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森節を味わう…その1

2022年05月15日 | 読書
 「森節(もりぶし)」と言えば♪おふくろさんよぉ、おふくろさん♪をイメージしてしまうが、ここでは作家森博嗣の書く文章、言い回しを指している。この著のまえがきに、著者自身がそう「言われたりする」と記してある。そこを読み、ああなんとなくわかるがその正体は…と感じてしまい、読書の目的となった。



『つぶさにミルフィーユ』(森 博嗣  講談社文庫)


 具体例は、まえがきにすでにある。「本を読む価値」について述べている一節だ。「読んで忘れてしまっても良い。忘れるには、一度覚えなければならない。覚えて忘れることは、なにも覚えないことよりもずっと価値がある。それは、生まれて死ぬという生命の価値と等価だろう」・・・ここにある一種の小気味よさだ。


 また独特のユーモアセンス。「挫折」という語をよく使う者に対して「これだけすぐに挫折できる人間は、本当の挫折が味わえるほど頑張れないから、ある意味挫折しらずの人生になる可能性が高い。」皮肉めいた言い方と受け取られそうだが、文章全体から嘲笑めいた雰囲気は受けない。どちらかと言えば突き放しか。


 エッセイ等を読んだ人はわかるが、日常の割り切り方が凄い。言葉の意味についても辞書とは一線を画した現実を照応させる。言語表現そのものの役割や価値に関しても同様だ。「たかが文章、しょせん言葉だけのこと、と受け流すことで、一回り広いエリアが見えてくるだろう」…それを言葉で伝える俯瞰性の強さだ。


 読了して「森節とは何か」という問いに端的に答えるとすれば、「未練がない」に尽きるのではないかと思った。終盤に自分が体調を崩し、入院、休養したことなど入れつつ、最終章で「遺書は書きたくないが、もし書くなら毎日書くのが良いかもしれない」と時々転調めいたフレーズを入れながら、うたい切っている。