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ミニスカートの風は

2017年08月27日 | 雑記帳

(2017.8.26 OOMAGARI)

 先週の「ひよっこ」は、『ミニスカートの風がふく』と題されて、1967年が舞台。ミニスカートと言えば…ツイッギーでしょ、と言える世代は、ギリギリ私たちが限界だろう。ファッションモデルという言葉もその時知ったように思う。前年来日のビートルズよりインパクトがあったはずだ、小学校高学年男子には(笑)


 ところが、やはり異人人気は長続きせず、すぐに邦人に目が移る。その時点で、ミニスカートと言えば…これは、黛ジュンしかない。彼女の爆発的な人気は凄かった。「恋のハレルヤ」「天使の誘惑」そして「夕月」と。トップスターとしての期間は短かったが、ミニスカート姿でパンチある歌声のインパクトは強かった。


 「ヒザ上〇センチ」などという言い方もあった。そうしたことを基準にすることは今は減った。番組にも近いセリフがあったが「ミニスカートは女性の躍動の象徴」の一つでもあったろう。多様になった女性ファッションは、男性目線からの見方を次第に離れ、女性特有の美しさをいかに強調できるかが主流となった。


 ミニスカートが印象的な役割を果たしている詩がある。かの有名な「生きる」(谷川俊太郎)である。教員なら授業中に経験のある人がいるかもしれないが、この詩を初めて読むときに、「ミニスカート」の箇所で小さな笑いが起こる。言葉の意外性と照れだろう。それにしてもこの選択はやはり谷川ならのセンスだと思う。


 「プラネタリウム」や「ヨハン・シュトラウス」「ピカソ」そして「アルプス」も同列に並べられ、「ミニスカート」が美しいものの象徴として詩の中に置かれた。科学や芸術や大自然に劣らぬほど人間を刺激した一種の発明と呼んでもいいのかもしれない。その「風」を今でも覚えている人たちは、TVの前で微笑む。