津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■有吉家文書解説‐「年中行抜粋」(廿一)御発駕ニ付而為御見立大津御一宿江罷出候式(ニ)

2021-08-16 16:43:27 | 有吉家文書

 御発駕ニ付而為御見立大津御一宿江罷出候式(ニ)

一翌朝御供揃之前ニご用人間へ罷出居候事
 翌朝御供揃の前にご用人間へ罷り出居る事
    但罷出宜時分ハ御用人より知らせ有之候得共見計前廣ニ罷出居候事
    但罷り出宜しき時分は御用人より知らせがあるけれども見計い前廣に罷り出居る事
一御発駕前ニ被召出候間御用人より案内有之御帰國之節之通御居間へ罷出御手熨斗長のし頂戴例之面々江御意之趣被為在
 候間奉伺直ニ下り候事
 御発駕前に召出さるにつき御用人より案内あり、御帰國の節の通り御居間へ罷り出、御手熨斗・長のし頂戴し、例の面々へ御意の趣きあらせられ
 るので伺い直に下る事
    但御人拂之御用も有之候ハヽ前条之通候事
    但御人拂の御用も有るときは前条の通りの事
一夫より御用人間へ控居候ヘハ御意之趣之稜付御用人より差出候事
 夫より御用人間へ控え居れば、御意の趣の稜付御用人より差出さる事
    但右稜付者手廻之ため堂免ニ取置候儀も有之候事
    但右稜付は手廻のため堂免に取置くことも有る事
一御供廻り之時御居間御次之椽より下り御路地内御向側中門際ニ罷出居御居間より被遊御出候を奉見上下坐御駕之戸明候
 所ニ而御辞儀仕夫より御駕御通ニ相成御路地外迄罷出御跡ニ而元之如上御用人間江罷越候事
 御供廻り之時、御居間御次の椽より下り、御路地内の御向側中門際に罷る出居り、御居間より御出あそばされるを見たてまつるうえ下坐、御駕の戸
 が明いた
所にて御辞儀仕、夫より御駕御通り成り御路地外迄罷り出、御跡にて元の如く上り御用人間へ罷越す事
    但手傘草履御路地江下り様家来心得等諸事御迎之通候事
    但手傘・草履御路地への下り様は、家来心得等諸事御迎の通りの事
一供者御次小姓より致世話廻候得者御発駕後ハ早速御玄関江供相揃候之様急而可申付置事
 供は御次小姓より世話いたし廻れば、御発駕後は早速御玄関へ供相揃い様急いで申付け置く事
一右之通ニ而相済旅宿江直ニ致着替罷帰候事
 右の通にて相済、旅宿へ直に着替いたし罷帰る事
一帰宅之上只今罷帰御意之趣有之候間明日於御殿可相達段御用番江以紙面申達候之事
 帰宅の上只今罷帰り御意の趣が有るので明日御殿において相達すべき段、御用番へ紙面をもって申達の事
一翌日寄合平服ニて例刻出仕御一門衆同席中三家嫡子於詰間例之通御意申達夫より於口之間例之面々右同断之事
 翌日寄合平服にて、例の刻に出仕、御一門衆同席中三家嫡子詰間において、例の通り御意を申達、夫より口の間において例の面々へも同断の事

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■「丹後三家物語」4・一色五郎死骸盛林寺に葬事

2021-08-16 08:30:18 | 史料

  一色五郎死骸盛林寺に葬事

 一色五郎を座上にて討れし事は只一端の巧に非ず。豫め光秀が胸中より出たる謀なるべし。其ゆへいか
にとなれば丹後國を信長公の御領國になし奉る忠謀の體に披露して、必竟聟の忠興を丹後の國主に可成と
兼て計と見えにける。斯て細川殿おもひの儘に満信(義有)を討亡し其悦は限なし、然とは申せどもさすが聟の事
なれば、死骸をば念比に納むべしと細川下知をくはへらる。一色家數代の菩提所、大圓山盛林寺に送り給
ひける、住持趙室和尚念比に葬禮の儀式を行ひ法名は前一色實雲源忠大禪定門と引導せられける。

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付け足し:上記盛林寺に残る過去帳には一色五郎の亡くなった日は天正十壬午年九月廿八日とある。

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