3月の史跡巡りは、光市室積の西ノ庄と東ノ庄を中心としたコースです。去年、来年どこの史跡巡りしようか調査するためにこの周辺を歩きました。その時、足を滑らせて左足を痛めた場所です。最初に、その足を痛めた史跡を下見しました。足を痛めたのは道なき藪を歩いたためです。今回は、ちゃんとしたコースを探して下見しました。その史跡は西ノ庄を見下ろす金毘羅社です。今回は足を痛めることなく歩くことができました。
以前の調査時、道なき藪を歩いて足を痛めた金毘羅社
金毘羅社への山道は、足を滑らせた藪とは反対側にありました。その山道までの舗装道路をのんびり歩いていると、地元の幼稚園の園児が遠足をしていました。園児達の賑やかな声を聴きながら山道まで歩きました。その山道は、金毘羅社へ通じる参道も兼ねているようです。山道の両側にはいくつかの祠がありました。その緩やかな登りの山道を歩いて行くと、ようやく金毘羅社に着きました。鳥居に行くと展望が良く、西ノ庄を見下ろすことができました。
家傍の銅屋根の祠 土手窪の地蔵様1 屋根付きの地蔵様2
金毘羅社を参拝し終わると来た山道を戻りました。畑に挟まれた道をしばらく下ると、たくさんの民家がありました。その民家の間を抜けるように歩きました。すると、家傍に銅屋根の祠がありました。続いて、地蔵様1に行きました。小さな地蔵様ですが、地蔵様1用にコンクリートの土手が窪んでいました。次に緩い坂道を登って屋根付きの地蔵様2に行きました。そこからさらに歩いて地蔵様3に行きました。この地蔵様も屋根付きでした。
屋根付きの地蔵様3 並んだ二体の地蔵様4 大木下の地蔵様5
そこから緩い坂道を登ると二体の地蔵様4が安置されていました。そして、さらに緩い坂道を登ると、祠があり傍に光市の名木センダンの大木がありました。その大木の根元に二体の地蔵様5が安置されていました。西ノ庄はとてもお地蔵様が多い地区であることに気が付きます。ここからしばらく、室積半島を見下ろしながらのんびり歩きました。
光市室積の西ノ庄と東ノ庄の史跡巡り下見ウォーキングコース
早朝、息子夫婦と一緒に墓参りをしました。初めて墓参りしたのは孫です。ご先祖様に、我家の跡継ぎとなる孫が仲間入りしたことをお伝えしました。そして、我家に植えてあるヒサカキや花壇で咲いていた花を供えておきました。さらに、亡き父親が大切に育てていたケヤキの枝も供えました。お墓参りから帰ると、我家で婆様が加わり歓談しました。
その後、キャベツを収穫したりシイタケの菌を植え付けたりしました。その後、予定より早めに種ジャガイモを植えるために畑に行きました。車が大好きな孫を猫車に載せていきました。あらかじめ植えやすいように整地したり杭を打っていたので早く植え終わりました。こうして賑やかな一日は、あっと言う間に終わってしまいました。今後、ジャガイモの芽欠きをしたり土寄せしたりします。そして、初夏には収穫しようと思います。収穫したジャガイモは我家で食べたり、息子夫婦に贈ろうと思っています。
種ジャガイモを植え付けながらの楽しいひと時
今回は、①墓参り ②我家で会食 ③キャベツの収穫 ④シイタケ菌の植え付け ⑤種ジャガイモの植え付けの順にしました。
③のキャベツを収穫時に雑草がずいぶんと伸びていることに気が付きました。ここ数日暖かくなったため雑草も元気になっているのでしょう。山を見上げると、梅はもう花弁が散り始めており、桜のつぼみが膨らんできたようです。この様子だと、あと二週間後には桜が咲きそうです。これからは春が次々に展開していきます。それに合わせて、春の種まきをしようと思います。まずは、ナスとピーマンなどの苗作りをします。
墓前でご先祖に感謝 キャベツの収穫 シイタケ菌の植え付け
キャベツの収穫が終わると、④シイタケ菌の植え付けをしました。あらかじめ、ほだ木や小道具を準備しておきました。電動ドリルで穴を開けて、その穴にシイタケの菌を入れるなどします。この作業は息子夫婦も初めてのようで事前に方法を教えました。孫には。菌を穴に入れる作業をしてもらいました。後日残ったほだ木に菌を植え付けようと思います。2年後には美味しいシイタケを収穫できると思います。シイタケ菌の植え付けが終わってから⑤種ジャガイモの植え付けをしました。
植えた種ジャガイモ横に施肥 お寿司を食べたりお茶を飲みながら
久しぶりに息子夫婦が我家にやってきました。たかだか2日程度でしたが、婆様はひ孫に会えて大喜びでした。このコロナ惨禍でなかなかひ孫達に会えないので、喜びもひとしおのようです。私も息子がいる東京になかなか行けません。婆様のひ孫は今のところ8人ですが、今回8人目のひ孫と初対面をしました。結婚したばかりの姪っ子もいるので、婆様のひ孫は10人を越えると思われます。
今年95歳になる婆様はあとがありません。あと5年生きることができたら100歳です。自分の親・兄弟・夫・友達がこの世にいなくなった婆様にとって、ひ孫達に会うことが生きがいのようです。
楽しく歓談している家族と婆様、そしてひ孫
私は東京へは寝台列車か新幹線を使って往復しています。しかし、息子たちは飛行機を使います。私は今だに飛行機は苦手です。何というか、あのふわふわ感が苦手です。また、たまにエアポケットに入った時の冷や汗が苦手です。使う交通機関を見ても、私は一世代前の人間です。私の祖母は、蒸気機関車の普通列車に乗って二日かけて東京に行っていました。また、船便で数十日かけて海外に行っていました。
ところで、息子夫婦は光市の簡保の宿に泊まりました。私は夕食だけは簡保の宿で一緒しました。次の日は墓参りやジャガイモの植え付けなどを一緒にしようと思います。
仏壇前、ご先祖に報告 婆とひ孫の初顔合わせ 息子夫婦と夕食
洗浄してゴミを綺麗にとった羊毛をカーディングしました。以前はハンドカーダーでカーディングしていましたが、今はもっぱらドラムカーダーを使っていました。一度ドラムカーダーを使ってしまうとハンドカーダーには戻れません。実はドラムカーダーは知人が持っていたため知っていました。しかし、その便利さと効率の良さを知ったのは一昨年の事です。けっして安くはないのですが、自分で羊毛をカーディングして紡ぐ方にはとても便利です。今、座布団の表裏を編むための毛糸を紡いでいます。その毛糸にするための羊毛をカーディングしました。
数ヵ月ぶりに使うドラムカーダー、私は3回通してカーディング
ハンドカーダーはすぐにカーディングできますが、ドラムカーダーを箱から取り出して組み立てることから始めます。ハンドルを取り付けたり、机に固定したり、ベルトを取り付けたりします。組み立て終わると、天日乾燥した綺麗な羊毛を二掴み位取り分けます。取り分けた羊毛をほぐすようにしながら細長くします。そして、その先端をドラムの吸い込み口に入れます。続いて、ハンドルを回してその羊毛を取り込みます。すると、吸い込まれた羊毛は、大きな方のドラムに全て巻き付きます。
羊毛を吸い込み口へ ハンドルを回す 巻き付いた羊毛を外す
羊毛が大きなドラムに全て巻き付くと、その巻き付いた羊毛を外します。私だけなのかも知れませんが、外したその羊毛を三分割します。そして、三分割したそれぞれの羊毛を、ほぐしながら再びトラムカーダーでカーディングします。そして、再び太いドラムから外して三分割して・・・と、これを3回繰り返します。
ドラムから羊毛を取り外す 外した羊毛を三分割
3回カーディングすると、カーディング完了です。最後に、明るい窓ガラスに羊毛を押し当てて透かせるようにして検査します。すると、それまで分からなかった小さなゴミや毛玉などが見えます。見つけたゴミや毛玉はピンセットを使って取ります。こうしてカーディング作業が終わりました。次回は、今回カーディングした羊毛を手紡ぎして毛糸にしようと思います。
カーディング完了の羊毛を、明るい窓に押し当てて検査
大畠ふれあいビーチ、強風と横殴りの雪のためゆっくりと昼食休憩できませんでした。砕ける波から逃げるように出立しました。国道188号線を元に戻ると、鯛のトイレで数人の方が用を済ませました。そして、国道188号線を渡って旧道に戻りました。国道188号線は行き交う車や強風でうるさいほどでした。しかし、旧道に戻ると風が吹かなくなり静かになりました。しばらく旧道を戻ると、旧道に別れを告げて丘の上に登りました。
丘を横切る道脇にあった薬師観音堂を訪問、7年前にも訪問
丘に向かう道の途中に線路がありました。その線路の直前に行者堂がありました。誰もいませんでしたが、周りは綺麗に掃除されていました。線路下をくぐってすぐの場所に祠がありました。面白いのは、道ではなく線路か海に向かって祠が置かれていました。鳴門小学校からだんだんきつい坂道になりました。ハーハー言いながら坂を登ると、坂の中腹にお地蔵様6が安置されていました。千羽鶴が飾ってありました。どなたかが病気の回復を願ったのでしょうか。
鯛のトイレを拝借 行者堂にお参り 線路か海向きの祠
丘上のT字路に着くと、右に進路をとりJR大畠駅方面に向かって歩きました。しばらく歩くと薬師観音堂がありました。ここは、7年前に柳井港から大畠まで史跡巡りウォーキングした時に訪問しました。その時は、地元の方からお接待としてミカンをいただきました。薬師観音堂を出ると、丘の上にある遍照寺に向かいました。周辺には八十八か所のお地蔵様があるのですが、行きの第一番と戻りの八十八番目のお地蔵様を見ました。
坂のお地蔵様6 丘の上にある遍照寺 稲荷大明神社
遍照寺を出ると、途中石神川を横切りJR大畠駅に向かってどんどん歩きました。30分以上は歩いたでしょうか。大畠中学校から見て山上にある大師堂に寄りました。すると「コロナのため3/21のお接待は中止」との張紙が貼ってありました。続いて、JR大畠駅に向かって下る道の途中にある稲荷大明神社に行きました。管理がされていないのか、鳥居が傷んで今にも倒れそうでした。稲荷大明神社を出ると、落葉が降り積もった急坂を一気に下りました。そして、JR大畠駅に到着しました。参加された方々お疲れ様でした。
3月の史跡巡りウォーキングは、光市室積の西ノ庄や東ノ庄周辺の寺社仏閣を含む史跡を巡ります。
柳井市大畠周辺の史跡巡りをしたウォーキングルート
ラジオ内部の天板や横板などに、回路図が貼り付けてあることが多いものです。しかし、このラジオには、剥がれてしまったのか回路図がありません。修理に回路図は必須です。そのため、現物の素子やその配置を見ながら回路図を復元しようと思います。リバースエンジニアリングと言ったところでしょうか。
真空管の種類から高周波増幅段、再生・検波段、増幅段、整流段の四つの構成になっていると思われるます。そこで、私が中学生時代に読んでいたラジオ製作本に載っていた回路図を参考にして、抵抗値やコンデンサ容量値を確認する作業をしました。まずは高周波増幅段を調べました。すると、私が持っているラジオ製作本の回路図とほぼ同じであることが分かりました。
古い真空管ラジオのシャーシ裏、これを元にリバースエンジニアリング
最初に高周波増幅段の二個のコンデンサを調べました。懐かしいべーバーコンデンサでした。容量値を調べるため取り外しました。すると、0.1μFと0,05μFでした。耐圧は共に1000Vです。古いコンデンサは容量が減っているケースが多いため、交換する必要があります。
ペーパーコンデンサ ペーパーコンデンサ 真空管UZ58A
0.1μF 0,05μF ソケット
続いて抵抗値を測定しました。すると、抵抗値は私が持っていたラジオ製作本の回路の値と同じでした。ですが、巻線抵抗や被覆抵抗で表面が剥がれていたり線が切れそうだったりと状態は良くありません。W数は分かりませんでしたが、大きさや形状からみて1W位です。コンデンサと同様に抵抗も新品に取り替えようと思います。次は、再生・検波段の回路を確認してみようと思います。
テレビアン PM-8の高周波増幅段の回路
去年まで金魚を飼っていました。5年前に三匹飼い始めたのですが、2匹、1匹と減っていき、最後の1匹が昨年いなくなりました。猫も飼っていましたが婆様は大の猫嫌いでした。そのため、夏も冬も外飼いせざるをえず老猫となり4年ほど前に往生をとげました。
飼っている動物がいなくなったため、今回また金魚を飼うことにしました。比較的丈夫な和金三匹にしました。ついでに、濾過機,光源,そして砂を新しくしました。光源は今はやりのLEDです。水槽とタイマーは以前使っていたものを使います。タイマーを使うことによって昼だけ点灯します。
我家に新たにやって来た、和金の三匹
子供達が小さい頃、たくさんの小動物を飼っていました。水槽も10個位あったように思います。ほとんどの魚は近所で捕まえてきたものです。フナ、ドジョウ、ホトケドジョウ、ナマズ、メダカ、はや、魚ではないですがオタマジャクシ、ザリガニ、カニなども飼っていました。ウサギ,ハムスター,そしてハツカネズミも飼っていました。昆虫も飼っていました。団地に住んでいながらミニ水族館のようでした。思い出しましたが、偶然助けたカモを二週間ばかり飼っていました。また、網にかかったインコ、スズメ、鳩なども短期間飼っていました。小動物が大好きな私ですが、私以外の家族はなぜだかみな動物嫌いなのです。婆様の言うことには「心が寂しい人が動物に癒しを乞う。」のだとか。
餌を探す金魚 水を循環する濾過機 明るいLEDの光源
旧大畠役場跡からしばらく歩くと、神社とお寺が隣り合わせの場所に着きました。海原神社と長泉寺です。海原神社は立派な石垣の階段の上に拝殿がありました。そして、階段から海へ参道が続いていました。今は国道188号線が参道を横切っており海が見えません。かつては海岸にそのまま参道が繋がっていたのではないでしょうか。俄祭りのさい、ここから海岸にお神輿が向かうのでしょう。なお、鳴門神社のお神輿はこの海原神社まで旧道を通って行き来するとのこと。
横殴りの雪にぶるぶる震えながら、堤防に隠れて昼食休憩
海原神社の隣の浄土真宗長泉寺はとても立派なお寺でした。本堂の大きな屋根がとても綺麗でした。旧道をさらに進むと、浄土宗戒善寺が見えてきました。そのお寺の前に立派なお地蔵様5が安置されていました。屋根があり、赤い帽子によだれかけ、花も供えてありました。このお地蔵様5はまだまだ地域の住民に大切にされていくと思われました。
石垣が立派な海原神社 屋根が綺麗な長泉寺 立派なお地蔵様5
戒善寺横には広い墓所があり、ある家族が墓参りをしていました。続いて、国道188号線を横切って大畠ふれあいビーチに行きました。この頃になると、にわかに空が曇り横殴りの強風となり雪が横に降り始めました。少し経つと、それまで見えた伊保庄や周防大島が雪で見えなくなりました。かろうじて対岸の笠佐島が見えました。
浄土宗の戒善寺の楼門 何もない旧大師堂の跡地
大畠ふれあいビーチの旧大師堂跡地を見た後、その100m先にもあった旧大師堂跡地も見ました。なお、大畠ふれあいビーチ前の国道188号線向こう側には旧鳴門小学校があったとのことです。今は市営住宅になっています。鳴門小学校が移転した頃に旧大師堂も無くなったのかも知れません。旧大師堂に安置されていたお地蔵様は、山上にある遍照院に移転しているとのことです。
柳井市大畠周辺の史跡巡りをしたウォーキングルート
原毛を洗浄して自然乾燥した羊毛には、籾殻やチップ片などのたくさんのゴミが付着しています。その細かいゴミを取り除きました。羊毛作業の中で一番人の手がかかる作業だと思います。ゴミを取り除いて初めてカーディングできます。最初に枯草など比較的大きめのゴミは指で摘まんで取り除きます。それが終わると、籾殻や草木の種などの極小のゴミを取り除きます。櫛状の小道具を使って濾して取り除きます。また、ゴミではないのですが毛玉も取り除きます。細かい手元の作業ですのでメガネが欠かせません。
羊毛に潜む小さなゴミを取り除いた羊毛、次はカーディング
私が羊毛からゴミを取り除くために使っている小道具は、大きな目の櫛,犬猫用の櫛,そしてピンセットです。犬猫用の櫛を使っている理由は金属製だからです。大きな目の櫛はプラスチック製なので静電気が溜まるようです。そのため、ゴミが引っ付いてなかなか離れません。その点、犬猫用の金属製の櫛は静電気が溜まらないためゴミが引っ付きません。人の手と金属の櫛は、静電気が同電位になるめためゴミが引っ付かないのだと思います。ピンセットは、しつこいゴミを引きはがす時に使います。また、毛玉を取る時などに使います。
ゴミ取り用の小道具 洗浄後の羊毛一掴み 指で摘まんでゴミ取り
洗浄後の羊毛からゴミを取り除く私の手順はだいたい次の通りです。①洗浄後の羊毛を一掴み取り出す。②枯草など、比較的大きなゴミを指で摘まんで取り除く。③大き目の櫛を使って羊毛をほぐしながらゴミを取り除く。④犬猫用の金属製櫛でより小さなゴミを取り除く。⑤それでも取れないゴミは、ピンセットでゴミを引きちぎるように取る。ついでに、気が付いた毛玉も取る。・・・・です。とにかく、のんびりと無心で作業しています。
犬猫の毛玉を取る金属製の櫛 ようやくゴミを取った一掴みの羊毛
日積に向かう古道に曲がり、石神川の上流に向かって20m位歩くと宗任第一踏切がありました。その踏切を渡ってすぐ、左に向かう小道に入りました。そして、民家が並ぶ小道を山に向かって歩きました。だんだん小道は急坂になり、小道を上り詰めると崖の途中に祠がありました。住吉荒神様です。私が思うに、この崖は昔からく崩れやすかったのではないかと思います。そのため、災害が起きないための守り神なのではないかと思います。屋根が青く塗ってあり、今でも管理がされているようでした。住吉荒神様を見終わると、踏切に戻って再び柳井に向かう旧道に戻りました。
急な坂道を登り、崖の途中に置かれた住吉荒神様を訪れる
柳井に向かう古道はとても趣があります。しかし、行き交う人はなく犬も歩いていません。夜は怖いくらいに寂しい古道ではないかと思います。車が行き来する賑やかな国道188号線に、人も車も取られてしまったのでしょう。今の国道188号線が開通する前、この古道は行きかう人々や馬車などで活気があったはずです。
崖途中の住吉荒神社 古道沿いに趣のある建物 国道に面した住吉神社
趣のある建物を見ながら歩いていると、かつて旧大畠座があった更地の向こうに住吉神社が見えてきました。住吉神社を参拝することにしました。住吉神社に向かう道はかつては参道だったようです。しかし、国道188号線が住吉神社拝殿の目の前に通ったことにより、参拝しずらくなったに違いありません。大畠ではないのですが、国道の開通に伴い参道の向きが変わってしまった神社もあります。
住吉漁港に面した梅ヶ崎天満宮 旧大畠役場跡地のお地蔵様4
続いて、住吉漁港の堤防沿いに歩いて梅ヶ崎天満宮を参拝しました。鳥居には、立派なしめ縄が飾られていました。続いて古道に戻りましたが、国道188号線を再び横切らなければなりません。左右の車に注意しながら横断歩道を渡りました。古道に戻ってしばらく歩くと、旧大畠役場跡に着きました。広い更地になっていました。そのはす向かいにお地蔵様4が安置されていました。地域に大切にされていることが分かるお地蔵様です。
柳井市大畠周辺の史跡巡りをしたウォーキングルート
電源を入れる前に電源トランス周りを念入りに確認しました。まず最初に保護ヒューズを確認しました。ラジオ内の例えばトランスなどを守るための保護ヒューズです。この保護ヒューズは針金が半田付けされていました。そのため、過電流が流れても切れないかも知れません。0.5Aのヒューズ管を購入して差し込んでおきました。私事ですが、子供の頃に100Vのコンセントに針金を突っ込んだらどんな事になるのか試したことがありました。すると、閃光と共にバチッとすごい音が出ました。そして、コンセント周りが焦げてしまったのです。
静かに燈った真空管のフィラメント(カソード)
電源を入れる前に、電源コード側からテスターで抵抗を測定しました。この測定値が0Ωならば危険です。電源コードの抵抗は23.6Ωでした。OKです。注意深く電源コネクタをコンセントに差し込みました。しばらく待つと真空管のカソードがやんわりと燈りました。各真空管のフィラメントの燈り具合を確認しました。すべて正常に燈っています。二極管の12Fだけは直熱型のためフィラメントが筋になって燈っていました。ただしPL(パイロットランプ)が点灯しませんでした。フィラメントが切れているかコードが切れているのだと思います。
空長短端子とアース端子 保護ヒューズ 電源トランスの100V抵抗
アンテナ端子も確認しておきました。空長端子と空短端子がありました。そして、アース端子がありました。次に、前面パネルのつまみを確認しました。下左の画像で、A:チューニングつまみ、B:電源スイッチつまみ、C:再生バリコンつまみ、そしてD:音量つまみです。電源スイッチつまみはやや硬いため掃除する必要があるようです。次回は、具体的に回路を調べようと思います。
前面パネルの各つまみ 二極管の直熱型フィラメント
このところ風が少しばかり暖かくなったような気がします。晴れてもいないのに寒く感じません。初春なので当然でしょうか。午後畑に出て、種ジャガイモの植え付け準備と小麦畑の畝間除草をしました。最初に種ジャガイモを植え付ける畑を耕運機で耕しました。そして、種ジャガイモを植える畝を4筋決めておきました。一昨日の雨で土が柔らかかったので、とても耕しやすかったです。耕運機のエンジンを止めて休憩していると、下校する小学生達の賑やかな声が聞こえてきました。ジャガイモの畝を作り終わると、次に小麦畑の畝間除草をしました。この小麦はパスタ用品種です。来年度、子供達にパスタ作りを教えるために栽培しました。
小麦の畝間を耕運機のロータリーで耕運除草
ジャガイモは毎年のように栽培していますが、春の芽欠きまでは順調に作業できます。しかし、初夏になると暑いのと蚊に刺されるのとで作業が難しくなります。夏になると汗だくとなり、クワを畝に打ち込んでジャガイモを掘り上げるのは大変です。一方で、汗だくになるからと半袖にしていると必ず蚊に刺されます。蚊取り線香を腰に下げるのですがあまり効果はありません。服の中に風を送り込むファン付きの長袖の評判が良いようです。この夏に一着購入してみようと思っています。
種ジャガイモの畝を作るため耕運 小麦間の草を取るため耕運
去年はスズメのため小麦が全滅してしまいました。つまり収穫量ゼロでした。その対策として、目の細かい防鳥網を購入しておきました。それでもスズメが入ることがあるため、二重に網を掛けるつもりです。この近くでは誰も麦を栽培しないため、私の小麦畑はスズメの餌場のようになっています。今年は、それを何として避けたいです。
種ジャガイモを植え付ける畝が分かるように杭を打つ
座布団を作ろうと空いた時間にせっせと毛糸を紡いでいます。すると、足踏み紡ぎ機のボビン1巻分を紡いだところで羊毛が無くなってしまいました。量的に、もうボビン1巻紡ぎたいところです。そこで、あらたに原毛を洗浄することにしました。いただいた原毛から綺麗なものを選び出しました。そして、洗剤で押し洗いし、温水でその汚れた洗浄液を洗い流しました。それを数回繰り返した後、網の中に入れて風通しの良い場所で自然乾燥しました。
風通しの良い場所で、洗浄した羊毛を天日乾燥
原毛はいろいろな汚れが付いています。まずは羊自身の皮脂が付いているため、触ると少しべたべたします。羊が寝転んだりした時の泥や砂などが付いています。さらに、枯草,籾殻,そして木材のチップなども付いています。これら全ても洗い流さないといけません。しつこく毛に絡みついた枯草や種などは洗浄後に櫛やピンセットなどで取り除きます。
ボビン1巻分の毛糸 原毛を選別 洗剤で洗浄中
今は冬なので洗浄するための温水確保が大変です。温水器が無いため、いちいち湯を沸かしながら適温になるように薄めています。また、水で洗浄液を洗い流す時、冷たいため手が痛くなります。温水器が使える公民館で原毛を洗浄したことがあります。この時のように、温水が自由に使えると原毛の洗浄がずっと楽になるのですが。
何度も洗浄液を洗い流す 風通しの良い場所で乾燥
ちょっとした野良仕事をする時に重宝するのは猫車や一輪車です。まずは、昔良く使われていた猫車。農機具や収穫物などを入れた荷箱が運搬時に振動でずり落ちることがあります。そこで、荷箱がずり落ちないように改造しました。改造と言っても、単に荷箱がずれないような板を取り付けただけです。今後は安心してコロコロと猫車を押すことができます。なお、昔荷箱として使っていたわら細工民具のほぼろはずり落ちることはありませんでした。しかし、今やほぼろを手に入れることはできません。先日ほぼろを製作しましたが、荷箱ではなく別用途に重宝しています。
荷箱がずり落ちないように板を取り付け
一方、古い一輪車のゴムタイヤが硬化してペッタンコになってしまいました。空気入れで空気を入れてもスースー空気が抜けるだけです。パンク修理してもかまわないのですが、永久にパンクしない充填剤を入れたタイヤに交換しました。値段は1.6倍位しましたが、パンクしない安心感が勝りました。二年前に充填剤入りタイヤに交換したもう一台の一輪車は、何も問題もなく今でも使っています。
ペッタンコのタイヤ 新しいタイヤに交換 交換後の一輪車
今使っている一輪車は、今回改造した猫車と二台の一輪車です。しかし、坂道や土手を登る時は力が必要です。重い木材やレンガなどを運ぶときは腕が痛くなります。長距離を運ぶときは特に疲れます。近々モーターで車輪を回す一輪車を導入しようか迷っています。年齢と共に、重いものを運ぶのがしんどくなってきたもので。
猫車の横に板を取り付け 荷箱がずれないよう板を取り付け
毎年の今頃、各小学校を回って歴史や史跡などについて授業をしています。今回は麻郷小学校3年生に「むかしの生活」についてお話をしました。3年前までは子供達が郷土館にやって来て、古い道具を見たり実際に使ってみて昔の生活について勉強していました。ところが、コロナ惨禍のため郷土館が閉館となったため生徒さんは郷土館に来ることができなくなりました。そのため、2年ほど前から郷土館から小学校に行って授業をすることになりました。
田布施町や麻郷の昔の生活や古い道具についてお話
元々は移動郷土館と銘打って、各公民館や公会堂などに出かけて「地域の歴史や成り立ち」などについて地域の皆さんに講演していました。話が変わりますが、國木田独歩は田布施町にとても関わりがある小説家です。國木田独歩生誕150周年に合わせて、6年生には國木田独歩に関わる史跡を案内・解説しました。
岸佐藤兄弟元宰相のお話 手回し蓄音機を聞かせる
自分の生まれたふるさとを誇りに思うように、田布施町が生んだ岸佐藤兄弟元宰相や田布施町にしかないノーベル平和賞についてもお話をしました。そして、自分たちの曾祖母が使ったであろう古い道具について実物を見せながら解説しました。お話だけだと眠そうなので、実物を動かしてみせました。例えば、手回し蓄音機,昔の手回しミシン,火で熱を貯めて使う昔のアイロン,はだか電球,ダイヤルの無い超古い電話機,明治時代の小学3年生の教科書数点,手桶などです。子供達が一番関心を示したのは手回し蓄音機だったように思います。実際にハンドルを回してみせたり、回転する昔のレコード盤に針が触って音楽が流れたからでしょう。
超古い電話機のお話、どうやって電話番号を入れるかな?