この4月2日にスザンヌ・ヴェガが札幌にやって来た!あの名曲「ルカ」から18年。なぜ今?とやや疑問ではあったが、とにかくZepp Sapporoに出掛けた。チケット代はドリンク代込みで7,500円とちょっと高いと思ったが、彼女の歌声と生ギターを聴いた後には、その思いはすっかり払拭されていた。見に行って良かった!
ちょっとハスキーでナチュラルなヴォーカルは18年前のCDそのままであった。彼女の弦をつまむ様に弾くギターテクニックも素晴らしかった。ただ、違っていたのは二等辺三角形のようになっていた彼女の体形だった。
彼女は1959年生まれ。私より8歳上である。落合博満の奥さんが9歳上と言うことを考えれば、十分守備範囲か?だが、私は、やはり18年前の彼女に会いたかった・・・ココから彼女の魅力が堪能できますヨ。
思うに、今年のF1の「タイヤ交換無しルール」は危険すぎるのではなかろうか。今回は幸いにして誰にも怪我はなかったが、あれは一歩間違えたら大惨事になっていた可能性がある。ライコネンのタイヤが不調なのは、数周前から明らかで、これまでのルールなら当然タイヤを替えて何も事故は起きなかったはずだ。折れたサスペンションアームやタイヤがドライバーの頭に当たったらどうするのだ!また、コントロールを失ったマシンが他のドライバーの車を巻き込む可能性だってあったのだ。現にBARのバトンは間一髪で接触をまぬがれていた。
地上波の解説のK藤M彦氏は「いやあーこういうことがあるから、今年のレギュレーションはまったくレースの最後まで目が離せませんねぇ」などとお気楽なコメントをしていたが、これがレースの現場にいた人間の出すコメントとは到底思えない。何よりも大事なのはドライバーやレース関係者・観客等の生命ではなかろうか。
93年以前のレギュレーションは「給油無し・タイヤ交換あり」だったが、この時代のF1は決して退屈ではなかった。FIAには大きな事故が起こる前に、早急にタイヤと給油のレギュレーションを見直してもらいたい。
ところで、このちっこいイソガニというやつも油断がならないもので、水槽には当初6匹いたはずだった。共食いでもして3匹に減ってしまったのかと思っていたら、どうやら3匹は、いつのまにか水槽から逃走していた模様である。というのも、先日玄関の傘立てをよけたら、下からイソガニ3匹の遺体が見つかったのだ。この水槽からどのようにして脱出したのかは全く謎であるが、とりあえず今は出ることが出来ないように、水槽にサランラップでフタをして対処しているところです。
いやあ、この’81スタジオライヴもイイねぇ。まさに「ブルース・メイド・イン・ジャパン」という趣がある。柳ジョージは昔から好きではあったけど、本当に彼のことをスバラシイと思うようになったのはここ数年のことだ。このテープとっといて良かったなあ!
私は結婚後しばらくは、ダンボール3箱ぐらいこのような貴重なエアチェックテープを持っていたのだが、妻に強要されて、今の家に引っ越す時1箱に絞ったのだった。現存しているのは、拓郎・陽水・柳ジョージ・アリス関係である。リストラしたのが、千春・長渕・こうせつ・さだ・小室(等)・さいたまんぞう他多数である。今思えば、もっと自分の意見を通して全部残しておけばよかった。ダンボール箱があと2箱あったからってそんなにジャマなもんでもないもんねぇ。
このザリガニは小学校の教材で、小学生の娘が去年の秋頃に持って帰ってきて、「ヘイガニちゃん」という名前をつけ、一週間の献立なんかも考えて可愛がってきたものである。今年に入ってからは、主に私が面倒をみており、エサに生きたイトミミズをあげたり、酸素ポンプを吸入したり、色々と手を尽くしてきたのだが、そろそろ限界のようだ。あんなに愛してあげたのに・・・
同級生の子のザリガニで生き残っているのも、もはや少数のようである。で、聞いて驚いたのは、ある女の子はお亡くなりになったザリガニの亡骸を、なんとゴミ箱に捨ててしまったとのこと!うーん、なんだかねぇ。私が子供の頃は飼っていたカブトムシなんかが死んだ時は、庭の片隅に埋めて、石の墓標なんかを立ててちゃんと弔ってやったものだが・・・嗚呼、日本は何処へ行くのだろう。
私は、この遊園地がとても好きである。なんというか、’70年代の旧き良き時代の面影がそのままココに残っているのだなあ。ジェットコースターも観覧車もなんともショボく、「子供だまし」としか言いようのないモノだが、なんといっても価格がリーズナブル。三井グリーンランドあたりに行けば一家4人で1万円は覚悟しなければならないが、ココなら目いっぱい遊んで千円でおつりが来るぐらいだ。小学校低学年くらいまでの子供ならば、ここで充分満足できるようである。私の娘たちも、「あー面白かった!」とすっかりダマされていた。果たしてあと何年娘たちをダマし続けられるだろう・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/35/d735dde286dd8738e97be655ba270a69.jpg)
国道5号線を使って札幌から小樽市内に入ってしばらくすると「花園十字街」と表示された信号があります。その交差点を左に曲がって道なりに行くと、この「不思議の国」があります。結構子供たちで賑わってはいたけれど、小樽市も財政難らしいので、この遊園地がいつまで存在し続けられるのだろうかとチョット心配な私である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/13/23c5e6c05fff697498dd4abc359dc19e.jpg)
この肉は、なぜか屋外で炭火で焼くよりも、ジンギスカン鍋で煙にまみれながらジュージュー焼いて食べる方が旨いのだなあ。炭火で焼くと不思議なことになにかパサついた感じになってしまい、ここの肉が本来持つジューシーさがスポイルされてしまうのである。野菜をジンギスカン鍋の外周に置き、ドーム状の部分でこの肉を焼くと、肉汁やら様々なエキスが外周の野菜に沁み込み、えも言われぬ旨さとなる。我が職場のGさんも「やっぱ清水のジンギスカンは炭火よりもジン鍋で肉汁で野菜を煮て食べる感じが美味しいんだよねえ」と語る。激しく同意である。食べたことの無い方は、一度お店に出かけていって試してみてください。ジンギスカン500円+ライス160円というリーズナブルな値段で、きっと堪能できるはずです。
そんな訳で、私は小遣いをはたいて、980円で写真のジンギスカン鍋をジョイフルで買ったのだった。980円で一生モノだと思えば安いものさ!ただ、洗うのはとても大変です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/95/f704ff802ed620d3bb8a25031b7a0e23.jpg)
こないだESTAにラーメンを食べに行った時、観光土産用のキャラメルが各種あったので、ついつい買ってしまった。私のイチオシは「不味い」ということで脚光を浴び、結構売れているという噂の「ジンギスカンキャラメル」ですネ。噛めば噛むほど、ベルのたれの様な、チョット甘くて油臭いような、そんな味がじゅわっとお口の中に広がる。このトリッキーな味にはしびれました。結構ビールのつまみになるかも・・・私は好きですが、皆さんには積極的にはオススメできないかな?この他にも、世の中にはいろいろとトリッキーな食べ物が、まだまだあるようです。
このスープカレーラーメンは650円で、もれなくライス付。ラーメンを食べつくした後は、ライスでスープカレーライスを味わえる。つまり、650円で二度オイシイということですネ。
実は私はスープカレーというモノにはあまり明るくないので、これがスープカレーとして、どの程度のレベルにランク付けされるものなのかはよく分からないが、具のニンジンがトロリとした食感だったのに対し、タマネギがやや煮込みが足りなくシャキシャキしすぎなのではないかと。タマネギはもう少し煮た方が、甘みが出て、よりまろやかで旨くなるんじゃないのかなあ。麺は細身で、学食とか社食のラーメンみたいなチープさだったが、まあ、650円で2度オイシイから許してあげよう。
丁度お昼時だったということと、立地条件もあるかも知れないが、この店は結構混んでいた。たまにはこういう昼食もイイかもネ。
この頃私は15歳。良子サンは27歳。私はホントに良子サンが好きで、彼女がCMに出演していた日糧パンにポスターをもらいに行ったり、彼女のことを想って「良子」というタイトルの曲を作ってみたりしたものだ。今思えば、この「良子」と言う曲は、吉田拓郎の「Y」と「舞姫」という曲を足して2で割ったような、なんとも奇妙キテレツなシロモノであった(分かる人には分かるでしょう)。
で、このアルバムはイイですよ!彼女は決して歌は上手くはないが、そのチョット息が続かない感じが、微妙な色気を醸し出している。作詞の松本隆や竜真知子、作曲の坂田晃一や林哲司もあの当時の坂口良子が持っていた「強がっているくせに、ホントは淋しい女」の世界を上手く表現している。今夜はこのアンニュイな彼女の世界に浸りながら、バーボンで乾杯!
スタイリングはご覧のとおりなかなかダイナミック。写真で見る限り、内装の質感も大幅に向上し、現代のクルマとして恥ずかしくないレベルの仕上がりになったようだ。なんせ私が今乗ってるエスクードのインテリアは、質感がチープで現代の軽自動車にも見劣りするもんねえ。1600ccは廃止され、2000と2700になったようだ。ひとクラス上のクルマになったのね。価格は2000で200万円ちょっとからと大きく値上げはしていない。
特筆すべきは5速マニュアルがラインナップされること!最近はATしか選べないクルマが多いこのご時世、私のような少数派のMT好きにも目を向けてくれたのはウレシイですネ。
心配なのはその全幅。なんとオデッセイ並に1800mmを超えるようだ。それは、一番のエスクードの美点を捨ててしまったのではなかろうか。小ぶりで取り回しのしやすいシティランナバウト的な所がエスクードの良さだったと思うんだが。
ま、どんなもんか取り敢えず試乗してみたいですネ。
太田裕美サンについては、学校が休みの時には「キンキン・裕美のシャボン玉こんにちは」等も見ていたし、一応リアルタイムで知っていると言えるだろうが、本当の彼女の素晴らしさに気がついたのは大学生になってからだった。私があと7年早く生まれていれば、きっと「まごころこんさあと」にも行ってしまったことだろう。「こち亀」の秋元治氏も若い頃は熱狂的な裕美ファンだったようですネ。「雨だれ」も名曲だったなあ。
そして、毎年9月になると、「♪セプテンバーレインレインー」とつい口ずさんでしまうのは、きっと私だけではないはずである。
落合博満が好きである。私は彼が2度目の3冠王を狙っていた時の'85年の「Number」誌の彼のインタビュー記事を読んでから、彼の考え方に感銘し、彼の渡り歩く球団を応援している。'85・86年はロッテ。'87~93年は中日。'94~96年は巨人。’97・98年は日本ハム。そして現在は中日である(もちろん日ハムもネ)。
彼の活躍はリアルタイムで観ているが、非常に印象に残っているホームランが3本ある。
一つは'89年。彼が中日在籍時代。9回裏1死まで斎藤雅樹が中日をノーヒットノーランで抑えていて3-0で巨人の勝利が濃厚だった試合。なんと彼はサヨナラ3ランを打ってしまうのだ。私はこの試合をバイト先の酒屋で見ていて、我が目を疑った。このゲームの流れからいって、どう見ても中日に勝機があるとは思えなかったからだ。中継していたフジテレビのアナウンサーも「こんな試合は見たことナイ!」と絶叫していた。
次は彼がFAで巨人に移籍してきた'94年。巨人と中日が最終戦まで同率首位で並んでいて、勝ったほうがリーグ優勝というこの試合でも、彼は先制のホームランを放つ。確かこの試合は我が家でジンさん夫妻と共に観戦し、共に躍り上がって喜んだものだ。野球に興味のない我が妻は不思議そうな顔をしていたが
そして'96年横浜対巨人の試合で、1点差で巨人の敗色濃厚な9回に、あの大魔神佐々木主浩から放った起死回生の同点ホームラン。その後延長戦となり、落胆した佐々木は10回に打ちこまれ、巨人が逆転勝利したのだった。
'94年に中日が優勝するのを阻んだ男が、今は中日の監督として中日を優勝に導いている。なんともカッコイイ生き方だよなあ。今年はぜひ日本一になってほしい。