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あれは昭和50年代…、小学生の頃の私の土曜日の昼食。
学校を終え田んぼのど真ん中の道を早足で歩いて家路を急ぐ。一緒に帰る友人とも分かれ橋を渡るといよいよ川沿いの桜並木の道。家はもうすぐ。
納屋の裏手にある勝手口近くまで来ると香ばしい匂いが漂っている。「やった!」その頃の昼食のおかずの定番だった通称「ポテト」。実家でのみ通用するであろう名前のその料理が私を待っていてくれていた。
ま、何てことはないジャガイモの薄切りを油で炒めソースを掛けて食べるだけの料理だが、先日自宅にやたらとあったジャガイモを少し減らそうと思い数十年ぶりに食べたくなり作っていたらジャガイモが熱い油でこげた匂いをかいだ時にその記憶が甦った。
その頃は多分スライサーで均等に切られていたようだが我が家にはなかったのでやや不揃いの薄切り。しかしソースを掛けて食べればその時の記憶もより一層鮮明になる。
この料理をいつも作って私の帰りを待ってくれていた祖母もこの世を去り早くも一年半。お盆の前に自宅で食べていると「今年もお迎えに行きますよ」と、思わずにはいられなかった。
あれは昭和50年代…、小学生の頃の私の土曜日の昼食。
学校を終え田んぼのど真ん中の道を早足で歩いて家路を急ぐ。一緒に帰る友人とも分かれ橋を渡るといよいよ川沿いの桜並木の道。家はもうすぐ。
納屋の裏手にある勝手口近くまで来ると香ばしい匂いが漂っている。「やった!」その頃の昼食のおかずの定番だった通称「ポテト」。実家でのみ通用するであろう名前のその料理が私を待っていてくれていた。
ま、何てことはないジャガイモの薄切りを油で炒めソースを掛けて食べるだけの料理だが、先日自宅にやたらとあったジャガイモを少し減らそうと思い数十年ぶりに食べたくなり作っていたらジャガイモが熱い油でこげた匂いをかいだ時にその記憶が甦った。
その頃は多分スライサーで均等に切られていたようだが我が家にはなかったのでやや不揃いの薄切り。しかしソースを掛けて食べればその時の記憶もより一層鮮明になる。
この料理をいつも作って私の帰りを待ってくれていた祖母もこの世を去り早くも一年半。お盆の前に自宅で食べていると「今年もお迎えに行きますよ」と、思わずにはいられなかった。