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まさに「あごつり道」だったか

2017年08月14日 | 雑記帳
 公民館主催「ふるさと再発見展」を見に出かけた。統廃合が進む前の古い校舎の写真などが展示され、懐かしく見入った。町内の学校を7校も在職しているのでそれぞれに思い出深い。それはともかく、昨年の同展示会の折にビデオ放映した昔の番組が、ホールのテレビで流されていた。その一つに見入ってしまった。



 「雪のあごち(つ)り道」と題されたその番組は昭和40年製作とある。NHK新日本紀行などで地元が取り上げられている映像はたくさん目にしてきたが、これは初めてだった。その訳は、製作がTBSであり県内に直接流されなかった?経緯も関係するか。このドキュメンタリーは一人の教師の目を通して描かれていた。


 同職はしなかったが新卒の頃から何かとお世話になった、大先輩のT先生であった。地元の住職でもあり、詩人でもあったT先生ゆえに、当時の農村が抱える現実を見事にあぶりだしていた。ナレーションの視点人物として村や個々の家、教室の様子を語る。実際のナレーターはなんと矢島正明。貴重な映像である。


 出稼ぎ者が多い雪深い村に残された家族の思いと暮らしが、コンパクトにまとめられていた。T先生の教育実践として「出稼ぎ」をテーマにした新聞づくりが紹介され、暮らしそのものから問題提起する当時の姿が想像できる。映像に登場した私より一つ二つ上学年の方々の表情は、正直明るくもあり暗くもあった。


 番組名「雪のあごち(つ)り道」が気になった。「骨っこ道」(踏み固められた細い道)かなとも思ったが…。辞書には見つからず、ネット検索したらわずかに1件ヒットし、我が町の冬の行事に関するインタビューにたどりついた。「『なんも大学』花嫁道中」である。そこで語られていることは、こういう意味である。

 峠は「顎つり道」って呼ばれて、近道ではあるんですが、顎がつかえるほど急な道だったんで、下るときはすごく滑るんですよ。滑って転んだり、新雪に突っ込んでいったり。

 これを読み、番組の舞台となった村にはややそぐわない感じがした。しかし、一歩踏み込んでその意味を探ってみると、実に象徴的な風景であることがわかる。つまり、高度成長期がピークに達する時期、現金収入を求めて「地方」や「家族」が置かれた状況は、まさに「あごつり道」。そこから滑りは急激に始まった。