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いい夫婦の日と言うけれど

2016年11月22日 | 雑記帳
 11月22日の語呂合わせで作られたらしい「いい夫婦の日」。朝にテレビ番組から聞こえてきて、ふと先週のことを思い出した。地元紙に『えんぴつ四季』という投稿欄があって、その掲載された内容のことだ。読む習慣はなかったが、ラジオ番組で朗読コーナーがあり紹介された時に、とても心惹かれた文章だった。


 「夕方、職場に迎えに来た夫の車に乗り込むと『ああ、正直だなぁ』と夫が言った」と始まるそのエッセイは、季節に伴う自然の変化に目をつけ、会話する夫婦のひと時を淡々と語る内容である。強く心に残った一節は「もう、これからは成し遂げるべきこともなければ、追い掛けてくるものもない」という箇所だ。


 六十代後半の夫婦ともなれば、そんな心持ちなのか。自分たちもそんなに遠くないか…と感慨めく気持ちもわいたが、同時にまだそこまでは達観しきれていない面もあることを認めた。そしてこれは、単に年齢を重ねたからではなく、日常を丁寧に積み重ねて過ごしてきた一つの境地なのだなあと、はっきりと気づく。



 「暗くなった」「月がきれいだ」という、単に目の前の状況をそのままに語る言葉が二人をつなぐためには、「心の通い合い」といった一言では括れない、過ぎ去った時間と繰り返した風景があざなっている空間が必要である。その瞬間に流れている空気が包むのである。それを感じ取り紡ぎだした感覚に、一本取られた。


 結びの文章がまた素晴らしい。「私たちにある確かなことは、今、2人でこうして生きていて、過ぎて行く季節に心を動かされているということだ。」きっと、このご夫婦は「毎日がいい夫婦の日」だろう、などとオベンチャラは言うまい。夫婦とは、いい悪いと形容するのでなく、いい悪いをくぐり抜ける同士なのだから。