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「ぬくもりのまなざし」は欠かせない

2006年11月12日 | 雑記帳
 野口芳宏先生を本校の研修会講師としてお迎えするにあたって
進行役としての心積もりもあり、いくつかの著書や冊子に改めて目を通した。

 私家版である『国語教室』第28集の第1章は「授業と学級論」と題され
Q&Aの形で、様々な事項について答えている文章があった。
 「教室ツーウェイ」誌で、同じ質問について「有田・野口・向山」三氏が答えていく企画である(思えば、いい時代であった)。

 その冒頭の問い
「新卒教師、最初でぐちゃぐちゃになったのですが…」という状況について、
野口先生はもちろん具体的な手立てを示してはいるのだが
その手立てを記す前にこんなことを書いておられる。

その場に私がいたとして、私はこの新卒教師にすぐノウハウを話すことはしないだろう。
むしろ、「ああ、がんばっているなあ」というようなぬくもりのまなざしで、
しばらくは静観していたいと思う。
教育という仕事は、初めっからきちん、きちんと進められるというわけではないし、
それが直ちに責められなければならないというものでもない。


 この文章が書かれたのは、おそらく90年代初め。
その当時もその考え方が主流だったとは思わないが、十数年が経ち、
日本の教育現場は、そんな目がとんと通用しない状況が強まっている。

 子どもの変化に対応する姿勢として、素早い指導が求められることはもはややむを得ないことではあるが
それは、教員の評価や管理という面が強まっていることと見事に重なっている。

 年輩教員や管理職が若い方々を相手に、指導について語るとき
すべてにおいて、即効性や迅速性を求めてよいものか…
 それは「社会が、時代が、要求している」と言えばそれまでなのだが
そうした姿勢は、間接的に子どもに移っていきはしないか…

 野口先生にお願いした講話のテーマは、「子どもを見る目を鍛える」であった。
 子どもを見る目の中に、「ぬくもりのまなざし」は欠かせないことである。
 同様に、同僚や若年層を見る目にもそれは欲しいと思う。

 私たちの仕事は、厳しさの中で展開されるものではある。
しかし、そこに「ぬくもりのまなざし」が強く要求されることも
教育の仕事の持つ特殊性であるような気がしている。