東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 おいでぇフリーマーケットで座布団作り,綿繰り他

2018年11月15日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 今回は牡蠣まつり以来のフリーマーケットでしょうか。8時過ぎに会場に行ったのですが、困ったことに駐車場がすでに満杯でした。グランドゴルフか何かの大会と重なったようです。どこか空いている個所がないか目を丸くして探すと、一ヵ所空いていました。ラッキー!車をその場所にねじ込んで、組み立て式のテーブルや椅子などを何往復かして運び込みました。朝日が当たる暖かい場所にテーブルをセッティングしました。

     午前中に作った、田布施農工の羊さんの羊毛入り猫柄座布団

 今回のフリーマーケットは平日だったため、集客数は見込めません。そのため、自分の制作に専念しました。仕事場の椅子の座布団が破れたため、オリジナル猫柄座布団を制作しました。クッションとして入れたのは、田布施農工高校が飼育している羊さんの羊毛です。持ち運び易い手回しミシンを持ち込んで作りました。羊毛を入れた口は、手縫いで閉じました。実は、Sさんにアドバイスいただきながら作りました。ありがとうございました。この座布団、明日からの仕事に使おうと思います。

  手回しミシンで縫う  クッションにする羊毛挿入  最後は手縫いで閉じる
  

 座布団が完成すると、その座布団に座って綿繰りなどの手作業をしました。駐車場の車から会場まで離れていたため、糸紡ぎ機を運ぶのは大変です。そのため、当初は糸紡ぎをすることを考えていませんでした。ところが、おいでぇフリーマーケットのポスターを見て、「糸紡ぎの作業を見たい。」と来られた方々がいました。その方々のため、糸紡ぎ機を運び込んで糸紡ぎのデモを見ていただました。

 座布団制作、綿繰り。糸紡ぎコーナー   綿繰り器に興味をもった子供さん
 

 綿繰りや糸紡ぎデモの説明が終わると、今度は毛糸を使ったコースター作りをしました。コースター作りは、田布施西小学校の放課後学習で子供達に教えて以来です。作り方を思い出しながら一つ作ってみました。そして、午後3時頃だったでしょうか、曇空になり冷たい風が吹いてきたので、コーナーを仕舞うことにしました。観光協会の方々、美味しいトン汁ありがとうございました。次回も参加しようと思います。

 暖かい日差しのおいでぇ  毛糸のコースター作り   作品を展示(Eさん作)
   

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秋晴れの中、柳井市 余田 史跡巡りウォーキング(3/3)

2018年11月14日 | 歴史探訪他ウォーキング

 福楽寺のすぐ近くに上野寺と下野寺の二つがあり、江戸時代には信心する方が多かったようです。ところが、明治初期の廃仏稀釈の結果、上野寺と下野寺がそのままお寺として存続することが難しかったようです。明治初期、尊王の考え方から神道が盛んになり、外来宗教である仏教が排斥されたためです。数多くのお寺が廃寺になりました。上野寺と下野寺は今、共に観音堂として残っています。

        福楽寺本堂前にて、今回のウォーキング参加者14名


 昼食休憩が終わると、最初下野寺観音堂に行き、次に上野寺観音堂に行きました。下野寺観音堂の近くに福楽寺の由来が書かれていました。その記載によると、福楽寺はその昔、真言宗野寺(上野寺と下野寺)の近くにあった多くの僧坊の一つだったようです。明治期に福楽坊だけが残り、その後寺号を得て正式なお寺になったようです。

  福楽寺を出発      下野寺観音堂を見学    上野寺観音堂を見学
  

 下野寺観音堂を見学すると、少し坂道を登った場所にある石階段を登りました。数分程度登ると上野寺観音堂がありました。最近手入れがされていないのか、下野寺観音堂と比べて傷んでいました。このまま修復しないと、朽ちてしまうのではないかと心配になりました。

  上野寺観音堂に向かう石段を下る      正蓮寺境内を本堂に向かう
 

 上野寺観音堂の前広場で立ったまま休憩しました。その後、元来た石段を下り、さらに続く下り坂を軽やかに下りました。最初安立寺に立ち寄り、続いて正蓮寺に向かいました。正蓮寺では法事が行われているようで、本堂には短い間だけ上がらせていただきました。ありがとうございました。次に、しぶきソーメンのお店に寄りました。

 しぶきソーメンのお店   柳井西中傍のお地蔵様4  最後に見学した地蔵菩薩堂
  

 しぶきソーメンのお店で、私だけアイスクリームを購入しました。下見の時は暑かったためとても美味しかったのですが、涼しいこの日は期待外れでした。残念。その後は、柳井西中学校の東側を回りこむ道を選びました。そして、御地蔵様を見学した後、最後の史跡となる地蔵菩薩堂を見学しました。そして、田園の中を西に向かい、出発した名合八幡宮に戻りました。参加された方々、お疲れさまでした。
 11月は平生町の大星山を、佐賀から大野まで史跡を巡りながら縦断します。

         今回歩いた、柳井市余田ウォーキングのコース

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古い東芝製カーラジオAR-109(日野コンテッサ搭載)の修理(8/x)

2018年11月13日 | 古ラジオ修理工房



 雨で農作業ができないため、久しぶりにクラシックカー(日野コンテッサ)の修理をしました。修理と言っても、車のボディーではなく、その車に搭載されているカーラジオです。トラクターの足回り修理耕耘機のキャブレター修理などをすることがありますが、基本的にメカニカルな修理は得意ではありません。ラジオなどの電子回路の修理の方が好きです。依頼されて修理しているカーラジオ、今回は10月末に東京秋葉原で購入したコンデンサと交換する修理をしました。

         修理中の日野コンテッサ搭載カーラジオ


 秋葉原で購入したのは、SP用と電源平滑用の電解コンデンサ3個です。容量は共に470μFです。ただ、電解コンデンサは、コンデンサの中で一番壊れやすく容量抜け故障が多いです。そのため、耐圧50Vの物を購入しました。故障したコンデンサと取り換えるため、同じように三つを束にしました。そして、電源平滑用の2個は両端を繋ぎました。

 購入したコンデンサ     三つを束ねる      平滑用は両端を繋ぐ
  

 新しいコンデンサと交換する準備が整うと、故障したコンデンサをカーラジオの筐体から取り外しました。そして、故障したコンデンサに繋がれていたコードを外しました。次に、外したコードを新しいコンデンサに繋ぎました。続いて、コードが繋がれた新しいコンデンサをカーラジオの筐体にネジで固定しました。これでコンデンサの交換が終わりました。

  取り外した故障したコンデンサ    故障コンデンサと新品コンデンサを交換
 

 最後にコンデンサを交換した効果を確かめました。以前は音が小さくSPからの音が聞こえませんでした。ところが、交換後は大きな音でラジオ放送を聞くことができるようになりました。修理は成功です。このままでも実用に耐えますが、難を言えば音質がよくありません。PP出力段を調査する必要があります。調査の結果、故障箇所が見つかるかも知れません。次回、音質に関わるPP出力段回路などの調査しようと思います。

           ラジオ放送を聞いて受信状態をチェック

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八王子市 南大沢周辺の公園を散策(1/2)

2018年11月12日 | 歴史探訪他ウォーキング

 10月末に東京にいる間、暇をみて近くの公園などを散策しました。子供が小さい頃によく散策した道を思い出しながら歩いてみました。最初に、団地の傍にある御岳神社を訪れました。20年位前、この神社の境内で地元の方々による盆踊りが行われていました。本殿からその踊りを見下ろしたことがあります。おそらく鎌倉時代に起源がある神社ではないかと思います。その昔、ここから京都まで、平家打倒に出陣した著名な武将平山季重がいます。教科書によく出てくる熊谷直実と一緒に出陣しています。

          静かな参道と広場を見下ろす、御岳神社本殿


 御岳神社の参道を下ると、地元の野菜を売る無人販売所がありました。人通りの少ない道に面しているため、地元の方しか買わないのではないかと思います。地元のお百姓さんでしょうか、サツマイモを掘っていました。その掘ったサツマイモ、1時間後にはこの無人販売所に並ぶのでしょう。無人販売所をさらに降りると、柿の木と祠がありました。美味しそうな柿がたくさんぶら下がっていましたが、だれも収穫している様子はありません。

 地元の無人販売所     柿の木とその下の祠   刈り取ったお米をはさ掛け
  

 さらに坂道をおりると田んぼに出ました。田んぼの稲を刈り取って、はさ掛けされていました。雨が降っても濡れないようにビニールが被せてありました。その後、家々の間をすり抜けてながら、富士見台公園に入りました。ここはその名の如く富士山がよく見えます。とても広い芝生で、この日幼稚園の催しがあるようでした。たくさんの子供達やその保護者が集まっていました。20年位前でしょうか、私もボーイスカウト指導で子供達とこの公園を走り回りました。この公園を歩いていると、懐かしい思い出が駆け巡りました。

     懐かしの富士見台公園        富士見台公園から見た町街
 

 富士見台公園を懐かしみながら歩くと、次に首都大学に沿う道を歩いて南大沢駅方面に向かいました。八王子に引っ越しする前、この道を歩いたことがあります。その時は、道に沿う石垣を整備中だったことを思い出しました。この周辺は30年位前に作られた新しい街なのです。最初に多摩ニュータウンが作られ、次に南大沢、堀之内などが整備されました。

 首都大学に沿う道      新しい団地と緑      学園祭勧誘の看板
  

 久しぶりに首都大学に入ってみました。20年位前の事でしょうか、市民講座か何かで首都大学に入ったことがあります。大学構内には貴重なモリアオガエルが生息しており保護されていたように思います。今でも生息しているのでしょうか。首都大学の先生に、私が企画したトウキョウサンショウウオの保護に関わる観察会にご協力いただいたことがあります。

             今回散策した南大沢周辺の公園など


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冬に備えて、我家の周辺を草刈り

2018年11月11日 | ふるさと
 来月から12月、冬の到来です。そのため、少しずつ家の周り,庭,畑などの整理や草を刈って綺麗にしています。しかしながら、仕事などで忙しく毎年中途半端に終わっています。特に、山の下草刈りはできない年があります。とにかく無理しないで冬を迎える準備をしようと思います。今回は、家の周りの草刈りをしました。冬の間は草が伸びないので、春先までは今回草刈りしたままとなります。

          紅葉が始まっている婆様の部屋前の草刈り

 最初に婆様の部屋の前の草刈りをしました。この場所は、日当たりが良いので草がよく伸びます。植えている皇帝ダリヤやアメリカフウを傷めないように草刈りしました。また、部屋の窓を覆うようにある網とその網に茂るニガウリの下も草刈りしました。ニガウリは近日中に種を取り、網を回収するつもりです。

   草刈り前の我家南東方面の庭       草刈り後の我家南東方面 

 続いて、我家の東、西、北、南方面の草刈りをしました。幹が大きくなったクルミ、柿、グミ、アメリカフヨウなどの木は冬の間に剪定しようと思います。そして、剪定して出た枝などは一端干して乾燥後に焼却しようと思います。一番困っているの竹林です。何重にも倒れ掛かった枯れ竹は迷路のようで、人が入るのを妨げます。仕事に,ボランティアに,修理に,草刈りに、体がいくつもあっても足りません。まあ、できることから始めるしかありません。 

   草刈り前の我家東側方面      草刈り後の我家東方面、紅葉するクルミ 

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楽しい工作、「どうしたニャン小箱」の制作(2/2) 最後の工作

2018年11月10日 | ふるさと



 先日、田布施小年少女発明クラブの田布施西小学校での最後の工作がありました。ただし、活動自体は今後も続きます。11月は田布施中学校での実験や体験、12月は保護者を招いてこれまで作った工作の発表会、そして1月と2月は田布施農工高校でパソコンに関わる勉強をします。ノコギリや金づちなどを使っての工作や、ハサミを使って紙などを切ったりする工作はもうありません。これまでの活動の成果として、数人の子供が国や県から表彰されました。忙しい工作指導の日々が無事に終わってほっとしています。

          出来上がった小箱に、思い思いに絵を書いたり着色


 今回のどうしたニャン小箱作りは2日でした。ほとんどの子供は、前回の活動で小箱にする板をノコギリで切り分けていました。しかし、数人の子供は前回来れなかったため、今回の1日で小箱を作らなければなりません。指導員が付きっ切りで制作の支援をしました。そのおかげか、ほとんどの子供達は小箱を完成することができました。

前回休んだ子は製図から   どんどん板を切る      切った板を釘で固定
  

 工作が始まる前、サンプルとしてどうしたニャン小箱を作っておきました。数人の子供達は私の作った小箱を丁寧に計測して同じ小箱を作っていました。残りの子供達はあくせくしながらもオリジナルの小箱を作っていました。オリジナル小箱はちゃんと製図しなければ箱になりません。数人の子供達は箱に組み立てるのに苦労していました。また、うまく箱にならない子供もいました。失敗することも経験です。そのため、私は聞かれたり相談されたりした以外はあまり手を出しませんでした。

   小箱ができると模様を書き込む     オリジナルのラビット小箱
 

 田布施西小学校での工作は今回が最後です。作った小箱を全員が発表して終わりにしました。そして、「来た時よりも綺麗に」をモットーにして、いつもより長い時間掃除をしました。掃除が終わると、来月からのスケジュールのお話がありました。来月からは場所を変えて活動があります。4月から約半年間、怪我なく工作を終えることができて良かったです。保護者や指導員の方々、お疲れ様でした。

  最後に小箱の色付け    作った小箱の発表   来月からのスケジュール発表
  

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田布施町 小行司地区 生き生きサロンで、懐かしく楽しいお話

2018年11月09日 | ふるさと
 11月初め田布施町小行司の生き生きサロンで「小行司の成り立ち」などについてお話をしました。これまで各地の生き生きサロンでお話をしましたが、どんな歴史のお話をするか、どんな進行でお話をするか試行錯誤してきました。だいぶこなれてきました。①その地域の古代から現在までの歴史や成り立ち②クイズ形式の古い道具(炭火アイロン、古いもしもし電話機など)の話題③懐かしい音楽 手回し式蓄音機や今では聞くことができない童謡④幻燈器⑤昔の映画館で映写していたフィルム映画(赤胴鈴之助、名犬ラッシーなど)の放映などです。 

       小行司の生き生きサロンの方々、熱心に聞いていただく


 生き生きサロンでのお話は、その時の気候や状況により時間や内容を臨機応変に対応します。例えば、8月にお話をした新宿井の生き生きサロンでは、あまりの猛暑のためお話の時間を短縮しました。そのため映写機による映画は止めました。また、史跡が多い地域の生き生きサロンでは、その歴史や遺跡について時間を長めにお話をしました。地域によってお話しする内容がすべて違うため、準備も大変です。最低一ヶ月前から資料を作り、それをプロジェクターとして投影できるようにはパソコンにデータを入力します。そして、何度か自分で練習します

旧小行司小学校跡の建物  小行司の歴史と史跡を説明  手回し蓄音機を鑑賞
  

 今回お話をした小行司生き生きサロンでは、①小行司の歴史や成り立ち、特に飛び地の理由を詳しく説明②古い道具(炭火アイロン、古いお酒の道具、ニワトリを買うための古い道具、古いもしもし電話機)をクイズ形式で楽しくお話③手回し蓄音機による戦後の懐かしい音楽と今では聞けない童謡を鑑賞④フィルム映画(名犬ラッシー)
の放映をしました。とても楽しい雰囲気で、喜んでいただけたのではないかと思います。お話する私も楽しかったです。ありがとうございました。

昭和20年代の流行歌を手回し蓄音機で     映画「名犬ラッシー」を鑑賞
 
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秋晴れの中、柳井市 余田 史跡巡りウォーキング(2/3)

2018年11月08日 | 歴史探訪他ウォーキング

 余田院内への緩い登り道を歩いていると、権之宮大明神(目の神様)の祠が山の横に見えてきました。祠内には、ハサミを目の形に見立てた願板がありました。ハサミはボロボロに錆びて眉毛の部分が欠けていました。その昔、目を患っていた方が願板にハサミで目を描いて願をかけたのでしょう。今のように眼科がない時代、目の病気は恐れられていたのだと思います。

         秋晴れの下、穏やかな余田院内の里山風情


 権之宮大明神を出てしばらく歩いていると、ウォーキングに参加されたNさんのお友達が畑仕事をしていました。そのお友達はかつてバレーボールの仲間だったようです。同じく、参加者のOさんの先輩だったことも分かりました。こんな所で偶然何十年ぶりに出会うのも、ウォーキングの楽しみの一つです。しばらく談笑した後、ウォーキング再開です。

   権之宮真大明神(目の神様)       バレーボール仲間に偶然出会う
 

 続いて緩い坂を登っていると、立派なお地蔵様が現れました。このお地蔵様は背中から伸びた支柱の上に屋根を持っていました。さらに歩くと、祠のような薬師堂や何体か並んだ石象がありました。薬師堂はかつて、庵のような建物だったのではないでしょうか。そこから200m位歩くと、T字路に着きました。左に進むと保生地や畑方面、右に進むと院内集会所方面です。ためらわず右に進みました。

  背に屋根のお地蔵様    薬師堂の祠内       院内集会所前
  

 少し歩くと院内集会所前に出ました。さらに100m位進むと福楽寺に到着です。ここで、昼食休憩をとることにしました。私は福楽寺のご住職にご挨拶し、本堂前で昼食をとることとトイレを使わせてもらうことの承諾をいただきました。ありがとうございました。ところで、下見をした9月は暑かったのですが、10月末になると涼しくなっていました。日向ぼっこしながら昼食休憩を取りました。

    昼食休憩した福楽寺本堂前      本堂向かい側に座って休憩
 

 ご住職から、この福楽寺すぐ傍にある鳥居についてお話を聞きました。この鳥居の山側にはかつて、神社の建物があったそうです。この神社から勧請してできた神社が、今の名合八幡宮と八幡八幡宮とのことです。勧請後、がけ崩れで神社が無くなってしまったとのこと。鳥居と山に向かう短い石階段だけが、往時の姿を留めています。

        今回歩いた、柳井市余田ウォーキングのコース

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葉ニンニクの雑草、根ごと引き抜いて除草

2018年11月07日 | 野菜:葉菜

  先月葉ニンニクを植え付けましたが、このところの好天で雑草も育ってきました。今雑草をたたいておかないと、冬から春にかけて大繁茂してしまいます。そうなると、ニンニクは雑草の陰にかくれて美味しい葉や球根を収穫できなくなります。収穫できても、わずかだったり小さなニンニクだったりします。秋のやさしい風を受けながら、のんびりと雑草を取りました。

          すべての雑草を取り除いた葉ニンニク


 ニンニクを植え付けてからわずか一ヶ月ですが、大きめの雑草は根が深く生えていました。葉を引っ張っぱると、葉だけ千切れて根は地中に残ります。そんな時は、指を深く地中に差し込んで根も取り去りました。雑草をこれ以上放置していたら、より除草が困難になります。よいタイミングで除草できました。美味しいニンニクの葉や球根が収穫できますように。

   根元が雑草だらけのニンニク      根元の雑草を根ごと引き抜く
 

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秋晴れの中、柳井市 余田 史跡巡りウォーキング(1/3)

2018年11月06日 | 歴史探訪他ウォーキング

 

 快晴の秋晴れの中、柳井市余田の史跡巡りウォーキングをしました。田布施交流館に9:30集合し、数台の車に乗り合わせて名合八幡宮傍の駐車場に車を停めました。しばらくすると、柳井市の方々が次々に直接に名合八幡宮に来ました。10時になると出発です。最初に旧余田公民館に向かいました。この旧公民館は使われていませんが、和洋折衷の建物遺産にしてよいのではないかと思います。取り壊される建物が多い中、なんとか保存できないかと思います。

          名合八幡宮参拝のため、参道を社殿に向かって進む


 旧余田公民館を見終わると、すぐ隣に建っている租税完納塔を見学しました。余田地区は昔から豊かだったようです。幕末期に田布施から光市周辺にかけて起こった米騒動時にも、余田地区はちゃんと年貢を納めたそうです。田んぼは広く、水も豊かだったのだと思います。租税完納塔を見学し終わると、200m以上はある名合八幡宮の参道を歩いて社殿に向かいました。

和洋折衷の旧余田公民館     租税完納塔      名合八幡宮の社殿
  

 御手洗い所で手を洗い社殿でお祈りをしました。私の祖父の出身である余田坂本地区の方々は、名合八幡宮の氏子だったようです。私が子供の頃、名合八幡宮の祭りなどに祖母に連れられてよく来ました。その祭りの様子を覚えています。名合八幡宮を出ると、院内方面に向かう道に出ました。そして、緩い坂道を登りました。途中のいくつかのお地蔵様を見学しました。

  名合八幡宮を参拝     道端のお地蔵様1     敷地内にあるお地蔵様
  

 歩いた緩い坂道は、その昔巡礼ルートの一つだったのではないでしょうか。ざっと換算して200mに一つの割合で、お地蔵様,祠,お堂があります。古代おいて、この付近は海が入り組んでいたはずです。実際、歩きながら田布施側に明地遺跡の田んぼがみえます。この道はおそらく、海に突き出ていた小さな半島の尾根道だったに違いありません。古代から延々と使われた古道ではないかと思われます。

    道端のお地蔵様2          中郷地区の公会堂前の墓地群
 

 私は幼児の頃、名合八幡宮から緩い坂道を歩いて余田坂本の親戚に行ったことがあるように思います。しかし、どうしてもその光景を思い出せません。確か、茅葺屋根が多い民家が散在していたように思います。いわば桃源郷のようなうっすらとした記憶です。幼児だった私から60年経った今、何故だか懐かしい光景をたどりながらウォーキングを続けました。

         今回歩いた、柳井市余田ウォーキングのコース

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タマネギ苗の植え付け、綿の収穫、紅花の種まきなど

2018年11月05日 | 野菜:根菜

 このところ快晴が続いています。少ない休日、一気に秋の農作業を済ませることにしました。私一人では作業が進まないため、Sさんとkさんにお手伝いしていただきました。手伝っていただくのは午後です。そのため、午前中に、肥料に加えて土壌の中和剤を施して耕耘機で耕しました。そして、タマネギ苗を植え付ける畑を作り、穴あき黒マルチを覆っておきました。ついでに、紅花の種をまく畑も作っておきました。

           タマネギの苗を穴あきマルチに植え付け


 午後になってSさんとkさんがやってくると、最初に洋綿の収獲をしました。洋綿は毎日のように収穫できるため休む暇がありません。続いて、タマネギの苗を植え付けました。9月に種をまいて育てたタマネギの苗を苗畑から取り出して、穴あきマルチに移植しました。天気予報では数日間雨が降らない見込みのため、植え付け後ジョロで水をやって日陰にしておきました。根付いたら日陰を取り外します。

 タマネギ畑を耕耘     穴あき黒マルチを被覆   紅花の種をまく畑
  

 タマネギ苗の植え付けが終わると、甘柿の収獲をしてもらいました。私は数日前から収穫しているのですが、余った柿がたくさんぶら下がっています。その余った甘柿を好きなだけ収穫して持って帰っていただきました。その後、20分位休憩して談笑しました。休憩が終わると、最後に紅花の種まきをしました。紅花は春に種をまいてもかまいませんが、今種をまくと冬越しして春には大きく育ちます。Sさんとkさん、お手伝いありがとうございました。

  霜が降るまで続く洋綿収穫作業      たわわに実った甘柿の収獲
 

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秋空の下、楽しい麦の種まき

2018年11月04日 | 麦,穀類,雑穀



 去年の麦の種まきは、だいぶ遅れてしまい11月末でした。そのため、芽生えがだいぶ遅れて12月下旬になってしまい。初夏の収量も多くありませんでした。今年はその反省を元に、昨日3日に麦の種をまきました。今回、大人に混じって子供二人が手伝ってくれました。

        上手に種まき器を押して、麦の種子をまく子供


 種まきは午後でしたので、小豆の畝を残して午前中に畑を耕しておきました。私は、昭和初めに使われていた手で押しながら種をまく道具を使っています。押すだけで簡単に種をまくことができるため、やってきた子供二人に交代で押してもらいました。現在はトラクター牽引の種まき機が普及しているようですが、昔ながらの種まき機は軽いため子供でも使えます。いつまでも残しておきたい優しい道具だと思います。

 午前中は麦畑用に耕耘   種を種まき機に入れる  押しながら楽しい種まき
  

 種まきを始める前、1リットル位の麦の種を種まき機にいれます。そして、午前中に筋をつけていた窪みに種をまいています。コロコロ押すだけで簡単です。続いて、まかれた麦の上に土を被せていきます。手で被せてもかまいせんし、両足で寄せてもかまいません。数日後に雨が降るようですので2週間後頃には麦が芽生えると思います。ちなみにパン用小麦のミナミノカオリです。何年も収穫しては種としてまいているので、来年は品種を変えた方が良いかも知れません。 

   両足で寄せながら土寄せ         小麦の種まきを見物する方々
 

 午後3時半からの種まきでしたので、種まきが終わった頃には空がやや暗くなってきました。広げたシートに腰を下ろして、駄菓子を食べたり、お茶やコーヒーを飲みながら休憩しました。そして、楽しい話題で談笑しました。この畑では今後、ソバの実の脱穀、小豆を収獲して羊羹作りなどをします。もしよかったら、またお手伝いよろしくお願いします。今日手伝ってくれた子供達にはサトウキビの茎をプレゼントしました。とても硬い茎、甘い汁を楽しむことができるでしょうか。お疲れさまでした。

   小麦の種まきを手伝っていただいた方々、手に持つのはサトウキビ




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田布施町 第7回史跡探訪 地方史研究会(2/2)

2018年11月03日 | 歴史探訪他ウォーキング

 石の口八幡宮では、お弁当とお茶を受け取ると各自めいめいの場所で昼食休憩をとりました。私は、石階段に座ってお弁当を食べました。30分位休憩したでしょうか。休憩後しばらく石の口八幡宮周辺を見回った後、紙芝居が始まりました。史跡探訪では、探訪した場所に関わる紙芝居をします。ちなみに去年の史跡探訪は馬島でした。そのため、馬島に伝わる言い伝えを元にした紙芝居をしました。

           石の口八幡宮の石階段下で紙芝居を鑑賞


 石の口八幡宮を出発すると、別所に行きました。別所には薬師堂、そして荒神様・地鎮様・お稲荷様の祠があります。別所は石城山のふもとにあり、石城山に関わる言い伝えがあります。数年前、別所薬師で毎月行われるお大師講を見学しました。田布施にも江戸時代から伝わる念仏があるのです。でも、参加するのはお年寄りばかりです。そのため、あと10年もすれば絶えてしまうのではないかと危惧しています。

  別所地区に向かう      別所薬師堂     荒神様、地鎮様、お稲荷様
  

 別所薬師堂から戻ると、次に石城神社の石鳥居に行きました。工事中の事故により倒れたままの鳥居です。再建されないまま横たわっています。次に、幕末期に奇兵隊隊長だった田村知義の巨大な顕彰碑を見学しました。田村知義は明治になって宿井村の初代村長に就任しました。田村知義顕彰碑を見学すると、史跡探訪は終わりです。出発した田布施町中央公民館に戻りました。事故もなく赤字にもならず、世話人としてほっとしました。お疲れさまでした。

  倒れたままの石城神社の鳥居         巨大な田村知義顕彰碑
 

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麻郷公民館まつり用のサツマイモと、おやつ用の枝豆を収穫

2018年11月02日 | 野菜:芋類

 先日サツマイモと枝豆を収穫しました。サツマイモは苗の植え付け雑草の刈り取りなどの世話を何度も続けて、ようやく収穫する時期がきました。ところで、今年サツマイモを収穫した方々から聞くことには、夏の異常な暑さのためか収穫が思わしくないとのこと。そのため、収穫に少々不安がありました。

          サツマイモを収穫しながら、大きさ別に選別


 サツマイモの収獲のため、午後から皆さんに収穫のご協力をお願いしました。その準備のため、午前中にサツマイモ畑で葉や茎を刈り取りました。4畝分のサツマイモの茎や葉を刈り取って集め、畝を覆っている黒マルチを剥がしました。これでサツマイモ掘りの準備ができました。準備ができた13:00頃、皆さんが集まり始めました。

 葉が茂るサツマイモ畑    葉や茎を刈り取り   黒マルチを綺麗に剥がす
  

 ご協力いただいた方々のうち、男性は芋掘りに専念し、女性は掘った芋を並べて公民館祭り用の芋を選別していただきました。やはり、今年はサツマイモの出来がよくありません。全体的に小さな芋ばかりです。一番困ったのは、虫が食害したサツマイモが多かったことです。それでも、公民館祭り用に50個ばかりのサツマイモを選別しました。形の悪い残りのサツマイモはみなさんに持って帰っていただきました。

   収穫したサツマイモを並べる      おやつに食べる枝豆を選別
 

 サツマイモの収獲と並行して、今回手伝っていただいた方に食べていただく枝豆を収穫しました。サツマイモの収獲が終わった頃、その枝豆を湯がいて休憩ついでに食べていただきました。ところで、麻郷公民館まつり用のサツマイモは、祭り直前に麻郷公民館に持って行きます。サツマイモの収獲を手伝っていただいた方々、ありがとうございました。

公民館まつり用の芋を選別  枝豆を食べながら休憩   収穫後のサツマイモ畑 
  

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田布施町 第7回史跡探訪 地方史研究会(1/2)

2018年11月01日 | 歴史探訪他ウォーキング

 先日、田布施地方史研究会主催の第7回史跡探訪に行ってきました。マイクロバス手配、弁当手配、参加確認などで、また当日の参加費徴収などで気疲れしました。特に、一人の不参加者で赤字になるので、全員参加することを祈っていました。しかし、一人の方が、時間になっても来ないので赤字を覚悟しました。ところが、出発してしばらくして「30分時間を間違えてしまった。」との連絡が入りました。そして、その方が車で追いかけてきて全員参加となりました。やれやれ、ほっとしました。

     幕末防長四白政策の一つ、和ろうそくの原料になったハゼの巨木


 最初に訪れたのは後井古墳です。私は何度も行ったので目新しいものはありませんでしたが、毎度のことながら石室内の巨大な石には圧倒されます。続いて、幕末時に防長四白政策で生産された和ろうそくの原料になったハゼを見ました。明治になってからハゼは伐採されましたが、今回見たハゼだけは根本に祠があったため伐採を免れました。伐採されないまま150年経ち、今では巨木になっています。歴史の生き証人と言えるでしょう。

 集合した中央公民館     後井古墳を見学     後井古墳の石室内
  

 続いて周善寺に行きました。明治始め、このお寺は奇兵隊の脱退兵に襲われました。その結果ご住職が亡くなりました。その時の刀傷が柱に残っています。また、広島の原爆資料館近くにあったお寺のお地蔵様がこのお寺に安置されています。原爆資料館を無宗教施設にするため、このお地蔵様が追われたとのこと。次に、富永有燐顕彰碑に向かいました。

  昭和11年建立の富永有燐顕彰碑    本堂に上がらせていただいた了法寺
 

 富永有燐顕彰碑を見終わると、予定になかった富永有燐墓所に行きました。そして、次に了法寺に行きました。たまたまご住職の奥様がおられ、本堂に上がらさせていただきました。続いて、円満寺に行きました。このお寺はかつて幼稚園を経営していました。城南地区に住む方々の何人かは、幼児期にこの幼稚園にお世話になったのではないでしょうか。円満寺を出ると、昼食休憩する石の口八幡宮に向かいました。

  富永有燐墓所       変わった祠と石      幼稚園があった円満寺
  

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