難波家屋敷は今は誰も入れません。あまりに古く手入れがされておらず、今にも崩れ落ちそうです。あの大事件以来、時が止まったようです。すでに屋根が落ちている小屋もあります。大正時代に難波作之進の息子である難波大助が、銃で皇族(皇太子時代の昭和天皇)を撃った大事件があったのです。その息子の不祥事を一心に背負って、難波作之進はこの難波家屋敷に蟄居して絶食したとのこと。戦国以来の名家であるにも関わらず、どうしてこんな事件を起こしてしまったのでしょうか。今にも崩れ落ちそうな難波屋敷を見ながらそう思いました。
立野神社でのんびりと昼食休憩
難波家屋敷を離れると、田んぼの向こう側に鎮座する立野神社に行きました。この神社は難波家が仕えていた清水家が、岡山から勧請して立野の神社と合祀して建てたとのことです。清水家も難波家も、戦国時代に治めていた備後の高松城を故郷と思っていたのでしょう。清水家も難波家も豊臣秀吉に高松城を明け渡した後、毛利家の陪臣となりました。そして、江戸時代初期に毛利家が今の山口県に移る時、一緒に移って立野の地を拝領したのではないかと思います。ちなみに、立野の隣の小松原や三丘は毛利家家臣の宍戸家が拝領しています。
田んぼ道を立野神社へ 小高い立野神社 正義霊社への石段
立野神社に着くとお昼休憩にしました。30分位のんびりしながら談笑すると、次の史跡である正義霊社に向かいました。途中、和光苑やゴルフ場を右手にしばらく進みました。正義霊社がある山のすそ野に着くと、石階段を登って正義霊社に行きました。正義霊社を見学し終わると、次に橿原神社に向かいました。途中の人丸神社は割愛しました。
木立の中の橿原神社 岩戸八幡宮の入口
続いて教西寺と冠念寺を訪問しようと思いましたが、時間もなく猛暑のこともあり割愛しました。さらに岩戸八幡宮はだいぶ山を登らなければならず、やはり割愛しました。岩戸八幡宮入口からJR岩田駅が見えました。ほぼ一直線に岩田駅に向かいました。ところが、JR岩田駅には南口がないことが到着して初めて分かりました。駅のホームは目の前に見えるのに、駅舎に入れないのです。気を取り直して、ぐるりは線路を迂回してJR岩田駅に到着しました。猛暑の中、下見ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。今回の下見ウォーキングはだいぶ史跡を割愛したため、本番ウォーキングではコースを少し変更しようかと思っています。
JR島田駅~JR岩田駅史跡巡りウォーキングの下見コース