すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

待合室のソファで味わう

2022年05月27日 | 読書
 指定された待合室のソファに腰を下ろし、借りてきたばかりの本を開いた。
 『メロンと寸劇』(向田邦子 河出書房新社)である。「食いしん坊エッセイ傑作選」と添えられているので、まあ気楽に読み流すにはいいだろう、そんな気分でページをめくる。

 上手いねえ、この人…と昭和の大脚本家に何を今さらというような感覚が湧いた。
 冒頭のエッセイは「昔カレー」と題された、カレーにまつわる思い出のあれこれを綴った文章だが、三、四行読んだだけでその流れに魅せられた。

 もちろん、以前にも小説など読んだ記憶がある。飛行機事故で急逝した女性作家、恋多きだったかどうかのイメージは定かでないが、死後も多くの出版物があるこの作家に改めて「見つめられた」気がした。



 貴方は「記憶」をどんなふうに調理しますか。
 エッセイの上手い書き手を料理人に喩えるのは珍しいことではない。それも題材が「食」に関した事柄になると、一層重なって見える。向田の腕前は、令和の現代にあっても十分通用しそうだし、真っ当な「味」として舌に、いや心に残る。

 どこがどうのと具体的分析は無理だが、メニュー名は「思い出」がつきそうなものばかりなので、仕上げるために覚えておくのは、基本姿勢だけで十分だろう。

P21「思い出はあまりムキになって確かめないほうがいい。何十年もかかって、懐かしさと期待で大きくふくらませた風船を、自分の手でパチンと割ってしまうのは勿体無いではないか

P54「思い出にも鮮度がある。一瞬にして何十年もさかのぼり、パッと閃く、版画で言えば一刷が一番正しく美しい

 どちらも「」に向かうときの心構えが匂ってくる。


 さて、腹の据わった人間論と思った一節がある。これも残しておきたい。
 向田は「自分にもそういう癖がある」と前置きしつつ、こう書く。

P90「隅っこが気になる人間は、知らず知らずに隅っこの方へ寄っていく。ちょっと見には無頓着に見えるようだが、小さいものを見ずに大きいものを見ている人は気がつくと真中にいることは多いのではないか

 そして「鮪に生まれた人は、ぼんやりしていいても鮪なのだ」と語り、それに比した「刺身のツマや、パセリ」の行く末に思いを重ねて文を結ぶのである。