筑摩書房Webサイト上の問答がまとめられた一冊。いわゆる「人生相談」「身の上相談」とは、ちょっと趣きが違うし、問いかける側も少し変わっている。もっともそうした類をピックアップし編集したのかもしれないが…。この著者なら、ごく普通の相談だと「くだらない。終わり」としそうな気配もするので…。
『何でも僕に訊いてくれ』(加藤典洋 筑摩書房)
とは言うものの書名通りに受け取れば、あらゆる問いが許されるはずなので、バラエティに富んでいる。「『物欲』は所有欲か?排泄欲か?」「民族の歴史の責任をとることについて」「人に対して用いる二分法を教えてください」等々身近な生活から信条、思想に到るまで縦横無尽に語り尽くす。一種の講座でもある。
「偏差値の低い大学で学ぼうとすることは、楽をしようとしているだけか?」という問いへの応えが典型的で「本質は何か」という点はずらさない。この場合は問う者の「学び」への姿勢。「学びたい」という強度がどれほどなのか。それに応じて有効性を持つ機会をどう手にするか。合理化社会の泳ぎ方とも言える。
「大人になるための『条件』について」への応えで、次の一節に納得した。
子どもは様々な物事に決着をつけながら日々を送り、その過程で「大人」に近づいていく。自己の言動を意識的に意義づけている者は少ないだろうが、何かしらの基準は抱えている。ただ、生きるうえでその基準に囚われているばかりでは苦しくなる。必ず別の見方や捉え方がもう一つはあると信じれば、ほっとする。
『何でも僕に訊いてくれ』(加藤典洋 筑摩書房)
とは言うものの書名通りに受け取れば、あらゆる問いが許されるはずなので、バラエティに富んでいる。「『物欲』は所有欲か?排泄欲か?」「民族の歴史の責任をとることについて」「人に対して用いる二分法を教えてください」等々身近な生活から信条、思想に到るまで縦横無尽に語り尽くす。一種の講座でもある。
「偏差値の低い大学で学ぼうとすることは、楽をしようとしているだけか?」という問いへの応えが典型的で「本質は何か」という点はずらさない。この場合は問う者の「学び」への姿勢。「学びたい」という強度がどれほどなのか。それに応じて有効性を持つ機会をどう手にするか。合理化社会の泳ぎ方とも言える。
「大人になるための『条件』について」への応えで、次の一節に納得した。
子どもは様々な物事に決着をつけながら日々を送り、その過程で「大人」に近づいていく。自己の言動を意識的に意義づけている者は少ないだろうが、何かしらの基準は抱えている。ただ、生きるうえでその基準に囚われているばかりでは苦しくなる。必ず別の見方や捉え方がもう一つはあると信じれば、ほっとする。
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