東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻郷 高塔ふれあい祭りの後片付け

2013年11月15日 | イベント,行事

 日曜日(10日)に開催された高塔ふれあい祭りのテントの撤収作業をしました。撤収のために集まったのは4人でした。テントを解体・整理・収納するだけでしたので、少ない人数でも手際よく作業できました。
 なお、お祭り前の設営時に集まった人はもっと多かったです。しかし、テントによって設営方法がまったく違うため、なかなかはかどりませんでした。

    最初、テントの幕を外す作業         幕をたたむと、テント骨組みの解体
 

 最初、テントの幕を外す作業です。紐を解いて幕を外して広げます。そして、綺麗に畳みました。テントの幕を畳み終わると、今度はテントの骨組み解体です。解体した骨組みは、支柱や屋根ごとに分類して紐で縛りました。

              テントの骨組みは、支柱や屋根などに仕分けして結束


 テントの骨組みを解体して結束し終わると、それらを高塔公会堂の倉庫に仕舞いました。最初にテントの幕を、次にテントの骨組みを、最後にブルーシートを仕舞いました。これらのテント備品は、来年のイベントでまた使います。

     干していたテント幕を畳む          最後にブルーシートを倉庫に収納
 

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古い東芝製トランジスタラジオ(カーラジオ) AR-109の修理(1/6)

2013年11月14日 | 古ラジオ修理工房

 この東芝製カーラジオAR-109の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。

  修理(1/6) 修理(2/6)  修理(3/6) 修理(4/6)
  修理(5/6) 修理(6/6)



 先日、東京日野市のKさんから、とても古い自家用車に載せられていたカーラジオの修理を依頼されました。家庭用ラジオを修理したことは何度もありますが、カーラジオは初めてです。おそらくラジオとしての機能は同じだと思いますが、自動車特有の機構があると思います。農作業ができない雨の日などに、のんびり時間をかけて修理しようと思います。
 古い自動車とは、日野コンテツサと呼ばれる自家用車です。今は主にバスやトラックを専門に製造している日野自動車が、確か昭和30年代頃に製造していた自家用車です。私にとって何十年ぶりに聞いた、懐かしい響きのある車種名です。

  日野コンテッサ 1300(昭和30年代)       丸はダッシュボードのカーラジオ
 

 届いたカーラジオ(「オートラジオ」とも言う)は、東芝製と三菱製です。東芝製は二つあり、一つは筐体が無い部品取り用のものです。当時のカーラジオは同調部のメカニックがとても精巧です。いきなりの修理はリスクがあります。このため、最初、このラジオの機構を勉強してみる意味で、壊してもよいジャンク品を念入りに調査し、場合によってはジャンク品も直してみることにしました。また三菱製も並行して直してみることにしました。 

            東芝製のカーラジオAR-109、左:ジャンク品 右:要修理品


 このカーラジオは、昭和30年代製らしくAM放送しか入りません。当時はまだFM放送がなかったか、FM放送をカーラジオで受信する技術が無かったのかも知れません。
 ちなみに、下の写真は私が持っているカーラジオで、10年位前に製造されたものです。クラリオン製の製造国がフィリピンのものです。FMも受信できます。さらに、PLLシンセサイザー技術を使っていると思われ、電波を自動的に検索してくれます。さらに自動的にプリセットしてくれます。カーラジオの進歩は驚きのものがあります。

      10年位前製造のカーラジオ        丸はAM受信部(マッチ箱位の大きさ)
 

 ところで、昭和30年代のカーラジオの一番の特徴は、電波の同調回路にあります。家庭用のトランジスタラジオは可変容量型の同調回路です。いわゆるバリコンを回して同調します。しかし、この当時のカーラジオは可変インダクタンスを使っての同調です。つまりμ同調器を使っています。当時のカーラジオは、メカニック的にプリセットするしかないため、可変容量型の同調回路は使えなかったのでしょう。
 まずは、メカニックなプリセット機能をチェックしました。すると、メカニック的な同調機能は正常のようです。ちゃんとフェライトが出たり入ってりします。下の二つの図で、上の丸はμ同調器のフェライト部で、下の丸は同調周波数を示す指針です。

      低い周波数を受信時                高い受信周波数を受信時
    μ同調器のフェライトが入る                   μ同調器のフェライトが出る
 

 メカニックなプリセット機構が正常な事を確認すると、次にプリセットする時の選局機構をチェックしてみました。すると、つまみを回しても選局部がさっぱり回りません。つまみと選局部が繋がっていないようです。調べてみると、つまみ側の軸と選局部を繋ぐ軸が外れているか切れているようでした。

             つまみ側の軸と選局部を繋ぐ軸が切断(丸の部分)
                A:つまみ側の
軸 B:軸 C:選局部              


 次に、μ同調器そのものをチェックしました。このカーラジオは高周波増幅しています。このため、高周波増幅用,選局用,そして混合発信用の三つのμ同調器を使っています。高周波増幅用と思われるμ同調器にはアンテナ線と思われる線が接続されています。アンテナ線はボロボロでした。アンテナ線にはトリマーコンデンサがぶら下がっていました。

   プリセット機構内の三つのμ同調器           ボロボロのアンテナ線
 

 μ同調器は私が子供の頃、ラジオを勉強するための1石程度の入門用廉価版ラジオによく使われていました。しかし、今は製造されていません。今や幻の同調器と言っていいでしょう。秋葉原に行っても、再生品や中古品すらありません。
 なお、昭和30年代のカーラジオにこのμ同調器が使われていた理由は、当時の選局プリセット機構が機械式であったことに由来すると思います。バリコンは軸を回転させて同調するのに対して、μ同調器はフェライトを出し入れして同調します。メカニック的には、回転よりも出し入れの方が容易にプリセット機構を実現できます。
 しかし、バリコンは可変容量ダイオード(バリキャップ)などの出現で、半導体化されかつ超小型(数mm)にできしかも安価に製造できるようになりました。しかし、インダクタンスだけは半導体化できません。今でもインダクタンスの元であるコイルは必要不可欠です。つまり、インダクタンスであるμ同調器は、どうあがいても半導体化できません。またフェライトを出し入れする機械的な構造上から、小型化できずコストも低減できません。これが、μ同調器が消えてなくなった理由ではないかと思います。

  バリコンは羽を回転させ使用        μ同調器はフェライトの出し入れで使用
                               私が持っている唯一の
μ同調器
 

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タマネギ用の畝を作り、育苗した苗を植え付ける

2013年11月13日 | 野菜:葉菜



 義母の葬式や高塔ふれあい祭りなどで、しばらく畑の作業ができませんでした。それを取り戻すための一つとして、今回はタマネギの苗を植え付ける作業をしました。寒さでナスはもう成りません。このナスを植えている畝を、タマネギの畝に切り替える作業から始めました。ナスをすべて抜き取って、さらに黒マルチを剥がしました。

    ナスを植えている畝、ナスを抜去      ナスを抜去した後、黒マルチを剥がす
 

 ナスを植えていた畝を綺麗にすると、何度か耕運機で耕しました。そして、三本クワで畝を作りました。三本クワで畝を立てると、今度はレーキで畝が鞍型になるように綺麗に均しました。そして、タマネギ用の穴あきマルチが具合よく被せることができるような畝幅にしました。

     元ナスの畝を耕運機で耕す         クワで畝を立てた後、レーキで均す
 

 タマネギの畝が出来上がると、去年タマネギの苗を植えていた穴あき黒マルチを倉庫から出しました。そして、畝の上に軽く被せました。去年使った黒マルチのため、少し土で汚れていましたが、一度雨が降れば綺麗になるでしょう。

                 去年使ったタマネギ用穴あき黒マルチを畝に被せる


 次に穴あき黒マルチの両側を抑えるように土を寄せていきました。黒マルチをピンと張るように足で黒マルチを心持ち引っ張るようにしながら土を寄せます。黒マルチを張り終わると、タマネギの苗を植え付けました。
 植え付けたタマネギは、秋に種を蒔いて育苗したものです。世話をしたかいがあって、立派な苗に育っていました。タマネギの苗を買うと、450円/50本(1束)位します。今年も育苗したため、200本ほどが293円(種代)で済みました。もしこの本数の苗を購入した場合、2000円位にはなります。約1/7の費用で育苗したことになります。

     黒マルチをピンと張るように土寄せ       育苗したタマネギ苗を手に取る
 

 育苗したタマネギの苗を丁寧に一本ずつ抜き取りました。抜き取ったタマネギの苗は200本位あったでしょうか。多少育ちに違いがありましたが、太いものを選んで170本(34列 x 5行)の苗を植え付けました。余った苗は予備として、畝の横に植えておきました。

     鉛筆より少し細い程度の苗              一本ずつ丁寧に植え付け
 

  去年はタマネギを作り過ぎました。友達に差し上げるなどしましたが、それでもまだ、50個以上のタマネギが春から干したままです。来春まで食べきることができそうもありません。このため、今年は少しタマネギの数を減らしてみました。
 ところで来春、タマネギの出来はどうでしょうか。害虫がいるのか病気になるのか、せっかく植え付けた苗が消えて無くなることがあります。また黒マルチ穴の中に雑草が生えることがあります。雑草を取ったり苗を植え増しするなどの世話が欠かせません。

                   タマネギの苗を植え付け終わった畝

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鉄筋コンクリートの我家を補修(1/3)

2013年11月12日 | 建設,工事,修繕

 我家は二つあります。母親が住んでいる山口県と、家内が住んでいる東京八王子です。主に山口県の家に住み、時々東京八王子の我家に住みます。山口県の家ですが、私が住み始めたは去年の4月からで、高校まではすぐ近くにあった古い木造家屋に住んでいました。なお、大学から去年までは引越しが多く、東京東池袋,岐阜県美濃加茂市,大阪府高石,横浜市戸塚,栃木県栃木市,金沢県高岡市,福岡県福岡市,東京青梅,東京八王子市などに住みました。それぞれに思い出があります。
 今回、山口県の鉄筋コンクリート製の我家を補修することにしました。この家は40年前、私が高校を卒業した後の昭和48年(1973)に完成しました。長い月日の間に、あちこちにヒビが入ったり、場所によっては鉄筋が露出しています。今回は、主に外壁の補修工事です。

    足場を運んできた来たトラック               我家の周りに足場が
 

 この鉄筋コンクリート製の家を作った理由を、親に聞いたことがあります。その理由は、まず災害に強いためとのことでした。私が子供の頃に住んでいた古い木造家屋は、台風でよく壊れました。屋根瓦が飛んだり、雨漏りに悩まされました。台風が来るたびに窓を塞ぐように板で釘を打っていました。台風や強風などの時、風圧で土壁がゆらゆら動くのをよく見ました。さらに、床下浸水がよくありました。台風が過ぎ去った後に畳を剥ぐと、下がピチャピチャとした水面だったことを覚えています。

   足場を組んでいる途中のベランダ       足場を組み終わった後のベランダ
 

 しかしながら、鉄筋コンクリート製にして本当に良かったのか疑問です。日本の風土に合っていない気がしています。夏は直射日光の熱を吸収するためか夜になっても暑いこと。そして、冬は冷えが半端ではないことです。経済的な事も不満です。木造に比べて税金が高いことです。さらに、増改築や解体が容易にできないことです。丈夫さだけを追求した負の部分が目につきます。そして階段が急なためか、足の弱った母親は二階に上がることが苦痛のようです。
 しかしながら建築当時、親がこれが災害に一番強い家と判断したのでしょう。今はなんとかうまく住み続けるしかありません。今回、コンクリートのクラックなど傷んだ場所を修繕することにしました。大きくは、外壁の補修とペンキの塗り直しです。

                晩秋の緑に囲まれた中、足場で覆われた我家

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田布施町 麻郷 高塔ふれあい祭り

2013年11月11日 | イベント,行事



 昨日まで、和菓子風小豆羊羹を作ったり焼き芋用竹組を作るなど、高塔地区ふれあい祭りの準備をしました。そして今日、一年ぶりの高塔地区ふれあい祭りでした。私は、焼き芋を作りつつ、昨日作った和菓子風小豆羊羹をみなさんにふるまいました。
 夜から朝にかけて雨が降っていましたが、去年のふれあい祭りのように一日中雨が降ることなく朝には薄日が差してきました。雨が降らなくて良かったです。

      焼き芋の竹組、鍋で石焼き芋          柿を洗っている子供達
 

 9時過ぎに高塔公会堂に行くと、すでにご婦人方が集まって豚汁用の野菜などを切っていました。去年、私は自分で作った白菜を提供しましたが、今年は出来が悪くて提供できませんでした。来年は、白菜,里芋,サツマイモなどをこのお祭りに合わせて作ろうと思います。

             高塔公会堂前で、豚汁用の野菜を切っているご婦人方


 豚汁がほぼ出来上がった頃、高塔公会堂広場前で、ふれあい祭りの開会式がありました。この時期、一昨年までは高塔地区のスポーツ大会をしていました。しかし去年、スポーツ大会への参加者希望者が少なかったため、代わりとして急遽「高塔区三世代ふれあい祭り」の開催になりました。今年は、2回目の高塔区ふれあい祭りです。

      美味しそうな豚汁の出来上がり            ふれあい祭りの開会式
 

 ところで去年、私は鍋を使った石焼き芋を作りました。ことしは、石焼き芋に加えて籾殻(すくも)による焼き芋を試みました。私が子供の頃、籾殻(すくも)で燻炭を作る時についでに焼き芋をよく作っていました。時間をかけて焼くため、とても美味しい焼き芋になりました。今回、その方法による焼き芋を試みました。

                  籾殻(すくも)による焼き芋を試みる


 籾殻による焼き芋を試みている時、高塔公会堂広場でドッジボールなどのスポーツが行われていました。この広場、去年の夏に高塔地区の有志で整備しました。整備後このお祭りのように、広場が有効に使われているので嬉しく思いました。広場前では、紙飛行機を作っている子供達もいました。ドッジボールなどが終わると、広場でその紙飛行機を飛ばしていました。

    ドッジボールを楽しんでいる子供達          紙飛行機を作る子供達
 

 紙飛行機を飛ばし終わると、今度はメインイベントの紅白の玉入れが始まりました。子供達も,大人達も,お爺ちゃんやお婆ちゃん達も参加しての楽しい玉入れです。赤グルーブと白グループに分かれて、竹上にぶら下げられた籠に玉を入れました。結果は、2回共に白グループの勝ちでした。

    子供達も,大人達も,お爺ちゃんやお婆ちゃん達も参加しての楽しい玉入れ


 軽スポーツや楽しい玉入れで体を動かしたので、少しお腹がすきました。そこで休憩タイムです。椅子に座って美味しい豚汁やおにぎりを食べました。ごちそうさまでした。そして、いただいたお茶を飲みつつ談笑しました。豚汁を食べ終わった頃、昨日作った和菓子風小豆羊羹をふるまいました。

    大鍋の豚汁をみなさんに配膳         短冊状に切った和菓子風小豆羊羹
 

 私も、和菓子風小豆羊羹を食べてみました。すると、試作した小豆羊羹に比べてとても美味しくできていて安心しました。小豆の種をまいて収穫して作った小豆羊羹、みなさんに喜んでいただいて良かったです。もともとの計画では、枝豆を出す予定でした。しかし、枝豆がすっかり大豆に育ってしまい出せなくなりました。枝豆の代わりに、収穫して天日で乾燥したのち鞘から外した小豆で作った羊羹でした。

           豚汁,おにぎり,小豆羊羹などを食べながら談笑


 食事が終わると、子供たちはそれぞれ楽しんでいました。子供達の一番人気は、綿菓子作りです。ザラメを入れながら、吹き出た綿菓子を割り箸で器用にかき集めていました。ところで、籾殻(すくも)による焼き芋作りは残念な結果に終わりました。火の回りがとても遅く、このままでは焼き芋ができそうもありませんでした。夜から朝にかけて雨が降ったため、火を点けるのが遅かったのです。

     綿菓子作りを楽しむ子供達         火の回りが遅かった籾殻(すくも) 
 

 午後1時頃になるとパラパラと雨が降ってきました。このため、籾殻(すくも)による焼き芋作りは今回諦めました。少し暖かくなったサツマイモを籾殻(すくも)の何から取り出しました。そして、ふれあい祭りに参加された方々に配ることにしました。来年もトライするならば、早朝6時頃には火を点けておく必要があると思いました。

           籾殻(すくも)から取り出したサツマイモを手に取る子供達 


 ふれあい祭りは午後2時頃に終わりました。この頃になると、雨が本降りになってきました。テントの中で手早く、机や椅子,綿菓子製造機などを片づけしました。雨が降っているため、テントだけは撤収できません。テントの布が乾いた晴れた日に、有志が再び集まって撤収することになりました。
 去年は大雨のため、高塔広場で玉入れなどができませんでした。しかし、今年はお昼頃雨が降らず玉入れなどを楽しむことができてとても楽しかったです。参加された方々、お疲れさまでした。

     椅子や机などを片付け                 綿菓子製造機を綺麗に清掃
 

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田布施町 麻郷 高塔ふれあい祭りの準備(2/2) 小豆羊羹作り

2013年11月10日 | イベント,行事

 早朝、昨日作った焼き芋用の竹組を高塔公民館に運びました。高塔公民館に着くと、すでに数人が来ていてテントを張っていました。すぐに私もそのテント張りを手伝いました。天気予報では、お祭り当日に雨が降るようです。このため、テントは3張設置しました。さらに、雨どいもテントに付けました。

  焼き芋用竹組を一輪車で運搬      テント張り作業を手伝う
 

 テント張りが終わった頃、お昼になりました。テント張りをした数人と一緒に談笑しながら、配られたお弁当を食べました。ごちそうさまでした。お昼休憩が終わると、先日試作した水羊羹を作る作業に入りました。なお試作時の反省から、水羊羹ではなく和菓子風羊羹にすることに方針転換しました。
 まずは、同じ高塔に住むAさんに野外用かまどと鍋などをお借りしました。そして、それを使って小豆を煮ました。薪は伐採して積んでいた木を使いました。8ヶ月近く干していたため、よく燃えました。小豆を煮始める頃、Eさんが手伝いにやって来ました。Eさんに、おたまと0.5Lの計量カップをお借りしました。その後10分位煮て、あくの溶け込んだ煮汁を捨てて小豆を水で洗いました。

    野外用かまどを使って小豆を煮る。鍋をかき混ぜるEさん


 あくを取った後、小豆を再び煮ました。薪は火力が強いのか、すぐに水が沸騰します。沸騰が持続するように、火力を調節しながら小豆を煮続けました。試作時は10分位しか煮ませんでした。そのため、柔らかい小豆にはなりませんでした。今回は1時間は煮詰めてみることにしました。

 弱火の火力を一定に保つのは至難     あくを取り、洗った小豆
 

 小豆を煮詰めていると、Yさんもお手伝いにやって来ました。EさんにYさんが加わってにぎやかな作業になりました。1時間近く野外かまどの火を絶やさないように、雑談しながら楽しく小豆を煮続けました。1時間位煮ていると、小豆が少しずつ柔らかくなっていくのが分かります。また煮汁にとろみがついたようになりました。

   野外かまどを囲みながら、火を絶やさないにように談笑


 1時間が過ぎた頃、煮えた小豆を煮汁と一緒にミキサーにかけました。しかし、小豆があんこ状になりミキサーが空回りしました。そこで、水を少し入れつつミキサーにかけました。
 最初、裏濾し器で裏濾しするつもりでいました。しかし、ミキサーにかけると小豆の形が分からないほどどろどろになり、あんこのようになりました。そこで、裏濾しすることは止めました。全ての小豆をミキサーにかけてあんこにすると、水を1Lばかり加えて再び野外かまどで煮ました。

   1時間位煮詰めた小豆       とろとろのあんこになった小豆
  

 どろどろになった小豆あんに、ザラメ糖を入れました。そして、数人で甘さを確認しました。ザラメ糖が溶けると、次に粉寒天を入れて均等に混ぜました。粉寒天が溶け終った頃、高塔公会堂内でアルミのトレイを用意しました。そして、そのトレイの中に、溶けた熱いあんを入れて流れるままに広げました。少し冷ました後、そのトレイを冷蔵庫に入れました。さて、明日のお祭り時、美味しい羊羹になっているでしょうか。

  ザラメ糖や粉寒天を入れた小豆あんを煮ているYさん,Eさん


 前回は水羊羹として試作して、今回は和菓子風羊羹にしました。しかしながら、まだまだ反省点がありました。それは、小豆を煮る時間は1時間でもまだ少ないことです。最低でも2時間は煮る必要があるようです。また、小豆の量に対して、水がまだまだ少ないことです。小豆を煮てあんこにすると、量がとても多くなることが分かりました。

 野外かまどと鍋をお借りしたAさん,小豆羊羹作りを手伝ってくれたEさんとYさん、ありがとうございました。とても美味しそうな和菓子風小豆羊羹ができました。

小豆をあんこにして作った和菓子風羊羹の完成、とても美味しくできました。

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田布施町 麻郷 高塔ふれあい祭りの準備(1/2) 竹組み作り

2013年11月09日 | イベント,行事

 日曜日11日の高塔地区ふれあい祭りの準備をしました。去年は第1回目ふれあい祭りだったので、今年はどうするのか思っていました。先月、今年もふれあい祭りをすることが決まったとのこと。このため、先週から少しずつ準備をしてきました。今回は、去年と同じように焼き芋用の竹組を制作しました。

    竹組の両サイドを縄で縛る              両サイドの交差点も縛る
 

 去年使った竹を使いつつ、傷んだ竹は竹林に行って切って新調しました。まずは、竹組の両サイドを縄で縛って組み立てました。去年使った竹は茶色で、今年新調した竹は緑色です。茶色と緑色が混合した竹組となりました。
 両サイドの竹組を組み立てると、両サイドに渡す竹を3本縄で縛りつけました。これで、本体の形が整いました。あと、竹組が揺れたり緩まないように、X状に交差する補強用の竹を縛り付けました。この補強用竹は竹林で切り出しました。

  両サイドの竹組が立つよう竹を縛る         補強用の竹を竹林で切り落とす
 

 補強用の竹を交差させるように取り付けると、竹組本体の制作は終わりです。竹組に足をかけて乗り、丈夫にできているか確認しました。足をどんどん踏みつけましたが、崩れることはありません。後は、この竹組に取り付ける看板と焼き芋器を乗せる竹板を縛り付ければ完成です。

                 完成した竹組の本体、看板と竹板を付ければ完成


 次に、段ボール製の看板を作りました。竹組と大きさが合うように切り揃えました。そして、祭りの前日に容易に取り付けることができるように、紐をつけておきました。看板に書く絵や文字は祭り前日に描きます。
 看板を作り終わると、今度はテーブル板にする部分の竹を、竹林に切りに行きました。硬く枯れた竹を探して、30cm位の長さに切りそろえました。そして、ナタで割って板状にしました。

     段ボール製の看板を制作中         テーブル板にする竹をナタで割る
 

 割った竹板を竹組の上に仮置きしてみました。この竹テーブルの上に、焼き芋器などの調理器具を置くつもりです。これで竹組セットの制作が終わりました。お祭り前日10日、今回制作した竹組とテーブル板を高塔公会堂に持っていきます。そして、竹製テーブル板を竹組にひもで縛って固定します。これで準備OKです。

                  竹製のテーブル板を、竹組の上に仮置き

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収穫した小豆で、水ようかんを試作するも反省

2013年11月08日 | 料理、食品加工

 鞘から外した小豆を使って、何か料理してみることにしました。小豆料理は限られてきますが、今回は水羊羹を作ってみることにしました。普通はあんこを買ってきて作りますが、収穫したばかりの小豆を使ってみました。野菜炒めや味噌汁程度しか作らない料理無精者で、しかも初めての小豆料理なので、いくつも反省点があることは承知済みです。
 大豆など豆類の料理は、事前に水でふやかすことが多いと思います。しかし、小豆を水でごしごし洗った後、いきなりごとごとに煮ました。煮ると水がほんのりと小豆色に濁っています。この濁り水の中には、豆固有の苦いあくがあるようです。

      いきなり小豆をごとごと煮る           濁り水は捨て、小豆を水で洗う
 

 煮た小豆を再び煮ました。後で分かりましたが、小豆が柔らかくなるまで辛抱強く煮ると良いようです。煮ている途中で一粒取り出して、容易につぶれるか確認しました。もういいかなと思うときに、鍋の暑い水と一緒にミキサーに入れました。そして、スイッチを入れて粉砕しました。

            鍋から暑いまま熱湯と一緒に茹で小豆をミキサーに入れる


 しかし、ミキサーを回してもなかなか粉々になりませんでした。もう少し煮続けていれば、小豆が柔らかくなったのではないかと思います。それでもミキサーを回し続けていると粒が細かくなりました。そして、細かくなったところで、裏濾し器に入れて裏濾ししました。
 裏濾しの本当の方法は、小豆をより柔らかく煮てへらなどでつぶすようにして裏濾しするのではないかと思います。ミキサーを使うと、皮も粉砕されて裏濾し器を通過してしまうようです。ミキサーを使うと、こしあんのような細かなあんにはならないことが分かりました。濾し布を使うと良いかも知れません。

    ミキサーで粉砕した小豆を裏濾し         裏濾しされたトロトロの小豆
 

 裏濾しされた小豆は、とても粘っこい小豆汁になりました。この小豆汁に砂糖と粉寒天を入れ、鍋の温度をあげながらかき混ぜました。後で気がつきましたが、熱湯を別に作っておいて追加すれば良かったようです。
 分量の寒天を入れ終わると、しばらくかき混ぜ続けました。火を止めてからガラスの皿に移しました。そして、冷やすために冷蔵庫に入れました。

     砂糖と粉寒天を入れて混ぜる          ガラスの皿に入れた小豆
 

 2時間位経ったのち、冷蔵庫からガラスの皿を取り出しました。すると、固まっていて安心しました。さて、試食してみました。自己評価ですが、
 ・甘さが少し足りない。
 ・小豆の味はGood。
 ・包丁でするりと切れるも、寒天の量が少なかったのか硬いあんこ状。
 ・食べた感触は、羊羹と水羊羹の中間。
 ・小豆のあくが少し残っている。
 ・ミキサーを使ったためか、裏濾しするもややざらつき感
 以上、反省点が多いので少しがっかりしました。しかし、初めての小豆料理ですので仕方ないでしょう。明日友達に試食してもらい、その結果をもって地域のお祭りにおすそ分けとして出すかどうか決めようと思います。お祭りに出すならば、上の反省点を改善しようと思います。
 お祭り当日は、焼き芋屋さんと水羊羹屋さんを兼ねるかな。

            硬めのあんこ状の水羊羹。美味しいような、そうでないような

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収穫した小豆の、脱鞘と唐箕選ほか

2013年11月07日 | 野菜:豆類ほか



 先日、鞘(さや)をもいで収穫した小豆を、天日で何度も乾燥させました。カラカラに乾いたため、鞘から豆を外した後に唐箕などを使ってゴミを取りました。農薬類を全く使わなかったため、虫食い跡がある小豆が少なくないのですが、自家用ですのでまあいいでしょう。
 この小豆、自家用として食べてもよいのですが、この日曜日の高塔区のお祭りに水羊羹にしておすそを分けしてみようかと思っています。羊羹など作ったことがないため、事前に自宅で試作してみようと思います。

     くるり棒で鞘から小豆を外す              小豆がきれいに外れた鞘
 

 カラカラに乾いた小豆の鞘を袋に入れて、最初は足で何度も強く踏みつけて鞘から少し小豆を外しました。次に、くるり棒で強くたたいて完全に小豆を鞘から外しました。途中、時々袋を開けて、外れ具合を確かめます。
 次に網を使って鞘と小豆を分離します。小豆より少しばかり大きい目の網を使います。数回網を通すと、少しゴミは混じっていますが綺麗な小豆だけになります。

                 何度か網を通して鞘と小豆を分離


 次に、唐箕を使って細かなゴミを取り除きました。私が子供の頃、唐箕が無かったため風がよく吹いている川の土手に行ってゴミを取り除きました。土手の道にむしろを敷いて、その上から箕に入れた豆を少しずつ落としました。すると、ゴミは遠くに飛ばされて、豆だけが下のむしろの上に落ちました。以前、このように風を使って小麦のゴミ取りをしていました。今は唐箕があるため、風が無くても、雨が降ってもゴミを取ることができます。

 唐箕の上にゴミ混じりの小豆を投入       唐箕選された後のゴミが無い小豆
  

 唐箕であらかたゴミが取り除きました。しかし、虫食いの小豆やカビが生えた小豆は、目視で取るしかありません。お米の世界では、虫食いなどの微妙な色合いを読み取って、一粒一粒を選別する機械があるようです。
 小豆はそのような機械はあるのでしょうか。むしろ、そのような選別機を使わないで済むように、プロの小豆農家は害虫や病気を防除しているのではないでしょうか。我家の小豆はいっさい農薬を使っていないため、どうしても病気や害虫にやられてしまいます。見かけはよくありませんが、とても安全な小豆だと思っています。さて、この小豆をどんな料理に使おうかな。まずは水羊羹かな。

         最後に、一粒一粒を目視検査して、虫食いや病気の小豆を摘出

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古いNEC製トランジスタラジオ NT-625の修理(6/6)

2013年11月06日 | 古ラジオ修理工房

このNEC製トランジスタラジオ NT-625の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。

  修理(1/6) 修理(2/6)  修理(3/6) 修理(4/6)
  修理(5/6) 修理(6/6)

 雨が降っているため、先日から修理しているNEC製のトランジスタラジオ NT-625の修理を続行しました。今回は、修理と言っても受信周波数や感度の確認と、ラジオを包む革の清掃だけです。まず、SGで受信周波数の確認をしました。高い方の受信周波数は、1640kHzでした。そして低い方は、510kHzでした。数字を見る限り良さそうです。

   高い方の受信周波数は1640kHz           低い方の受信周波数は510kHz
 

 ラジオの裏蓋に貼ってある受信周波数規格は、535~1605kHzとなっています。測定値と規格が全く同じではないですが、許容範囲です。感度を調べるためにはSGに専用の測定装置を取り付けます。しかし、そのようなものを私は持っていません。野外で各ラジオ放送が正常に受信できるため、感度も良好と判断しました。

               ラジオの裏蓋に貼り付けてあったラジオの規格


 ラジオ受信状況を確認すると、最後にラジオを包む革の掃除をしました。濡れたティッシュで丁寧に革を拭きました。そして、革を固定するスナップ部分が錆びて固くなっていたため、少量の油をさしておきました。

      濡れティッシュで革を拭く           スナップ金具に少量の油をさす
 

 革の横側に手から落ちないための革紐があったはずですが、無くなっていました。こればかりは革細工技術がないので再生修理はできませんでした。個人的にはNECラジオ NT-620の方がデザインが好きです。しかし、NT-620は手で持った時、片手で操作できません。その点、このNT-625は個性的なデザインではなくなりましたが、持った感じがしっくりしますし楽々片手で操作できるのは良いところです。

              持つとしっくりし、片手で楽々操作できるNT-625 

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東京練馬に住んでいた義母の葬儀・告別式

2013年11月05日 | 家族関連

  この動画は、海外に居住,そして修学旅行中などで、葬儀に出席できなかった方々のために。
       このような おごそかな雰囲気で、おばあちゃんの葬儀が執り行われましたよ。


 30日のお通夜に続いて、31日は葬儀・告別式でした。お通夜に間に合わなかった方が来たため、お通夜よりも多い参加者でした。私の父親の葬儀では、仕事などの関係で政治家や地域の偉い方が出席していましたが、義母の葬儀には近所でお付き合いが多かった商店会の方々がたくさん出席していました。義母は地元の商店会の方々にとても慕われていたようです。

              親族や地域の商店街の方々の参加の元、葬儀の開始


 私が家内と結婚した頃、義父や義母は地域の商店会でお店を持っていました。義母が大きな声でお客さんを呼び込んでいた光景を覚えています。忙しい時には何人か雇っていたこともあるそうです。大晦日など休む暇もなく働いて三人の子供達を育てました。

                  導師さんの元で、粛々と葬儀


 家庭内ではなかなか厳しい方でした。生前、私が家を訪れても素っ気ないそぶりや口ぶりでした。子供達にも、贅沢をいっさいさせない生活信条でした。しかし、商店会などの方にはとても親切で、とても信頼されていたようです。そのためなのでしょう、商店会を始め地域の方々が大勢来て涙ぐんでいました。

      挨拶している義母の孫達               花をたむけられている亡き義母
 

 葬儀が済むと、いよいよ火葬場への出立です。お棺がみんなの前に置かれて、最後のお別れです。最初に小さな花,次に各種色の花束,そして紫色の大きな花束がお棺内にたむけられました。家族は意外と冷静でしたが、親戚や地域の方々は涙声や涙ぐんでいる方が多くいました。

            子,孫,親戚,そして地域の方々に、次々と花をたむけられる


 花束がたむけ終わると、全員一同黙とうをささげました。
 義母は、いつも大きな声で賑やかでした。その大声に、うるさい説教がまた始まったかなどとよく思っていたこともありました。しかし、今となってはその声を聴くことができません。そして、世代が一つ終わったことをひしひしと感じました。

                 出棺の前に全員で、亡き義母に向かって黙とう


 白い蓋を全員で持つようにして、お棺に足元からそっと被せました。それが終わると、戒名を三女が持ち、義母の写真を次女が持ち、そして家内である長女が喪主として挨拶をしました。

      みんなで蓋をお棺に被せる             喪主である家内が挨拶
 

 喪主である家内の挨拶が終わると、義母の娘,娘夫婦,そして孫たちが集合して写真を撮影しました。世代が交代すると、お付き合いの範囲が変わるのは世の習いです。今後は、これら子供達の世代でのお付き合いが中心になるでしょう。

         義母の娘達,娘夫婦達,そして孫達が集合して写真撮影


 次に親族がお棺を持って、葬儀場前に待機していた霊柩車まで運びました。そして、霊柩車の後を追うようにしてバスに乗り込みました。到着すると、さすがに都心の火葬場です。あちこちから次々にお棺が運び込まれていました。1日に何体位が火葬されるのでしょうか。
 火葬直前、亡き義母のお顔を拝見し最後のお祈りしました。

      親族みんなでお棺を運ぶ            火葬炉前にて、最後のお祈り
 

 一時間位待ったのち、お骨拾いでした。壷の中に骨を残さず入れて、葬儀場に戻りました。
 壷に入った義母、不思議な感慨が湧いてきます。供えられた骨壺に向かって、涙ぐむ人がいたり、故人にお礼を語りかける声が次々に聞こえてきました。
 骨壺を前にして、最後の会食をしました。故人の思い出を懐かしみながら時間が過ぎていきました。故人の一生はそのお葬式に凝縮されている、と聞いたことがあります。義母は今日来た方々と、どんな密な関わりがあったのかと思いながら静かに食事をしました。合掌。

     亡き義母に語りかける方々           故人を偲びつつ最後の会食
 

コメント (1)
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東京練馬に住んでいた義母のお通夜

2013年11月04日 | 家族関連

 27日の田布施川沿い史跡巡りのウォーキング中、家内から「母が亡くなった。」との連絡がありました。東京では会場などの都合で、亡くなった日に必ず通夜とは限りません。家内から通夜と本葬の日付を聞いて、29日に東京に向かいました。そして、その日はいったん八王子の我家に泊まりました。

 29日朝、田布施川を歩いて田布施駅に       通夜の日、義母の家に到着  
 

 次の30日が通夜です。昼頃に都心の義母の家に着くと、家内や家内の妹家族が集まっていました。そして、歩いて30分位の葬儀場に行きました。着いてしばらく談笑した後、亡くなった義母の湯かんの儀が始まりました。
 私は湯かんの儀を初めて見ました。その儀式には、この世の仕事をやり遂げた後のお疲れ様の意味があるそうです。湯かんの儀が終わると、家族みんなで亡き義母の体を持ち上げてお棺に入れました。そして、足元に個人の思い出の品々や写真などを入れました。

     湯かんの儀を見守る家族             足元に思い出の品々を置く
  

 午後6時からお通屋です。私は、息子と一緒に弔問客の受付を担当しました。そして、家内の妹二人の夫はお香典の確認や計算をしました。私の父親の通夜葬儀と今回の義母の葬儀を比較して、東京の方が葬儀費用が高いようです。その理由の一つは、東京では葬儀所が民間であり、地方の例えば田布施は公営であることにも関係があるようです。また、今回の費用のうち「志」と呼ばれる諸費用です。一種のチップのようなものですが、業者と庶民には見識の相違があるようです。今回少しトラぶりました。田布施での葬儀には「志」なる費用は全くありませんでした。さらに振り返れば、野辺送りの時代は費用は微々たるものでした。時代と共に、また都会になるほど葬儀費用は高額になっているように思いました。

                  午後6時から、おごそかにお通夜


 お通夜が済むと、会場を変えて通夜振る舞いです。近くや遠路はるばる来た親戚の方々との会食なのですが、私はほとんどの方と面識がありません。福島県から来た親戚が特に分かりません。義父の葬儀や家内の妹の結婚式などで会った位でしょうか。顔は覚えていても名前までは思い出せませんでした。仕方がないことではありますが、私がよく知っている範囲は家内の妹夫婦やその子供達です。

    親戚同士が集まって通夜振る舞い     お通夜後、家内の妹夫婦などと一服
 

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故障したハードディスクを交換

2013年11月03日 | パソコン,電子機器

 この真夏にハードディスクが一つ壊れてしまいました。冷却用空気の吸入口がゴミでふさがった状態であったことと、ハードディスク間の距離が狭すぎたことで、熱がこもったことが原因と思われます。データがパーになったことは痛いですが、仕方ありません。新しいハードディスクにバックアップデータを戻しました。

   〇は壊れたハードディスク     ハードディスク間の隙間を空ける
 

 故障したハードディスクを外して、秋葉原で購入した省エネタイプの3Tハードディスクと交換しました。ハードディスク間の隙間を十分に空け、空気の吸入口も掃除しました。今後、涼しい季節になるため、熱で壊れることはないと思われます。しかし、来年の夏はよく注意しようと思います。
 ハードディスクは消耗品です。いつ壊れてもおかしくありません。私は、外部ハードディスクにバックアップを取っています。そして、さらにDVDにもバックアップを取っています。2000年から撮影した続けているデジカメデータは、このように万全のバックアップを取っています。以前は故障予測ソフトも使っていました。

   〇は交換後の3TBハードディスク、下のハードディスクと隙間を開ける

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砂糖モロコシなどの穂を採種

2013年11月02日 | 麦,穀類,雑穀

 各種雑穀などの採種をしています。今回は、砂糖モロコシと赤米の採種をしました。穂を何本か刈り取って束ね、納屋に干して乾燥します。粟などの雑穀も穂を束ねて乾燥します。より長期保存する時は、いったん干した穂を揉みほぐして種子を取り、ビンに入れて保存します。ビンには一緒に乾燥剤も入れます。これで5年位は保存できます。
 もっと永く保存するためには、そのビンを冷蔵庫に入れます。すると、10年位は楽に保存できます。めったに種を蒔かない雑穀などはこのようにして種子を保存します。

            刈り取った砂糖モロコシの穂、数本束ねて吊るして乾燥


 次に、赤米の穂を収穫しました。八王子に住んでいた時は赤米をたくさん作っていたのですが、この山口県では田んぼがありません。いつか田んぼを耕すことに備えて、種だけは毎年更新しています。この赤米はもち性ですので、赤いおもちを作ることができます。

                 今年種子を更新した赤米の穂

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春に植え付けた樹木の生育状況

2013年11月01日 | 樹木,果樹

 冬になる前に、春に植林した樹木の生育状況を確認してみました。まず、メタセコイアは日が当たるように周りの木々を伐採したためか、今だ葉が茂っています。もう少し寒くなれば葉が落ちると思います。ちゃんと根付いているようで葉も元気ですので、植林は成功です。

             もう少し寒くなったら落葉するメタセコイア、元気に葉が茂る


 もう1つ植えた、セコイア(センペルセコイア)は、周りを木々に囲まれているせいかやや元気がありません。やはり、日陰は良くないようです。この樹木は常緑樹ですので、これから周りの木々が落葉して日当たりが良くなります。これから元気になるのではないかと思います。この冬の間に、夏の日陰の原因となっている周りの木を伐採しようと思います。

     元気に茂るメタセコイアの葉       日陰のため元気がないセコイアの葉
 

 ところで、植林けが失敗した樹木がありました。松です。夏に日陰になると、松は枯れてしまうようです。松は、夏でも必ず日が照る土地に植えるしかないようです。松は周りに何も無い禿山のような土地が良いようです。1つ勉強になりました。
 なお、サトウカエデはまだ落葉しておらず元気に葉を付けていますので、植林は成功のようです。

            枯れないまでも、元気がないセコイア(センペルセコイア)

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