South Is. Alps
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Coromandel
Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
Lake Griffin


名駅ミッドランドスクエア「上海老飯店」

映画が終わって、ひとつ下の階にある名駅ミッドランドスクエア「上海老飯店」(http://www.shanghairouhanten.com/)で夕食を食べた。いずれもおいしかったけれど、ちょっと甘め。

押し豆腐と香菜の塩味和え
川海老の唐揚げ 甘醤油炒め
醤汁肉(豚の角煮)
青梗菜と上海蟹みそのとろみ煮
金華ハムと雪菜漬けの炒飯
デザートに杏仁豆腐とマンゴープリン

瓶だしの紹興酒がおいしかった。

2009-03-08 23:29:36 | 夕食・外食 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


映画「Australia」

ミッドランドシネマでニコール・キッドマン主演の映画「Australia」を見てきた。

公式ホームページ:http://movies.foxjapan.com/australia/

「Australia」は、ラブストーリーではあるが、オーストラリアの歴史を背景にして、現在も続く問題を取り上げていて、単なるラブストーリーには終わっていない。だが、オーストラリアの歴史を知らない日本人にとっては解りにくいだろう。逆に、この映画を見てオーストラリアの歴史に関心が及ぶといいのだけれど。

補足:歴史といっても、事実とは異なることも描かれているので、話半分でみなければいけないこともある。オーストラリアの友人がいうには、オーストラリアでは評価は二分されているとのことだ。

ここで、映画の背景について重要な項目についていくつか触れておこう。
1:場所
オーストラリアは、多くの移民の出身国のイギリスの地球のほぼ反対側にある。このことは、オーストラリア人にとって、イギリスに対するコンプレックスとあこがれをうんだ。たとえば、主人公はイギリスから大きく豪華な水上艇の定期便でダーウィンというノーザンテリトリーにたどり着くのだが、オーストラリア東南部の人口の多い地帯、シドニーから、ブリスベーンとダーウィンを経由して南回りでロンドンに至る航路は、オーストラリア人にとって、ある種、悲願であった。オーストラリアは航空史上の先進国なのである。逆に、イギリス人にとっては、地の果てであった。主人公のサラ・アシュレイは夫がオーストラリアの牧場経営にのめり込まなければ、オーストラリアなどに行くことはなかっただろう。ネバネバランド(Never-never Land)であったのである。

2:植民
オーストラリアの植民は1788年の囚人移民によって開始されたが、その大地には「アボリジニ」(英語:原住民)と名付けられた人々が住んでいた。彼らは狩猟採集を営んでいたが、そこに、農業と牧畜を生業とする白人たちがやってきたのである。舞台となるオーストラリアの北部は多くは1920年代にようやく白人たちの植民(主として、牧場)が始まったが、オーストラリア国内にあっても秘境であった。これを、アウトバックとかトップエンドとか呼ぶ。そうした秘境には南部の繁栄する植民地から落ちこぼれた、あるいは、そうした生活に飽き足らない冒険心をもった人々、また、一儲けをしようという人々を引き寄せていた。アメリカの例にてらせば、フロンティアであったのである。

3:アボリジニ
「アボリジニ」は英語で元々からすんでいた人々、すなわち、「原住民」をさす言葉であるが、ひとくくりにするのは植民を行う支配者側、すなわち、白人たちにとって好都合だからであって、「アボリジニ」は18世紀の接触時には400以上の言語の異なる集団が存在したとされる。本作品でも、サラの夫が殺されたのは、キンバリー・ポイントと呼ばれる黒曜石の槍の穂先であったことがあかされるが、嫌疑がかけられた「キング・ジョージ」と呼ばれる「アボリジニ」の魔術師の出身は、「アーネムランド」である(映画の字幕では「アーナム」と書かれていたが)ということで嫌疑が晴れ、主人公は、疑わしいのはキンバリー・ポイントをつかった誰かであるということを知るのである。

4:ダーウィン
ポート・ダーウィンはチャールズ・ダーウィンの名を取った港であるが、もちろん、ダーウィン自身が訪問したことはない。この町(港)は、南からのびる有線の通信線の最北点であり、そこからシンガポール方面に向けて海底通信ケーブルがのびる。また、先に述べた水上艇によるロンドン定期航路のオーストラリアの最後の「港」であった。また、映画でも主要なシーンとなるが、日本軍による空襲が百数十回にわたり繰り返された。ハワイをのぞき(しかし、当時は、アメリカの属州)、日本を攻める連合国にあって唯一本国に空襲を受けた町である。日本の南進政策に対抗するためにもインドネシアにほど近いダーウィンは重要な拠点であった。映画では、軍用の肉牛の売買を巡る物語が全編の背景となっている。ダーウィンから肉牛を輸送していたのである。この辺りの海岸は、非常な遠浅で、ジェティという桟橋を沖合にのばして、大型船を接岸させたのである。映画の冒頭や後半、このジェティが主要な舞台となる。

5:ストールン・ジェネレーション
植民初期、オーストラリアの植民地各地の男女性比は以上に男に偏っていた。結果として、先住民の「アボリジニ」の女との多数の混血が生まれた。映画の中で物語の語り手として重要な役割を持つ「ナラ」という少年は、繰り返し、自分は黒でも白でもなくハーフ・カースト、クリーム(あるいは、クリーミー)だという。そして、彼が警察から逃れるというシーンが繰り返し映画に現れてこれまた、映画の重要な要素なのである。支配者である白人側は、身勝手なことに、白人の血を引く子供たちは黒い母親から引き離されて育てなければ、野蛮な母親の影響を受けてしまうので、キリスト教会が(多くの地域で教会が関わる)寄宿舎に引き取ってそだてようとする。こうした政策にもとづいて、うまれたのが「ストールン・ジェネレーション(盗まれた世代)」と呼ばれる人々である。彼らは、母親から、そして、母親の言語や文化から引き離され、かといって、白人にはなり得ない肌の色をもち、時には白人側から否定されるというきわめて非道な状況におかれ、彼らのエイデンティティのあり方やその補償のあり方について、長くオーストラリアは議論を続けていたのである。映画の舞台となるノーザンテリトリーではこうした状況が解消されたのは、1973年のことであり、国家としての謝罪が現在のケビン・ラッド首相によって国会で行われたのは、2008年のことであった。しかし、その補償についてはどのようになされるのか、なされないのか、未だに決着はついていない。

6:ドローバー
オーストラリアの第二国歌ともいうべき「ワルチング・マチルダ」は、オーストラリア奥地をさまよい歩く流れ者の男が歌われる。かれは、マチルダと呼ぶスワッグ(寝袋)とワルツを踊る。これは、一人寂しく放浪し、結婚もせず、流れていく男の物語なのだが、こうした歌に共感を寄せるところが、オーストラリア人の心性であろうか。ドローバーもそうした類型のひとつである。映画ではドローバーは主人公のサラの恋人の名前(もしくは、ニックネーム)であるが、これは、放牧していた牛を集めて、その群れを必要なところまで追っていくのを稼業とする流れ者についての普通名詞である。物語は流れ流れていこうとするドローバーを家(といっても、英国に連れ帰るのではなくオーストラリアの秘境にあるそれなのだが)に引き止めるサラと流れ者のドローバーの物語である。

さて、ようやく、映画を見ての感想を述べることにしよう。映画は、先に述べている事柄をふまえていくつかの対立する要素の葛藤が主題である。
まず、イギリスの貴族の世界と地球の最果てのオーストラリアのさらに奥地の秘境である。このかけ離れた空間をサラはまずは、夫を追ってやってくる。しかし、そこで見たのは、夫の死であった。彼女は心ならずも、夫の事業を継いで牛追い(ドロービング)をすることになる。
次に、支配者で雇用者の白人と被支配者で被雇用者の「アボリジニ」、そして、そのどれでもない「クリーミー」の三者が重要な要素である。クリーミーは白人の血を引く故に白人側に吸い寄せられようとして、そうではない、独自のアイデンティティが主張されるが、それとても、「アボリジニ」の祖父とともにシャツを脱ぎ、裸足になって荒野に出て行き、「アボリジニ」の通過儀礼を経なければならないのである。
そして、サラとドローバー、そして「ナラ」の成長である。サラは、出身の英国を離れ、秘境の中の生活で、夫を失いつつ、新たな愛と生活を見つけ出す。それから、ドローバーであるが、かれは、亡くしたアボリジニの先妻にかわって、新たな愛(サラの)をえ、新たな「家」を獲得するのだが、それは、果たして成長かどうか。妥協を知り、他者との協調を学んだとすれば成長であるが、独立して一人で生きていた男が、誰かとともに生きるという道をえらぶという、堕落への道と読めるのかもしれない。既に述べているが、混血児の「ナラ」にとって重要なのは「アボリジニ」の祖父との絆であり、そのための「物語(あるいは、神話)」であり、呪術であり、歌である。こうしたものを通じて、切られていたつながりを修復していく。これらの触媒としての役割を果たすのがサラでありドローバーなのである。そして、最後に、「ナラ」はサラとドローバーに別れをつげてアウトバックでの通過儀礼に旅立つのである。
さて、この映画の主人公は何であったのか。サラとドローバーのラブストーリー?、オーストラリアの歴史?、オーストラリア人の秘境に憧れる心性?、また、混血児「ナラ」の新たなアイデンティティ構築への道?いずれも、含み込んだ3時間の長編に引き込まれ、心から楽しむことができた。

最後に、日本軍の空襲が重要な役割を果たし、小島に上陸した日本軍人もまた、ヒールの役を演ずるのだが、これもまた、オーストラリア国民のアイデンティティに関わることであることを指摘しておきたい。日本はオーストラリアにとって重要な貿易相手国であり、観光客を多数迎える。多数のワーキングホリデーの日本人の若者もいる。日本にたいし、友好的とも敵対的とも両義的な感情はなかなかぬぐいされずにのこる。
つまり、オーストラリア国家にとって、アボリジニ問題に継いで大きなトラウマのもうひとつが「黄禍論」なのである。19世紀半ばからのゴールドラッシュで中国からの移民が大勢やってきて、これをきっかけに、アジア人排斥の白豪主義が国家原理となった。しかし、太平洋戦争終了後のイギリスのアジアからの撤退によって、否応なくアジア太平洋国家となったオーストラリア。最大の貿易国は中国と日本、両国からの観光客も多い。しかし、アジアとの関係はのどに刺さったトゲのように、なかなか取り去ることができず、いまなお、ときにオーストラリアののどもとに痛みをもたらすのである。

2007年に先のハワード首相は「緊急政策」を発表してノーザンテリトリーのアボリジニ・コミュニティに軍隊を送り込んでコミュニティにおける飲酒と暴力、子供への性的虐待が起きている状況に介入することとした。その後、政権が交代し、ラッド首相がうまれ、「アボリジニ」のおかれた歴史的な状況に対して謝罪が行われたのだが、じつは、現在も介入的な政策は継続されている。
こうした状況からみると、映画の制作者が意図していたかどうかはともかくも、最後のシーンは意味深である。アボリジニの祖父が混血の子供を引き取って白人のいない場所に連れ去り、通過儀礼を受けさせるというのであるから。つまり、これは、アボリジニのことはアボリジニに任せよというメッセージとも見えるのだが、これは、うがち過ぎだけれど、そろそろ、国家としてアボリジニの生活文化への過剰介入を再考してもよいのではないかと思えてくる。

2009-03-08 21:58:15 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )