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ぶれない芯のある見方

2006年07月11日 | 雑記帳
先週の研修会で、ノンフィクション作家立石勝規氏の講演を聴いた。
「二百から三百人規模の講演はあるが、千人を越す聴衆を前にしたのは初めて」
という立石氏は、その登場の仕方で、
私たちを惹きつけ、氏自身をまず落ち着かせた。

プログラムにはもちろん書かれていないのだが、
進行者による紹介などまったくないままにステージに突然登場し
演台の前でマイクをもち「前口上」を語り始めたのである。
自分自身の専門である環境問題のことや出自のことを10分ほど喋り
講師席についたのだった。
それから、大会実行委員長による「講師紹介」が始められるという
異例のスタートだった。

形式を崩すことは、
「何かおもしろいことが始まる」という期待感を抱かせる。
立石氏の講演もその期待に反せず、内容の濃いものだった。
「ものの見方」という演題に即したものとしては
地元である青森県の話と、野口英世に関するエピソードが大半だった。
豊富な読書量からくる様々なうんちくがなかなか興味深かった。

なかでも、地元津軽に伝わるという「雁風呂伝説」
渡り鳥が海上で翼を休めるために
枝木をくわえて津軽の海岸まで飛んでくる。
浜に枝木を置き、さらに南方を目指す。
そして春には、北方へ帰るために、
一旦置いた枝木を再びくわえ飛び立っていくのだという。
残された枝木は、北方に帰ることができずに、
力尽きてしまった鳥の分ということになる。

津軽の民は、そんな枝木を集め、浜沿いで風呂を沸かした。
そして、通りかかる旅人たちをその風呂でもてなした、という。
風呂につかる旅人は、そしてもてなす地元の民は、
どんな思いで海峡を眺めたことか…
心揺さぶられる風景が目に浮かんだ。

要項のレジュメに資料として載っていた「仰げば尊し」の歌詞。
出身校の同窓会長を務める氏が、出席した母校の卒業式で
その歌が歌われないことに憤っていた。
友人の校長にその理由を問うて、一応の納得はするが
腹の中ではもちろん納まってはいない。
自分の教わった恩師のエピソードを紹介しながら、
教育愛について後半の多くの時間を割いたのは、
聴衆に対するアピールでもあったろう。

複雑になりすぎた学校教育を取り巻く現状…
絡み合う糸に気をとられ過ぎて、肝心な一本の芯を見失っていないか。
そんな氏のストレートな思いが伝わってくるまとめ方だった。

多面的な見方を強調するような意図だったろうが
実は、ぶれない芯のある見方こそ「ものの見方」である
と、私はそんなふうに聴いた。