獅子丸のモノローグ

☆気まぐれ不定期コラム☆

自動車Ⅱ(宮本晃男 著)

2022年05月15日 | お宝倉庫


先日紹介した「自動車Ⅰ」に引き続き。
今回は「自動車Ⅱ」に触れてみたいと思うのです。


昭和45年2月1日発行の、この本。
私が成人してから、古本屋で入手したものだ。
著者は「自動車Ⅰ」同様、1907年生まれの「宮本晃男」氏である。


日本・アメリカ・ドイツ・イギリス・イタリア・フランス・スウェーデンの乗用車が、ブランドごとにずらりと並ぶ、目次。
背景に写っているクルマは「NSU Ro-80」だと思われる。



まずは、日本車。
トヨタのフラッグシップ「クラウン」は、3代目の後期型。
そして初代の「マークⅡ」&「カローラ」が、登場している。
「パブリカ」は2代目となった。


コンセプトカーの「EX-Ⅰ」「EX-Ⅱ」「EX-Ⅲ」。
そして興味深いのは「ミニエース」の存在。
0.8リッターの空冷フラットツーを積むこの商用車は、昭和50年まで販売されていたのだという。


そして【ボンドカー】「2000GT」。
このクルマは、現代にも通用する、美しいスタイルだと思う。


カローラのクーペタイプとして登場した「カローラ スプリンター」。
スプリンターはやがて独立した車種となり、カローラの兄弟車の役割を担うこととなる。


この当時は、トヨタ同様にフルラインナップを戦列に揃えていた、日産。
「2代目セドリック」「初代サニー」「3代目スカイライン」「3代目ブルーバード」。


縦目4灯が印象的な「3代目グロリア」は、合併前の「プリンス」が開発したもので、当時のセドリックとの「兄弟車」ではない。
ちなみに、小学生の頃の私は、「ハコスカ」と「初代ローレル」と「ブルーバード510」との見分けが付かなかったものだ・・・(遠い目)


「初代フェアレディZ」は、昭和44年に登場。
それまでの日産車の殻を破ったような、モダンなスタイルが印象的だ。


今でこそトラック専門メーカーになってしまったが、かつてのいすゞの乗用車は、異彩を放ち、独特の立ち位置にあった。
「ベレットGTR」の、透視図。


そして、イタリアンで美しい「117クーペ」。


三菱は「コルトギャラン」「コルト」「ミニカ」「デボネア」で、軽自動車から社用車までをカバー。


やはり特筆すべきは、この「デボネア」でありましょう。
昭和39年から61年までの22年間、モデルチェンジ無しで生産された、このクルマ。
私が大学生だった頃には、「走るシーラカンス」の称号を与えられていたものだ。
余談ながら・・・2009年に当別町で開催された「FUTOMIヒストリックカーフェスティバル」にて。
当時12歳だった長女が、「デボネアが一番カッコ良かった!」と発言していたことを、ふと思い出した私である(^^;


お次は、マツダ車。
当時の技術的なアッピールポイントは、「ロータリーエンジン」であった。


そして、ホンダ。
空冷エンジン+FFの「1300」は、まさに技術屋集団の意欲作。


スズキの「フロンテ」は、360ccと800ccの、二刀流。


SUBARUは、「1000」のマイチェンモデル「FF-1」と、「360」の後継車「R2」を発表。


日本車のトリは、ダイハツである。
実に興味深いのは、「万博用電気自動車」で、【警備用】と【タクシー用】の2車型が存在した模様。
この時代に電気自動車を、ダイハツが作っていたとは・・・
また、「コンソルテ」は、提携関係にあるトヨタの「パブリカ」とボディパーツを共用するが、エンジンはダイハツオリジナルだったという。



「日本車」の次に「アメリカ車」が紹介されているあたりが、当時のモータリゼーションの時代背景である。
GMの「キャディラック」「オールズモビル」・・・


「ポンティアック」「ビュイック」「シボレー」。
私はアメ車にはあまり詳しくないが、「カマロ」の存在は、なんとなく知っている。


お次は、米国フォードのクルマたち。
「マーキュリークーガー」は、一見ノッペラボーの「グリル内リトラクタブルライト」を持っている。
ちなみに、この「クーガ―」はアルファベット表記だと「COUGER」。
なので、SUVの「クーガ(KUGA)」との関連は無いと言えましょう。


「ムスタング」は、現代では「マスタング」と呼ぶのが一般的である。
かつての車雑誌等では、「ネルソン・ピケ」が「ネルソン・ピケット」と表記されていたことを、ふと思い出す私でした。


そして、クライスラーのクルマたち。
「ダッジ チャージャー」も、いわゆる「グリル内リトラクタブルヘッドライト」のクルマなのだ。
「GM・フォード・クライスラー」が「ビッグスリー」と呼ばれていた、そんな時代である。


続いては、ドイツ車。
メルセデスもかつては、ロータリーエンジンを開発していた。
試作車の「C111」。
市販されることはなかったが、その開発は’70年代末まで続いたのだという。


そしてVWは、おなじみのいわゆる「ビートル」。
なぜか「解体写真」が紹介されている。


「ポルシェ911」は、いわば「VWビートルの孫」的な系譜を持つスポーツカー。
フォルクスワーゲンーポルシェ914」は、ポルシェのエントリーカー的役割を担っていた。


英国車も、この頃は、元気だった。
「ロールスロイス」「ジャガー」。
蛇足ながら、「ジャガーXJ-6」は、かつて吉田拓郎氏も愛車としていたクルマだ。


2シーターオープンのスポーツカー「MGB」。
ユーノス・ロードスターのご先祖である。
そして、「ミニ」は、やはり英国車を代表する名車だと思う。


英国フォードのスペシャリティカー「カプリ」は、「ベビームスタング」の相性で親しまれていたのだという。
そして、風吹裕矢氏も愛した、「ロータス ヨーロッパ」


お次は、イタリア車が登場。
「ランボルギーニ エスパダ」は2+2のFRスポーツ。
搭載するV12DOHCエンジンは、325馬力を発揮したのだという。


そして、スーパーカーブームを体験したアナタもご存じの、「ランボルギーニ ミウラ」。
こちらのエンジンは370馬力で、最高速は300km/hに達したのだという。
今から50年以上前に、こんな車が存在していたことに、あらためて敬服する。


ルパン三世も愛した、「フィアット500」
RRであるという点は、「スバル360」同様である。


アルファロメオは、今も昔も、イタリアの伊達男のイメージ。
「スパイダー」の初代モデルは、1966年から1993年まで27年間生産された、「三菱デボネア」以上の長寿車である。


そして、いよいよフランス車。
シトロエンの「ディアンヌ6」は、「2CV」の上級志向派生モデル。
日産の「バイオレット」に対する「スタンザ」的な存在だったのかもしれない。
また、「DS20-21 パラス」が、写真ではなくイラストなのは、謎めいている。


シトロエンID19」は、いわば「DSの廉価版」。
プジョー504」は、当時のプジョーの最高級セダンであった。


そして、シトロエンといえば、やはり「2CV」。


「ユニークな操舵装置」というか・・・
一見で、私には、運転できそうもない(^^;


シムカ」はクライスラー傘下だったが、最終的にはプジョーに統合されてしまったという。
ルノー16」は、実用的な5ドアハッチバックのFF車で、現代の日本のコンパクトカーの規範を、半世紀も前から具現化していたのだ。
スウェーデン車は「サーブ」&「ボルボ」。
バブル期において、「サーブ900」は「女子大生ホイホイ」ともてはやされていたが・・・ブランド自体は2016年に消滅
「ボルボ」は、近年でも魅力的なクルマを産み出している。



日本の自動車生産台数の棒グラフ。
1956年(昭和31年)から1968年(昭和43年)までの12年間で、日本の自動車工業はまさに驚異的な成長を遂げたということが、よく分かる。


「エンジンと駆動輪の位置」のイラストが、手作り感と愛情に溢れていて、素晴らしい。


また、この時代からすでに「アンティロック・ブレーキ」(今でいうところのABS)についての記述があるのが、素晴らしい先見の明である。
ちなみに、日本で初めて発売されたABS搭載車は、昭和57年の「ホンダ・プレリュード」だった。

ともあれ、この「自動車Ⅱ」。
いまあらためて読み返してみて、なかなか面白かった。
時代の趨勢は「ペーパーレス」だが、普通に保存すれば何十年もそこに在り続けてくれる「紙の本」の文化価値を、ないがしろにしてはいけないと思うのである。





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