本当に十何年ぶりかで、ふるさと会津へ帰ってきた大阪に住む叔父。
ばぁちゃんの弟で、六人兄弟だったばぁちゃんの弟の人だ。
毎年ばぁちゃんにってリンゴを届けてくれる人は一番下の人で
大阪に住む人は下から二番目の人だった。
会津へ来るのはかなり久しくて、我が家のじいちゃんが亡くなった時も
本人が体調を崩していて来られなかった。
話によれば、中学を出るとすぐに大阪へ丁稚奉公に出されたそうな。
15になった叔父が会津の片田舎から奉公に出て
何十年も勤めあげ自分の店を持つようになるまでの苦労は
並大抵の事ではなく、到底理解できるものではなかった。
我が家の子供が小さい頃に、一度叔父家族で何日か滞在していった事があったが
私のイメージとしては、悪い見本の大阪商人?って感じだった。
要はケチっぽいって感じかな…。
今回は77歳を記念しての同級会の為で、後は会津に来れるのは
何時になるか分からない…という事らしく、各兄弟の家を泊まっていたようだった。
だから、ばぁちゃんのこんな姿を見るのは初めての事で
「姉には小さいじぶん、ようけお世話になったんや。」って…。
昔来た事を思うと、それさえも私には白々しく聞こえて
大阪⇔会津間なんて、来ようと思えばそんなにたいした距離ではないはずなのに
ようけお世話になったにしては、この10年以上顔を見る事もなかったとは
そんなふうに思えたのだけれど、昔見た面影とはすっかり違って
すでに亡くなっている、ばぁちゃんの兄の顔に似てきたのをみると
そういう思いもなんだかなくなってしまった。
大阪には大阪の生活があり、連れ合いを亡くしたのはばぁちゃんが元気な頃で
娘と息子を抱えて、せっかく持てた店を手放して
言うに言われぬ苦労もあったんだろうなぁ…。
そう思ってみると、故郷を遠く離れて生きて行くって事は
並大抵の事じゃなかった…そんなふうに思え鼻の奥がツンとなってしまった…。
今回は会津へ来て買ったと思われるお菓子の箱をひとつ。
昔来た時は手土産ひとつ持たずに、兄弟の家を泊まり歩いて
会津観光までさせて、ばぁちゃんのすぐ上の姉様に
○○、会津に来て兄弟の家を泊まり歩くのに手土産ひとつ持って来ないなんて
お互いの連れ合いの手前だってあるんだって、怒られてた事を思い出した。
不器用にしか生きられない一人なのかもしれないなぁ。
故郷へ帰って来ると、いい年をした大人も子供に帰るのだろう。
ばぁちゃんの顔を見ながら、しばらく話をして帰ったけど
やっぱり毎年リンゴを持って来て、何かあると顔を出してくれるおんちゃんとは
何かしら他人じみて感じるのは仕方のない事だと思う。
それでも、ばぁちゃんが生きてる間に様子を見てもらえて良かった…。
今日の一枚
この話には、どんな写真が良いか考えた。
今日は時おり吹雪く雪の寒さに、ヒメとの散歩も写真を撮る事もなく早々に終えた。
故郷の小川に夕日が眩しく、ようやく咲いた一輪のタンポポ…そんな設定の昨日撮った写真を使った。