すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

適当な水と光を与えてください

2006年07月21日 | 教育ノート
保護者向けのお知らせとしてはきわめて一般的なことであるが
通信簿の見方について、それが配布される前に考えてもらいたいと思って
下のような文章を書いた。



「通信簿は、5人の人に読まれるものだから…」
 そんな言葉を聞いたことがありました。父、母そして祖父母…最後の一人は「神棚や仏壇にいるご先祖様」という内容でした。これは、記述する私たち教員の心がけを説くもので、そういう意識で一人一人の通信簿に向かいなさいという教えです。私事ながら、そういえば昔、母が神棚に上げていたことをかすかに覚えています。

 通信簿(本校では学校・家庭連絡票としました)の形はずいぶん様変わりしましたし、昔ほどの有り難味は薄れているのかもしれません。しかし、なんといってもそれは、子どもたちが4ヶ月間頑張ってきた内容とその出来具合を示していることに違いはありません。その意味では、子どものある一面(それも結構大きな部分を占めている)をはっきり表しているということです。

 連絡票に書かれてあることは、実はみんな「子どもの中にあるもの」ですが、担任が文章や印で目に見える形にしたものです。それを材料に、いろいろと話してみることが大切ではないでしょうか。「もっと頑張れ」「ここを気をつけろ」…もちろんそういう言い方もあるでしょう。しかし、やはり「できたこと」「伸びていること」を認めてあげることを忘れないようにしたいものです。

 「子どもの中にあるもの」をすべて他人が見通すことはできません。その中から何が伸びていくかは、小学生のうちはまだまだわからないはずです。明後日、持ち帰った連絡票をご覧になったら、ほんの小さくても芽が出ているもの、まだ芽をださず眠っているかもしれないもの…そんな力を見つけて「適当な水と光」となるような声をかけてやっていただければ、と思っています。(7/18)