 しつこいのはいつものことですが、一枚くらいは「オッいいな」と思われるような写真はなかったですか? こちらからズーズーしく言わないと前に進まないようですので・・・・・?

 

                       

 毎日同じようなことの繰り返しに見えますが、私としてはそれでもその中には何がしかの変化が、動きがあるものだと感じながら、自然の移ろいに驚きながら河原を歩いているわけです。

  

             

 何とかして鳥類たちとお付き合いしたい!近寄って行っても逃げないでほしいと本心から思って河原を歩き、カメラを構えているのですが、難しいですね。 相手は野生そのものですから、無理なのでしょうが、それでも馬鹿な私は何とかできないものか?と思っておるという次第であります。

  

    

 これだけいろんな動き、動作を見せてくれるということに感謝しています。時に馬鹿にされているなと思いながらも懲りずに通い続けているという訳です。

 

                    

 自然から自分なりの感動を分けてもらっていると思うとなんて素晴らしいことだろうと思わざるをえません。

 

 

 


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きょうは、もうこれで、

2016-12-12 15:48:38 | 広瀬川

 (補足) きのう長々と引用しました元教員の佐藤敏郎さんのことは、地元の河北新報の11日朝刊にも記事が掲載されてました。 佐藤さんは鈴木さんたちと「大川伝承の会」の共同代表を務めています。 語り部をしていますが、ひとりでも多くの来訪者に震災の記憶や地域の姿を伝えようと、事前に開始時間を定めた(定時案内)とのことです。

 10日に1回目の語り部をシテ、次回は1月21日の予定だそうです。時間は午前10時と午後2時の2回となっています。

 

 積もりました、雪が。 仙台では初冠雪はきのう(いつもより3日遅いとか)でしたが、今朝はうちの周辺では5,6センチは積もりました。 車にも当然積もり、ガチガチに凍っていました。とっても冷え込みましたが、それでも初めての積雪でしたので、河原の雪景色を撮らないでおくべきか!?という意気込みで午前9時頃長靴を履いて河原へ行きました。

 

 ということできょうは全編広瀬川の雪景色となるでしょう。寒いけど、その割には元気というか嬉しくて一眼レフのカメラとコンパクトデジカメを持って、意気込んで?河原へ行きました。(新しく買った一眼レフのデジカメは安かったのですが、こんなにも乾電池が必要なのか!?とは思いませんでした。 マンガン電池ですと2,3日でバッテリー切れ、アルカリ電池にすると4,5日くらいでしょうか、もつのは。何かとってもひどいものです。そんなものなのでしょうか?)

 

  (上の写真は堤防の東側を、下は西側を撮りました。)

 

 まだ木になっている大きな渋柿はこうなっていました。

 

 でもこの綺麗な雪景色は午前中いっぱいももちませんでした。午後からは雪はすっかり消え去り、路面は乾燥していたり・・・。ラジオによるときょうの最高気温は6.1度とか。きのうの最高気温は4.0度でしたから、きのうよりは暖かいのでしょう。

 

 上下の写真は、上が河川敷公園というか緑地の東側で、下は西側です。

 

 ここからは本流側の広瀬川の雪景色となります。広瀬川は典型的な河岸段丘の川で、流域の片側は崖となっています。

 

 

 

 

 

 どうですか!?雪が積もった朝方だから、風がなく川面が鏡のようにきれいに光っていたからこのような景色が撮れました。 自分で自分を褒めるよりないのですが、とってもきれいな、汚れを隠してくれる広瀬川と雪に感謝です。

 

 最後はやはり広瀬川の分流の写真も見ていただかないと落ち着きません。しつこいですが。

                      

 

                     

              

  

 

           

 こういうのもいいじゃないですか!?

 

          

 


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あの日から、5年9か月、

2016-12-11 14:13:39 | 思いつくまま

 また11日がやってきました。 寒いです。 雪が舞っています。 今朝方は雪がうっすらと積もっていました。 あの日も寒かったです。 雪が降ってきました。 夜は殊の外星空がきれいでした。

  東側

  西側 

 年末でもあり、あの日のことを考えると、思い出すと、どうしても2011年4月24日NHKBSプレミアムで放送された、特選オーケストラライブ 「ズービン・メータ希望の響き」の”G線上のアリア”と”第九”の演奏を思い出します。 

 

 2階でもDVDを聴こうとセットしたのですが、なぜか映りません。それでウイーンフィルの第九第4楽章合唱を聴いています。Christion Thielemonn 指揮のWiener Philhormonikerの演奏です。 第4楽章は27分くらいですので、もうすぐ最後のクライマックスにさしかかります。

 

                

 ソリスト4人の合唱が終わりました。合唱団の最後の合唱です。今終わりました。 仙台フィルの第九特別演奏会はいよいよ1週間後と迫りました。18日の午後開演です。あと1週間です。

 

 

    (2017年1月号です。)

 その204ページから217ページまでの特集として鼎談記事があります。

       

(震災後の大川小学校全景)

 鼎談の中ではとっても重要なことが書かれています。新聞記事やニュースとして語られることのなかったことも話し合われています。 

 3人の中の「佐藤敏郎さん」は元中学校の国語の先生で、いまは学校をやめ、NPOに加入して語り部として精力的に動き回っています。当時6年生だった娘さんを津波で亡くしています。損害賠償裁判には加わってはいません。

 本当はこの「世界」の鼎談記事を読んでいただくのが一番いいのですが、この雑誌は他の雑誌に埋もれてしまって、なかなか本屋に行っても目に入りにくい様ですし、決して安くもないので、かれが語ってることの中で私が重要だと思ったことを書き連ねて行きたいと思います。

 

 『私が知る限り、遺族の人々は、少なくとも一人ひとりの先生のことを責めているのではありません。担任の先生の葬式や法事に行っている遺族も多い。・・・。だから、「先生を断罪」という言葉は私も違和感があります・・・。ただ、偽りや情報隠蔽をはじめとする教育委員会の不誠実な対応が五年以上、繰り返されてきました。その経緯を考えると、教育委員会に対しては、「断罪」でも甘いくらい賀茂しれません。』

 『私たちも、本当に最後の最後まで、時効となる一日前まで、裁判ではない、対話の道を探りました。法廷で勝ち負けを争うのではなく、事故ときちんと向きあって、遺族と一緒に進むというのは、教育委員会にとってもチャンスだったはずです。・・・。教育委員会は、あの三月十一日の時点ですでに裁判を想定して準備をしていた。私はそう思います。自分の子どもの死を嘘と偽りで語られ、説明会のたびに遺族は心を折られて苦しみました。子どもたち、先生たちの命を教訓にもしてくれない。』

 『あの時、校庭から子どもたちを釣れ出すことができたのは、先生しかいないのです。先生は、子どもたちを避難させ、命を救うことのできる素晴らしい存在なのです。・・・。教員はそういう誇りを持つべきだと思います。・・・。私は、あの時、学校であったがために陥ってしまった状況があったと考えています。いわば「学校バイアス」のかかった状況になったのではないか。』

 『大川小学校では、生き残った先生をはじめ、山に逃げようと思っていた人はいたのですが、それが組織の意思決定につながらなかった。そこがもっとも大きな問題です。』

 『裏山に逃げようと考えた先生が複数いたのは事実です。教頭も山に避難したいと思っていた。私は、そこで地域の人に聞いたのが間違いだったと思います。なぜなら、地域の人について言えば、大川小も危険だと予想した人はすでに別の場所に避難しているからです。校庭にいる地域の人は、ここが安全だと思って集まっているわけです。そこで教頭が孤立してしまった。』

 『防災訓練で・・・、重要なのは本部の意思決定の訓練です。それぞれの役割を確認し、情報を共有して意思決定をする本部、大川小ではそれが機能していなかった。』

 『最後にとった避難ルートは、川に向かってしまうルートでした。そこにはフェンスがあって、切れ目の幅九十センチくらいのところを通って避難しました。段差や木もあって、一斉に逃げられない。』

 『生き残った先生は、前任地が海の近くの学校で、かつ自然科学の専門家でした。この先生は地震直後に津波が来ると考え、校舎から校庭に避難するときに「津波が来るから山に逃げるぞ」と言い、いったんは児童も山に逃げはじめた。しかし、それが津波警報の前だったことから「勝手なことをするな」と引き戻されてしまいます。・・・。「(山へ登って)転んだらどうするのか」「落ち着け」などの意見が主導権を握ります。・・・。「もし津波が来たら」ではなく「もし、津波が来なかったら」になった。・・・。あの時、大川小の先生たちは、山へ逃げることを否定したあと、津波警報が出ても、親やバス会社、それに子どもが逃げようと言っても、意思決定の機能をストップさせてしまった。』

 『生き残った子どもたちが一生懸命証言してくれた、その記録を、市教委は廃棄しました。あのとき、子どもたちは「逃げよう」と言っていた、という核心的な事実を、市教委は報告書に盛り込まなかった。そこで検証委員会はもう一度、(生き残った児童の)Tくんに聞き取りをしました。このとき、一番聞かなければならないポイントは、子どもたちに危機意識があったかどうか、という点です。ところが、検証委員会は、「あの時、『山に逃げよう』と言った児童がいたか」という肝心の質問をしていないのです。さらに、児童を迎えに行ったお母さんの、「ラジオを聞いてきた、ここは危ないから逃げて」と訴えた、という証言も採用しなかった。』

 『検証委員会は、・・・。遺族の心を折るための装置だったとしか思えない。』

 『学校はもともと集団なんです。防災に限らず、常に集団を念頭において経営されるのです。学校の「万が一」「念のため」は一般のそれと同じでいいはずがありません。自分の判断で行動できる大人とは異なり、子どもの命をあずかっているのが学校です。』

 『津波のときの避難マニュアルが存在していた、・・・。津波のときは「近隣の空き地や公園に避難する」と明記されています。ところが、大川小の近隣には空き地も公園も存在しない。そういう実体のないマニュアルが震災の数年前から運用されていた。・・・。つまり、このマニュアルによって命を守ろうとは考えてもいなかった、』

 『「命を守るマニュアルになっているかどうか」、・・・。大事なのは想定外のときに役立つかという観点です。・・・。大川小の校庭は日本のどこにでもあります。』

 『生き残ったものの、今は出てこれない先生も、いつかは同じ「船」に乗って、一緒にハモれると思っています。生き残った先生が不幸になるようなことがあってはならない。娘たちが大好きだった先生です。』

 『教育委員会は、・・・。あれだけの人が亡くなったにもかかわらず、その原因と真摯に向き合おうとはしなかった。・・・。説明会などの場での対応は、裁判になることを見越して、組織防衛を優先させたものでした。』

 『辛かったのは、「なんで先生の言うことを聞いたんだ。だから死んだんだ」と言われることです。・・・。でも、「学校に行ったら先生の言うことを聞くんだぞ」と親が送り出せるような学校でなければならないと思います。』

 『みんなが船に乗っているのに、教育委員会や検証委員会は荷物だけ残して船から降りていくような間隔がありますね。…。私たちは遺族なので、この船には乗り続けなくてはならないんです。』

 『わかることはしっかり遺族に説明してほしい。なのに、明らかな嘘や事実の隠蔽があまりにも多い。当初、教育委員会から「説明会は開催しない」と言われて、それはおかしいとなった。・・・。きちんと謝罪をして、しっかりと調査をしていれば、ここまで複雑な問題には成らなかったはずです。』

 

 長い長い引用となってしまいましたが、ここまで読んでくれたみなさまにはこころより感謝申し上げます。どうお感じになったでしょうか。 ありがとうございました。 「先生の言うことを聞いただけなのに」という横断幕をもって裁判に臨んだ原告団の気持ちが改めて重く感じました。


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12月10日ですが、

2016-12-10 14:17:48 | 思いつくまま

 きのうは大変失礼いたしました。 お昼前後に雪が舞うようになりました。それをこたつに入ってみていました。積もることは全くない降り方です。

            (午前10時過ぎ)

 

                      

   

                      

  

 

 ということで、きょうは10日ですが9日になったつもりで書かせていただきます。12月9日、羨ましいことに公務員にボーナスが支給されたのですね。もうボーナスと縁が切れてから何年になるのでしょうか? 全く関係のない季節の風物詩?となってしまいました。

 でもニュースによると一番多い支給額は最高裁判所の長官の500何十万円とか。私に言わせれば裁判所は、特に最高裁判所はそれだけ働いているか?ということです。今回の騒音訴訟でも地裁高裁の奮励努力を台無しにしてしまいましたし、、そんな権力寄りの裁判官に高額のボーナスは不要であると皮肉りたくもなります。

 とくに言えるのは庶民感覚とのあまりの乖離ですね。国政選挙における1票の格差に対する考え方には呆れてものが言えません。庶民感覚からすれば2倍の差だってもう大きな格差差別ではないですか。それなのに隔離された特別の輩はそうは考えないようです。

         

                 (寒いのにさすが若者)

 

 また9日は夏目漱石の命日、それも没後100年の命日とか。死ぬまでにもう一度漱石全集を読もうと考えていたのですが、なかなかどうして読めません。その代り朝日新聞での毎日の漱石の新聞小説を読ませていただきました。 毎日少しずつ決まった分量を読み進めるのと、自分の好きなだけ読み進めるのとではそれぞれにいいところはありますが、新聞小説は毎日が楽しみになるようです。

 ここ10数年かな新聞小説を全て読むようにしているのは。なれればこれが結構面白いのです。待ち遠しくなります。ましてや中央紙ですので朝刊と夕刊の二つの小説が読めるわけで、これは嬉しいことです。 みなさんのなかで新聞小説に目を通していない方がいればもったいないので是非とも目を通すようにお勧めします。途中からでもいいですよ。

   

           (左側の岩の上にサギがいます。)

 

 そして12月9日は私の尊崇する作家「野坂昭如」が亡くなった日です。早いですね、もう一年が経つのです。永六輔も大橋巨泉も亡くなりました。その前に水木しげるも亡くなりました。(敬称略) 

         (ヘビースモーカーですから)

 興味深い記事が12月2日の朝日新聞にありました。 『火垂るの墓  原点の防空壕』 『野坂昭如さんが妹と過ごした地』 『研究家ら自伝もとに確認』 という見出しです。 「火垂るの墓」は反戦争小説の傑作中の傑作ですね。

         12月2日の朝日新聞 

 西宮市満池谷(まんちだに)町に親類宅や防空壕があったそうです。西宮の阪神本線ではなく、阪急神戸線の夙川の北側ですね。 西宮と言えば、私にとってもとっても思い出の多い、若かりし頃に住んだ街です。

 阪神甲子園の独身寮に居ましたから、大阪までの通勤は阪神電車に乗って梅田まで行き、そこから地下鉄御堂筋線に乗り換えて、本町かその手前の淀屋橋で降りて会社へ通ったものです。(だからその昔流行った、「雨の御堂筋」がすきになりました。)毎日阪神甲子園球場の脇を通りました。 そのむかしは阪神甲子園パークがあり、野球場のほか、動物やプール、とってもでかいボーリング場なんかもありまたね。

 朝は8時18分かな、これはぎりぎり間に合う阪神電車の甲子園駅発の時間で急行電車だったかな。仕事が終わってからは特急が甲子園駅に止まってくれましたので、特急電車を利用しました。甲子園球場で阪神タイガースの試合があると、電車の前に虎のマークをつけていましたね。

 甲子園浜までもすぐでしたので、仲間と夏に砂浜で凧揚げをしたことがありました。そのころから甲子園浜の埋め立て工事をしていましたので、もうすっかり様変わりしていることでしょうね。

 またしても話しは脱線しました。でもいいのです、このブログは子どもの知らないことを、子どもにも伝えておきたいと思っていますので。

 もしもそのうち大阪へ行くことがあったら、時間があれば寄ってみたいなと思います。

 「新潮45」という雑誌をご存知ですか。個人的にはつまらない右寄りの本ですが、その中でこれだけは読んでいこうと思うようなものがありました。だから図書館で借りて、該当する部分をコピーしています。 奥さんの野坂暘子さんが毎月夫野坂昭如との生活の思い出等を描いています。

 

 連載がスタートしたのは、今年の2月です。そのときは「だまされ庵日記  追悼 野坂昭如」となっていましたが、3月号からは「うそつき 野坂昭如との日々泣き笑い」という標題となっています。 図書館の蔵書ですので新しい号は本棚になかなか並んでいません。 このなかで一番新しいのが下の左側で、6月号です。

               

 「この季節、あなたは空を仰いでいた」 これは6月5日に神戸大空襲があったからです。そして野坂昭如が浮浪児になった日です。

 奥さんは書いています、「彼の人生は、生まれた時から小説であり、ドラマチックであるが、この日はまさに運命というほかない。彼にとって、原点ともいえる大きな意味を含んだ日であったのだろう。」と。 「野坂が一生背負い、語り続けてきた戦争というおろかな人間の行いを忘れてはいけない。許してはならない。」 とも。

 彼が「神戸空襲を記録する会」に寄稿した文章を掲載しています。その中から引用させていただきます。

 『ぼくは空を見上げ、ここに鉄砲があればと願った。B29を打ち落としてやる、やられっぱなしが悔しくて涙が流れた。ハッと我にかえり、振り向いて家を見た。庭の立ち木が真黒な煙をあげている。玄関がない。さっきまでそこにあった家がない。真っ赤な炎が吹き上がっていた。黒い部分は煙がゆるやかに流れ出ていた。

 屑かごだった。養父は人員殺傷小型爆弾の直撃を受けたのだ。養母は一歳二ヶ月の妹を守り地下壕で大火傷。

 「お父さん、お母さん」

 ぼくは三度呼んだ。そして逃げた。走った。六甲山の麓へ後も見ずに駈け出し、どぶに飛び込み、石のフタの下にもぐり込んだ。目の前にタケノコの如く数百本の焼夷弾が植わった。真赤な空に金色の粉が雪のように舞い落ちてくる。木立の間から見える海側はすべて火であった。ぼくの家族も焼きつくされていた。後は何も覚えていない。記憶を消したのか。ぼくは一人ぽっちとなる。

 まだ十四歳だった。』

 焼夷弾の説明もしています。 「六センチほどの八角形で長さ八〇センチ。これが何百本と束ねられ、地上に近くなりバラバラにほどける」

 前にも書きましたが、私の親もよく言っていました、花火の打ちあがる音が焼夷弾の落下してくる音と似ていると。そして不発となった焼夷弾の油脂をとって燃料に使っていたそうです。


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12月9日なのに、まったく、もう

2016-12-09 21:32:53 | お知らせ

 午前中は午後からの会議の準備と支払いの準備、午後は会議とその後打ち合わせでほぼ潰れ、夕方から夜は第3回目の忘年会。

 ビールをコップに一杯のみ、その後は勧められないようにと冷酒の手酌酒でほんの少しちびりちびりと飲んだだけなのですが、すっかり酔っぱらい、目の周りが薄暗い感じになり、血圧もかなり下がっているなと思いました。

 お開きになって何とかタクシーで帰宅しました。

 もう限界です。

 こんなことは本当にい久し振りですね。

 過去には何回か酔っぱらって謝ったことはありましたが、ここ数年はなかったことです。

 もうだめ、玄海です、限界です。

 なんでこんなに弱くなったのでしょうか。

 老い先短いのにこんな状態では何か虚しさを感じます。

 寒さの冬は日本酒とともにじっくりゆっくり過ごそうかなと思っていたのに、・・・・・。

 すみません。

                                       お休みなさいませ。


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12月8日に寄せて、

2016-12-08 14:49:03 | 思いつくまま

 朝方は冷えましたが、その後の天気はそこそこ良くて、それなりに快適に?過ごしています。 でもやはり時間の経過とともに冷え込んできています。

            (午前9時15分過ぎ)

 

 そうそうきのうの党首討論、見ましたか? いやあ酷いものですね、ここまで無責任な総理大臣とは。やはり詭弁強弁ハグラカシ誑かしの大家だけあります。口では毎回国民に丁寧に説明する何て言ってきながら、ついぞそうしたことがない。 またマスコミも深く追求しない。御用マスゴミが多いから。やらば大樹の陰、権力におもねるだけでなく、権力を更に煽るのですからもうどうしようもありません。 

                

 

 それはそうとして、きのうの党首討論、カジノ法案のやり取りでは、まともに受けて立って反論するというものからは程遠いもので、安倍は議員立法だから、担当ではないから答える必要がないなんて言っていました。 呆れてしまいました。こんな輩が日本という国のトップなのですから、恥ずかしい。 経済成長、景気好転が主眼のはずなのに、それを促進するためのカジノ法案なのでしょう(表向きは、少なくとも)。

               

 第一安倍は自己否定しています。安倍は行政府の長であるとともに立法府の長でもあるじゃないですか!!そのことを忘れている。立法府の長でもあるから、議員立法には責任があるのです。 きちんとそのことを自覚して、責任をもった言動をしてくれないと困るわけです。

  

 

                                   (右端下にサギの姿が見えます。)

 きょう12月8日は、と書いたら、みなさんはアジア太平洋戦争(でも我々が小中学校のときは「アジア太平洋戦争」なんて言わずに「太平洋戦争」と言っていましたよね。)がはじまった日と大半の人は思うことでしょうが、41年前のこの日新婚旅行でハワイへ行った日なのです。

 

 たしか8日に羽田(成田ではなく)を立って、時差の関係で7日にホノルルに到着しました。始めての飛行機はジャンボジェット機で、初の海外旅行でしたね。 当然真珠湾へも行きました。アリゾナ記念館にも立ち寄ったと思います。ちゃんと日本軍の空襲や攻撃で亡くなった兵士たちの冥福を祈ってきました。

        

 

 そこへ今度安倍殊勝ならぬ首相が訪問するとか、オバマ大統領と。殊勝な心掛けです。ホノルルへ行くことには反対はしません。謝罪するしないということははっきりしていないようですが、まずは行って見るというのはいいかと思います。

 そしてせっかくホノルルの真珠湾へ行くのであれば、さらに推し進めて韓国や中国へも足繁く訪問して欲しいですね。安倍で感心していることは、その行動力です。いい悪いは別としてもその身の軽さには感心します。いくら日本に居たくないとはいっても。また歴代首相の中で断トツで世界の各国に足を運ぶのが目標だということでも。

 それならいくら宗主国であってもアメリカばかりに出かけるのではなく、もっと身近なアジアにも足を運んでほしいものです。YES,YOU CAN! アメリカ一国だけに比重を掛けるのではなく、東西の国に対してもバランスよく比重を掛けて欲しいものです。どんなにあがいても日本はアジアの一員ですよ。アジアからは逃れられないのです。

 トランプの外交戦略は”取引”だというじゃないですか。であれば勝手のニクソンの訪中のように、何らかの形で日本の頭越しに米中は動くと思いますよ。その時になって慌てても遅いのです。むかしから米中は対立しつつも、どこかでつながっているという気がします。

 みなさん、世界地図を開いてみてください。中国とアメリカは同じような形をしていると思いませんか。緯度も近いし。もちろんアラスカを除きます。 どちらの国も日本の27倍前後の大きな広い国土をもっています。 そういう地理的な要因も関係しているのでしょうか、もしかして。地政学から説明できないのでしょうか。

 

 【大本営海軍部発表】(十二月八日午後一時)

 一、帝国海軍は本八日未明ハワイ方面の米国艦隊並びに航空兵力に対し決死的大空襲を

    敢行せり(以下略)

 【大本営海軍部発表】(十二月八日午後八時四十五分)

 一、本八日早朝帝国海軍航空部隊により決行せられたるハワイ空襲において現在までに判

    明セル戦果左の如し

      戦艦二隻轟沈 戦艦四隻大破 大型巡洋艦四隻大破

   以上確実、他に敵飛行機多数を撃墜撃破せり、わが飛行隊の損害は軽微なり

 二、わが潜水艦はホノルル沖において航空母艦一隻を撃沈せるものの如きもまだ確実なら

   ず(以下略)

 

 以上は下記新書からの引用です。皆さんはもうお読みですか。私はあと数ページで読了です。 GS幻冬舎新書424 定価860円+税

  (表)   (裏) 

 裏表紙の文言です、拡大しています。

                

 新聞の書評です。うまく要約されています。

 

        

 如何に日本軍の情報に対する考え方がお粗末だったか、本来ならこのような大戦争には陸軍と海軍の緊密な連携が必要なのに、現実は陸軍と海軍の抗争に明け暮れていたといっては言い過ぎかもしれませんが、そう言いたくなるほど協同での作戦遂行がなされていないのです。もうそれは悲しいくらいです。これでは戦争に勝てるはずがありません。

 海軍が圧倒的に優勢だったのはミッドウエー海戦までで、その後は劣勢に継ぐ劣勢となっていくのですが、海軍が大敗してもそのことを陸軍にきちんと知らせていなかったために、陸軍が辛酸を極めた作戦に打って出たりという素人でも考えられないようなことが行われていたようです。

 

 以下の3枚の写真は父の弟(おじ)の若かりし頃の軍服姿です。詳しいことは分からないままですが、関東地方の海軍にいたそうです。海軍の陸戦隊のようです。 生きて戦後を迎えました。

 

 

         

 

 

 

 

 


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大雪です、

2016-12-07 16:24:26 | 思いつくまま

 きのうは時間の経過とともに気温は下がり続けました。 きのうの最高気温は12.5度でしたが、これを記録したのはナントなんと何と午前6時だそうです。朝の6時でした。 それからは時間の経過とともに気温は下り続けまして3.8度くらいまでも下がりました。仙台市内でも雪が舞ったということです。

             (午前9時15分頃)

 

 きょうも朝から寒い、空気の冷え込んだ一日でして、風がなかっただけマシではありましたが、本当に冬なんだなあと変な感慨に耽ったり・・・。それもそのはず、きょうは「大雪」なのですね。いかにも寒そうです。 『閉塞成冬』(そらさむくふゆとなる) まるで天を塞ぐかのように重苦しい空、冬のイメージそのものですね。 午前中は陽射しもあったのですが。

              

 (ちょっと嬉しいことがありました。分流の上流域です。すっかり干上がっていた状態でしたが、いつの間にか水溜りができていました。)

 

                

 

 

 そうそう昨夜は布団に入っていてはじめてちょっと寒いなと感じ、布団の中で丸まって寝ました。もともと丸まって寝るのが好きなのですが。 そろそろ例のものの出番かなとも思います。そうです、”湯たんぽ”です。 これがあるとないのとでは大きな違いです。いつ使うか、もう時間の問題です。

 

 (この分流の下流付近に2羽のカモがいましたが、こちらが気がつく前に飛び立ってしまいました。でも写真は撮れました。)

                

 

 そして朝食後ちょっとしたことで振り向いたら腰に鈍痛が走りました。寒河江川でなった時以来かな。座っているともうすっかり腰が固まってしまって、立ち上がっても腰が曲がったおじいさんスタイルとなります。 逆に立っていたり、歩いたりしている方が真っ直ぐ近くに立てます。

 今週はいろいろと忙しいのに、こんなことでは先が思いやられます。注意してたのになあ~。

 

  (木々の葉はもうかなり落ちています。何か木々も裸というか骨だけになるような、寒くさみしい感じもしないでもないです。)

 

 小川宏さんが亡くなっていました。朝のワイドショーの小川宏ショーで顔なじみのアナウンサーです。90歳とのことで、これまたむかしむかしのことになりますが、私が学生時代に小川宏ショーが新しく完成した国鉄駅前で、完成を祝うということで朝から開催され、バイトをしたことがありました。

 今みたいにいろんなものが機械化されてはいなかったので、駅前に2台か3台のカメラを備えましたが、これを動かすバイトでした。固定カメラではなく、場面場面で移動して、次の撮影に入るというものでしたので、あちこち移動するための人力が必要でした。 約50年前のできごとです。よく覚えていますね、むかしのことは。 でも新しいことはさっぱり覚えられません。有名人でさえ、共演した?美人女優でさえ名前が出て来なくなってきました。正直辛いものがあります。

 

 嬉しいことはNHK会長の籾井が一期だけで退陣するということですね。ジャーナリズムの風上にも置けない、数々の反動的な言辞や世迷言を繰り返しましたので、本来なんらもっともっと早く退陣させるべきだったのですが、これも安倍自民党独裁とも言っていい状況では困難なことでした。

 今度は上田何某という人がなるようですが、どこまで政権や権力者に物申せるか、お手並み拝見です。といってもまあ籾井ほどひどいことはもうあり得ないでしょうが。 おもしろいと感じたのは、籾井は三井物産出身なのに対し、上田は三菱商事出身だということです。

 三井物産ではもうやっていけないから今度は三菱商事にバトンタッチという形をとったのは面白いですね。 少しはジャーナリストの意地みたいなものを見せて欲しいものです。

 

 きょうも午前中可愛いというか、いじらしいというか、心を和ませてくれる光景に出合いました。 今冬2回目でしょうか。 これです。 周囲に注意しながらも、何とかして美味しいものを食べたい!そわそわしながら熟し柿に食いついています。

 

 これなんか新しい熟し柿です。 半分以上食べられている熟し柿は5,6個はあるのですが、そういうのはパスして、新しく食べ頃になった柿がいいようです。

                        

 ある意味贅沢というか、きちんと食べ頃を把握しているところなんか憎いですよね。さすが野生!とも言えるようです。

  

                


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祝?!仙台市地下鉄開業1周年、

2016-12-06 15:36:32 | 思いつくまま

 何か朝方から不安定な天気で、小雨がぱらついたりしていました。でもその後止んで、10時からの実行委員会へは自転車で行けるなと思ってたら、また降り出してきて、仕方がないので歩いて行きました。 まあ距離的にはちょうどいいウオーキングになる感じです。

                       (午前11時30分頃の撮影)

                   

 

 昼過ぎからは風が出てきて、ますます強くなって来ました。 ごごからちょっと車で買い物に行ってきたのですが、時折車も少し流されます。 加えて空気も冷たいし、木枯らしが吹き荒ぶといってもいいのではないでしょうか、寒がりの私としては。

                    

  

 

 

 早いですね、12月に入ったかなと思ったらもう6日です。12月6日と言えば、一年前のきょう仙台市に2本目の地下鉄が開通した日です。 地下鉄南北線に続いて地下鉄東西線の開通です。 たった100万の都市に地下鉄なんて無理をしてる、背伸びし過ぎだと思っていますが、やはり地下鉄東西線の収支は厳しいようです。

       ①  ①

  (去年の12月7日、国際センター駅から地下鉄車両がやってくるのを見ようと、または写真に撮ろうとしている人々です。)

 JRともつなげない、そもそも地下鉄東西線に乗り入れられないというのでは無駄が多すぎました。個人的には地下鉄は反対です、いまでも。時々利用はしていますが。市電こそ何とかすべきでした。なにをいまさらですが、広島みたいに、富山みたいにできないことはなかったはずです。

 市電の軌道内に車を入れたのがそもそもの間違いでしたが、時の行政のトップは逆にそうすることで市電を廃止して地下鉄を建設する口実にできると考えたのでしょう。加齢に伴いどうしても愚痴が多くなってきます。人の名前がなかなか思い出せなくて、顔は浮かぶのですが、名前が出てきません。マジにこれはヤバイなと思っています。

         

 (これは去年の12月6日の写真で、東の荒井駅からやってきた地下鉄です。まもなく国際センター駅到着です。 ①のところからはこのように地下鉄車両が見えます。下の川は広瀬川)

 そのうちこのブログも”愚痴”の捌け口になってくるのかもしれません。

 地下鉄東西線には12の駅がありますが、当初の利用客の見込みは119,000人でした。でもそれはすぐに下方修正されまして80,000人になりましたが、実際は50,000人弱の利用者となっています。 当初の半分以下、下方修正後の62%くらいの利用者数です。

     

 (これは国際センター駅を発車して大町西公園駅へ向かっているところです。)

 12の駅ごとの利用客数も出ているのですが、各駅ごとの目標達成率は低いもので、100%を超えているのは川内駅と国際センター駅の二つだけです。それはこの付近に東北大学があり、高校が3つもあるからです。いわば学生で持っています。

 それぞれの始発駅であり、終着駅でもある東の荒井駅は45%、八木山動物公園駅は53%となっています。 仙台駅ですら58%ですから、何をかいわんやです。

 

 (この記事とは直接関係はありませんが、八木山動物園というとどうしても思い出すことがあります。それはパンダです。あの大震災と大津波の被害があったとき、中国からパンダがやってくるという明るいニュースが駆け巡りました。でもいつしかそのことには誰も触れようとはしません。うやむやのうちになかったことになっているのでしょうか?ダメならダメではっきりさせてほしいと思っていますが皆さんはどう思われますか。この前のテレビによると、中国ではパンダの飼育が盛んで、子育ても順調にいっており、今は成長したパンダを自然に帰そうとしているとか。だから数が少ないから貸し出せないということではないと思うのですが。パンダがいればもっともっと利用者は増えるでしょうに。これも愚痴です。) 

                     

 

 (これは5日の撮影です。国際センター駅に向かっています。)

 これから仙台の人口も減少傾向に移っていくようですから、地下鉄は仙台市の財政にとって大きな負担となることでしょう。観光に大きく寄与しているとは言える状態ではない(パンダがいれば少しは貢献するでしょうが)ですし、これから地下鉄をどうしようと考えているのでしょうか。 

 

 (これは東に向かって走っています。)

 いざという時の、地下防空壕の役割はあるでしょうし、地下鉄の遮断装置があれば、核戦争になった時いっときではあっても放射能から身を守れるでしょうが。

 

 冷えてきました。足もとがスースーします。

            

コメント (3)
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やはり子どもがいないと、

2016-12-05 15:43:25 | 思いつくまま

 おととい、きのうと暖かい日が続きました。おとといが14.0度、きのうは15.0度が最高気温でした。助かりますね。きょうは何度になったか分かりませんが、さほど寒さは感じません。

 

 

 分流の取水付近はもうすっかり干上がっています。 大きなため池となっています。

                 

       

 

 

 だから朝の立哨もさほど苦にはなりませんでした。 しかし、きょうは月曜日なのですが、公立小学校は代休でした。土曜日に行事が入っていました。 子どもたちの元気な、明るい笑顔が見られないのはさみしいですね。

 

 (分流に居ました、オシドリでしょうか。)

 あの子どもたちの元気の源、パワーを感じさせてくれることが楽しみなのですが。子どもってよく走りますよね。突然走り出したりもします。車を運転していて少しびっくりしたことはありませんか。坂であっても信号が青の場合なんか走ってきます。走らなくてもいいのにと思うのですが、そこが元気な子どもの元気な子どもであることの証明なのでしょうか。

 

  (少しずつ上流域へ泳いでいきまして、)

 でも何人いたかな、ランドセルではなくてリュックを背負っていた子どもは。児童館に向かう子どもたちです。10人未満ですか。児童館は8時から開いているといいいます。共働きの家庭では学校が休みでも児童館が開いていて、子どもたちを遊ばせてくれるということはありがたいことですね。

 

 (このあと飛び去りました。)

 とくに家の地域は子どもたちが多いので、彼らと会わないと、彼らが登校してくれないと地域全体がしゅんとしている感じになります。 しかし、だからという訳ではないでしょうが、今朝とっても珍しい光景を目にしました。

 2回目の忘年会の夜は月と宵の明星に感動しましたが、今朝は何となんとナント”白鳥”の編隊を見ることができました。北の方から南南東の方向へ7羽編隊で菱形になって飛んでいきました。絶対に白鳥だとは言える自信はありませんが、あの白さや形から言ってそうだと思います。

 

 もうすぐ干上がりそうな広瀬川の分流ですが、小魚はもう数えきれないくらい群れています。

 (以下の3枚はきのうの撮影です。)

 

               

 

 

 今週は9日に3回目の忘年会がありますが、1回目と2回目の忘年会は全く別の団体でしたが、忘年会の場所は同じでした。そして料理も全く同じでした。 違いは1回目は料理が早かったですが、2回目はなかなか出てきませんでした。混んでいたようです。

 こういうこともあるのですね。でも3回目は別の店となっています。

 

     

           

 


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きょうも快晴、でも・・・

2016-12-04 15:51:57 | お知らせ

 今NHKFMを聴いていたら、きょう12月4日がサントリー10,000人の第九合唱の日だそうです。 チラシを探したら確かにそうでした。 大阪城ホールでの開催です。 本番は午後3時から5時30分ですので、まだやっています。第2楽章を演奏中でしょう。まだ合唱隊の出番はありません。 

         (午後3時過ぎ。 他の河原の写真は午前10時過ぎです))

 

 集合は午前9時ですので、参加するためには前日から大阪に行っていないと無理ですね。というか、前日3日に総合リハーサルがありましたので、3日4時までには会場に着いていないといけません。 どうなんでしょうね、10,000人とともに歌う第九合唱は! ものすごい感動に包まれるのか、又はまったく逆で合唱にならないのか。ならないということはないでしょうが、4つのパートがどこまで揃うのか、どこかに無理があるのでは?何て失礼ながら思ってしまいます。

                  

 でも2011年にみちのく合唱団として仙台で参加した(宮城学院大学)こと、その前の練習でマエストロの佐渡裕指揮者と直接肩を組んで歌ったこと(行進曲の部分)がいまだに鮮明に思い出されます。というのも、茶の間の欄間に新聞社から提供の写真を、手作りの額に入れて飾ってありますので、否が応でも毎日見ることになるわけです。

           

 仙台での第九特別演奏会は18日ですので、あと2週間後ということになります。楽しみです。

 

 

 きょうも素晴らしい一日というか、いい天気でしたね。暖かいです。助かります。 あっそうそうきのう夕方というべきか夜というべきか、午後5時頃のお月様を見ましたか? まさに伊達政宗の兜のような三日月でしたが、それだけではなく、その左下の方にとっても明るく輝く星の姿がありました。 カメラがあれば何としても撮ったのですが、ガラケーでは無理でした。宵の明星なのでしょうか。バス停でバスを待ちながら感動して見ていました。前に並んでいた若い女性もスマホで写真を撮っていました。昨夜は感動の気持ちを抱いて、2回目の忘年会へ行ったということです。

 

   (サッカーが多かったです。)

 

             (ボールが分流に入ってしまったりも)

         

      (少年野球チームの姿もありました。)

 

 

 きょうは午後から講演会へ行ってきました。 「みやぎ憲法9条の会」主催のつどいです。

 

 

 「輝け世界に!伝えよう未来へ! 憲法9条を守り生かす宮城のつどい 2016」というものです。

 

 講師は樋口陽一さん。地元仙台の出身です。同年代の仲間には、井上ひさし・菅原文太がいます。彼らの話しも交えながらの1時間20分くらいの講演でした。

 

   憲法学者の樋口陽一さん 

  (ピンボケです)

 もう80歳を超えていますので、流暢な話しとはいかず、聞き取りにくい声や咳ばらいが多くなったりして、その点がもったいなかったです。

 太平洋戦争の開始時期から敗戦時期の社会の断面、戦後すぐの憲法学者の動き、そこから遡って明治憲法の制定過程の中での動き、そして現代の動き、自民党の改正憲法草案の問題点等多岐にわたっての話しでした。

 

 終戦直後には美濃部達吉や佐々木惣一という当時の大御所と言っていい憲法学者の考え活動を紹介し(二人とも憲法改正は不要という考えでした)、『その当時黙していた人たちやその子孫が憲法の押し付け論を言い出すのは、可笑しいし恥ずかしい話しで、無知でありモラルを欠く』とまで言っていました。

 『自民党の憲法草案は前文で天賦人権説を完全に否定しているが、明治憲法制定の頃には「自由は人の転生なり 自由を保つは人の道なり」という考えがあったこと。 それは「天は人の上に人をつくらず」にも通じることだし、「お天道様が見ている」という考えだって天賦人権に通じるものがある。』

 『明治憲法制定前の議論では、すでに「立憲」という言葉が出ていたこと。元老院であまりに進みすぎているということで棚上げされてしまい、忘れ去られてしまった。』

 『自民党憲法草案の前文では、和 とか 家庭 とかの言葉が出てくるが、そういうことは憲法に書くことではないということを明治の政治家も分かっていて、道徳は国政事項ではないということで教育勅語に書かれた。』 

 最後に映画監督の伊丹万作の言葉を引用して終わりました。映画は「無法松の一生」です。この映画は戦前は軍により検閲にひっかかり、戦後はアメリカによって再度検閲に引っかかった映画ということで、二重の検閲にひっかかった映画で勲章ものだといった後、監督の言葉として、『だます者とだまされる者が揃わないと戦争にならない。簡単にだまされ、思考力を失い、信念を失い、自己の一切をゆだねた国民全体の無自覚無反省。おそらく今後も何度もだまされるだろう。』(1946年の言葉)

 厳しい言葉ですね。でもいまこそ噛みしめる必要のある言葉、痛切な言葉ではないでしょうか。  少しでも参考になればありがたいです。

 


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空中輸送!瀬田匡志

2016-12-03 14:14:21 | お知らせ

 いやあきょうのこの天気、一体どうしたというのでしょうか? こんなに好天でいいのでしょうか? 全く文句のつけようのない、もったいないくらいの快晴の初冬となっています。

            (午前10時頃)

 

  堤防沿いには、まだ色とりどりの花が咲いています。

 

                           

    

 きょうは夜2回目の忘年会がありますので、早めにブログを書いています。 来週3回目の忘年会があり、その翌々週には歓送迎会があります。といってもこの頃は飲めなくなりましたので、無理して飲むことはしないようになりました。食べることとおしゃべりに楽しみを見いだせればいいのですが・・・・。

                 

 珍しく分流に釣り人がいました。彼の両親らしき人もいました。 下水の放流口には小魚がいっぱい溜っていました。それを見れば釣ってやろうと思うのは自然なことでしょう。

 

 こういう小魚です。

           (これは下水の排水口付近ではありませんが)

  

 

 私が分流に下りていったときにリール竿で釣りはじめて、すぐに掛かりました。餌を聞いたら魚肉ソーセージとか言っていました。

                   

 アブラハヤです。これは大きい方の型です。多いのはもっと小さいです。

 

 これはすぐに釣ったのはいいのですが、その後が続かないようでした。魚に対してハリが大きかったようです。大き目の魚であればいいのですが・・・。

                          

 そうそう定点観測ならぬ、定点撮影しているところに珍しくこういうものが飛んできました、フラフラと。まだ生きていたのです。今となっては最長老でしょうか。

 

        (実際は写真よりも小さいです。)

                  

 もっともっと元気に長生きしてほしいです。

 

 ここからが本題です。 この前江の川での大鮎釣りに挑戦した瀬田匡志(敬称略)をご紹介しましたが、瀬田と言えば、これ”空中輸送”でしょう。 それを実演してくれていた釣りビジョンの放送の録画ありました。 

 2013年6月29日の実釣、場所は島根県の高津川とその支流でした。動きが早くて視覚的に紹介するのはなかなか大変ですが、そこは文章で捕捉します。

 

 基本はこのようなものです。

 

 

 

 (右利きの人の場合・竿は左手持ち)

 『右手でつまみ糸をもって、竿は前方に向けて持ち、オトリ鮎を上流に向けて投げる。』

 『その時、オトリ鮎が頂点に行くまでしっかり見て、その間に右手を竿に添えて狙ったポイントにオトリ鮎を送り込む。』

 『右手で投げる方向によって、オトリ鮎を入れていく方向が決まる。』

 『真上にオトリ鮎を投げたら真下に行く。』

 『向こう側に投げたい時は、自分の背中の方向にオトリ鮎を投げる。』

 『(右)斜め前に投げると、下流(左)側に行く。』

 『(肝心なことは)オトリ鮎を投げたときに慌てずにしっかりと頂点まで見て、それから竿に手を添えて送り込む感じ』

 

  今回は、ご理解願えたでしょうか。

 

                  

 

 実は私も今年最後の最上川の釣行のとき、弱ったオトリ鮎を使って試させていただきました。アユには気の毒なことをしましたが・・・。

 その時実感したことは、太字にしましたが、まさにその通り、慌てずに、思いっきりオトリ鮎を後ろにぶん投げることです。思いっきり投げて、糸が張るくらいにしないと狙ったポイントにはなかなか入れません。

 それはいいのですが、大会等の釣り人が一杯いる時にもそういうことができるかどうか、それだけ図太い神経をしているかどうか、が次の問題となってきます。

 

 

 

 

 

 


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これもいいです、「この世界の片隅に」

2016-12-02 17:20:59 | お知らせ

 夕方前には止みましたが、日中は強い風が吹き荒れました。 だけどその割には寒さはあまり感じませんでした。ありがたいです。

  

 

 吹き荒れたといえば、国会でも自民党の横暴が、暴風雨が吹き荒れています。もはや誰にも止められない横暴ですね。まさに怖いものなしですから。 好きなことを好きな時に、いかようにでもできるのですから。国民が圧倒的に支持していますから。

                 

 

 議員立法の火事の法案ならぬカジノ法案、まさに「火事の」といってもおかしくないのではないかと思ってしまいます。かなり前からくすぶっていた法案ではありますが、会期延長したことに便乗して採決してしまうなんて、開いた口が塞がりません。

  

 またしても日本人を堕落させようということでしょうか。 ギャンブル依存症の国民をたくさん産み出し、貧乏人からさらにお金を巻き上げて富裕層に富が集まるように仕向ける。暴力団が手ぐすね引いて法案の施行を待っているのではないでしょうか。 

 カジノを設置すれば大いに観光に資するという声が大きく唱えられていますが、それはたんなる表向きの姿だけであって、表には必ず裏があります。裏ができてきます。じわじわ大きく影響するでしょう。 日本人自ら滅びへの道を歩もうとしているとしか私には思えません。何と愚かなことでしょう。

                 

 

 議員ということで言えば、東京都議会の議員専用の復活財源ともいうべき200億円が小池都知事によって表の世界に出されましたが、これも呆れたことです。呆れ果てた、ここまで議員は堕落してきたのか、議員をそうさせた行政も情けないとしか言いようがありません。

 こんな予算措置が他の自治体でできますか。東京都だからこその200億円ですが、それを当然のこととして知事に反発している都議会議員たち。やっぱり自分たちを特権化している。特別な存在とうぬぼれている。

 ここは小池都知事に踏ん張ってもらって、是非とも200億円は節約しましょう。いくら東京の財政が豊かだといっても、オリンピックのようにどんぶり勘定で3兆円、2兆円何て言っていられるのもいまのうちです。そのうち、間もなく東京都は高齢者で溢れかえるのですから。わが世の春を謳歌できるのも今の内です。

 

 

 愚かな極みは「もんじゅ」ですね。 どこがもんじゅ・文殊ですか。暗愚そのものではないですか。文殊菩薩に失礼極まりないことです。「もんじゅ」の後継として「高速実証炉を開発していくそうです。 

 もんじゅ失敗の検証もなしに、あたらしい原子炉をつくっていくという。絶対に開発をあきらめない、往生際の悪さ。 こだわりの強さ。引くということが分からないらしい。いままで1兆円投資してきたから今更止められないというメンツにこだわっているのかも。

 

 まるで先の大戦での旧日本軍の戦い方、戦術と全く同じではないですか。 引くことができす、止めることができずにズルズルと投入していき、その都度大敗、全滅してしまう。死んだ英霊に対して申し開きができないということで、無責任のまま滅亡に突き進む。 何と愚かなことでしょう。

 これだって圧倒的に自民党が議席を確保しているからであり、自民党内に安倍に対抗できる政治家が居ないためです。 前にも書きましたが、なんでもできるのですから。怖いものはないのですから。 首相は行政府の長のほかに、立法府の長も兼ねているのですから。

 

 

 前置きが長くなってしまいました。不愉快な出来事が多すぎます。 であればこそこういう戦争中ではあるけれども、静かに、当時の日常生活を丹念に映写している映画を見る価値があるのではないでしょうか。家族、生活をとっても大切に描いています。

              

 人間味、人情味あふれる映画ですが、でもこの映画で訴えたかったものは悲惨な戦争そのものです。 じわじわと生活が戦争で蝕まれていきますから。 とくに空襲の場面になると音がすごいですね。それまでの落ちついた静かな音声とは打って変わって、腹に響くような爆音、爆発音となります。呉という軍港がどういう性格を持っていたか教えてくれます。けっして声高に反戦平和を訴えるような映画ではないですが、私には、であればこそ逆に反戦や平和についてゆっくりと足下からひとり一人の心に沁みてくるように感じました。

 

 個人的には主人公の声を担当している「のん」こと能年玲奈にも大いに注目しました。 いやあ、じっさいとってもよかったですよ。抑えの利いた声で、主人公になり切っています。新しい可能性に掛けて成功したと言えるでしょう。たまにですが、「あまちゃん」のときの叫び声みたいな声も聞こえてきて、懐かしさを感じたりもしました。

 

        

       

 「夕凪の街 桜の国」を描いた人なのですね、原作者は。何で見たのかなあとずーと思っていました。この女の子の描き方、心にスッと入ってくる素直な気持ちが感じられます。とっても好感、好印象が持てる作画です。


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