津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■有吉家文書解説‐「年中行事抜粋」(廿六)鷹之御間申渡之式‐(一)

2021-08-23 11:43:12 | 有吉家文書

○鷹之御間申渡之式(一)

    江戸御留守居以下士席
定日
  御在国       御在府
     九日         四日
     廿一日       十四日
     廿八日       廿三日
 右之外臨時申渡之儀有之御留守年ハ節句ハ詰間休日ニ付見合節句又ハ不時寄合之節茂申渡候事
    右の外臨時申渡しの事があり、御留守年(御在府)は節句は詰間休日に付見合せ、節句又は不時寄合いの節も申渡す事
一御用有之面々前々日頃組脇等江及達若急成節ハ前日及達候事も有之候尤召状名元者奉行所又ハ御用番名前ニ而夫々極有
 之委ハ略之
    御用有る面々は前々日頃、組脇等へ達に及び、若し急の節は前日達に及ぶ事も有る、尤召状名元は奉行所又は御用番名前にて夫々極が有るが、委し
 くは略す

    但御家老組ハ其組之御番頭江及達若差支候節ハ無役着座江及達候尤同道無之分ハ御用番より頭江直達之事
    但御家老組は其組の御番頭へ達におよび、若し差支えれば無役着座へ達に及ぶこと、尤同道なき分は御用番より頭へ直に達す事
一同席ハ例刻出仕之事
    同席は例の刻に出仕の事
一申渡ニ付而之諸書付者御用之面々出答相揃候上佐弐役より文箱之蓋ニ入御奉行江差出御奉行より御用番江差出し書付数
 左之通

    申渡に付ての諸書付は、御用の面々出答相揃いの上、佐弐役より文箱の蓋に入御奉行へ差出し御奉行より御用番へ差出し書付の数左の通り
一繰出名附御奉行より差出次第即刻御小姓頭ヲ詰間へ呼御用番より相渡
 繰出名附御奉行より差出し次第、即刻御小姓頭を詰間へ呼び御用番より相渡す
一申渡之書付
    懐中いたし申渡皆相済其座ニ而御奉行江相渡候尤巻返返ニ不及此書付以前ハ当日致順覧候得共御辞令ハ家々ニ残
    重キ事ニ付丹生入念可遂巡覧旨先年従少将様被仰付候以前前日巡覧ニ相成候事

 申渡しの書付
    懐中いたし申渡し皆相済み、其座にて御奉行へ渡す、尤巻返返に及ばず、此書付以前は当日順覧いたせば御辞令は家々に残す、重い事に付丹
    生入念に巡覧すべき旨、先年少将様より仰付られる、以前は前日巡覧ニに成る事

一拝領物之御目六半切、三折
 拝領物の御目録 半切、三折
    申渡前ニ御目附を詰間ニ呼御用番より相渡置候左候而申渡之席ニ而当人々々江御目附より引渡減知之書附は右同
    道人江相渡候事

    申渡前に御目附を詰間に呼び、御用番より渡置くこと、そして申渡の席にて当人々々へ御目附より引渡す、減知の書附は右同道人へ渡す事
一御請書
    申渡相済毎々文箱ニ入坊主江持せ御用人江差出候事
       但御在府者御便之節在江戸同席江申向候事
    申渡しが済み毎々文箱に入れ坊主に持せ御用人へ差出しの事
       但御在府の者は御便の節、江戸に在る同席(家老)へ申向う事
一御用番者鷹之御間内南より横畳四枚目東より九尺を後にして落間之方向座着直ニ懐中より書付二通取出申渡之趣之書附
 ハ右脇江置申渡之書附を披持居候尤下ニ置候而も不苦候事

 御用番は鷹の御間の内南より横畳四枚目・東より九尺を後にして落間之方向座着、直に懐中より書付二通取出し申し、渡しの趣の書附は右脇に置、
 申渡の書附を持たせ居ること、尤下に置ても苦しからざる事

    但已前ハ常々口上ニて申渡来候得共近年ハ読渡之方ニ相成候且御用番召出其外臨時差支候節ハ加番之面々之内よ
    り申渡儀茂有之候
    但以前は常々口上にて申渡し来たれ共、近年は読み渡しの方に成り、且御用番召出し其外臨時の差支えの節は加番の面々の内より申渡すこ
     とも有ること

一御家老組之面々同道ハ其組之御番頭若差支之節者無役着座ニて候御中老支配は御小姓頭等同道之事
 御家老組の面々の同道は、其組の御番頭若し差支えの節は無役着座であること、御中老支配は御小姓頭等同道の事
一御用番書付を披候得ハ御小姓頭并御使番より繰出し候左候得ハ頭等当人を召連鷹之御間御敷居内ニ入帯剣東頭ニ御用番
 江向平伏申渡候上頭ハ当人之方を向当人ハ頭之方江向御辞儀仕夫より頭ハ御用番江向御請申上退去何人ニても如此尤御
 目録等ハ御目附より当人江
相渡之間御用番江向頂戴之仕候事
 御用番書付得られれば、御小姓頭并て御使番より繰出しのこと、そうして頭等当人を召連れ、鷹の御間御敷居内に入り帯剣東頭に御用番へ向い平伏
 申渡しの上、頭は当人の方を向、当人は頭の方へ向御辞儀仕、夫より頭は御用番へ向き御請け申上げ退去、何人にても此のごとく、尤御
目録等は御
 目附より当人へ相渡され御用番へ向い頂戴仕る事

一申渡相済其座ニて前条之通書付を七人ニ相渡元之如退去之事

 申渡しが済み其座にて前条の通り書付を七人に渡し元の如く退去の事
一同席申渡様有之身分伺有之節ハ例を茂相添奉伺不被遊御構旨被仰出候得者其段及通達候事
 同席(家老)申渡し様    有之身分伺有之節ハ例を茂相添奉伺不被遊御構旨被仰出候得者其段及通達候事
一御小姓頭より繰出召連身分伺有之節ハ即答之例ニ候事
    但寛永十二年七月田中加治儀同道人楯岡亥一郎を繰出洩候付伺出有之亥一郎茂同前之儀之処不罷出候付伺有之両
    人共一夜被受置候事 
 御小姓頭より繰出し召連れの身分伺が有る節は即答の例の事
    但寛永十二年七月、田中加治儀同道人楯岡亥一郎を繰出洩候付伺出有之亥一郎茂同前之儀之処不罷出候付伺有之両
    人共一夜被受置候事 
     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■「丹後三家物語」8・細川父子秀吉公へ御目見 附 御當座藤孝被継事

2021-08-23 06:32:05 | 史料

 藤孝忠興丹後の國主となり給ふ、其歳の六月二日信長公は明智が為に御生害、明智は又同月十三日秀吉
の為に亡びけり。さありて天下頗秀吉の御手に入れけば、在國の諸大名皆上洛せざるはなかりける。此比
細川父子秀吉公へ御目見御前に伺公有けれは、秀吉公
    細 き 川 こ そ ふ た つ な か る れ
と宣ひければ藤孝やがて
    御 所 車 ひ き 行 あ と に 雨 降 て
と申されければ秀吉公御感ありて、御懇に御いとまを下されける。其後藤孝隠居して幽齋玄旨と改名し、
安楽の身と成て田部の城に住れける。翌天正十一年の正月は一しほ目出度春とやおぼしけん、歳旦に筆を
こころむとて
    あ ら 玉 の こ と し は と し を ゆ つ り 葉 の
         常 盤 の 色 に な ら へ と そ 思 ふ
つね/\よみおかれし幽齋の集を詠るに、まことに花實さうたいして、よのつねならぬ風情也。
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする