百醜千拙草

何とかやっています

日本の伝統

2007-05-04 | Weblog
子供がYoutubeで「ナルト」という忍者漫画を見ています。忍者ものの漫画は昔からあって、使われている忍法も基本的には同じようです。「ナルト」は英語版で初めて見ました。忍法を使う時に印を結んで呪文を唱えるわけですが、その時の文句が、干支だったので吹き出してしまいました。「ウマ、サル、ヒツジ、トリ!」とか言っているわけです。てっきり英語の吹き替えのときにわかりやすい適当な日本語を使ったのだろうと思っていたのですが、どうも原作でも干支らしいのです。印を結ぶというと真言密教ですが、思い出すのは歌舞伎十八番の勧進帳の中の山伏問答です。私は歌舞伎を生で見たことがありませんし、十八番といっても勧進帳以外は何も知りません。勧進帳だけは音楽が気に入ってCDを買ったので、耳から聞いて筋を覚えました。源義経が兄の将軍、頼朝と不和になったため、身の危険を感じた義経と弁慶一行が山伏の姿に身をやつし、京を都落ちして陸奥へと逃げる過程での話です。源頼朝は各所の関所を立てて山伏を詮議せよとの命を出し、富樫が関守として弁慶一行を引き止める。勧進の旅といつわる弁慶に富樫が「それでは勧進帳を読んでみよ」と言う。「もとより勧進帳のあらばこそ、、、」白紙の勧進帳を見ながら弁慶はアドリブで切り抜けるが、富樫は更に山伏の因縁について質問を始め、幕の山場である山伏問答がはじまる訳です。そこで、山伏が仏徒でありながらいかめしい格好をして太刀をたずさえる理由について、弁慶は、「仏法王法の害をなすような悪獣毒蛇や悪徒を一殺多生の理によって、忽ち切って捨てるためである」と答えるわけですが、富樫は更に、それでは姿のない陰鬼陽魔はどうするのか」とたたみかけます。そこで、弁慶は、「無形の陰鬼陽魔亡霊は九字真言を以て、これを切断せんに、なんの難き事やあらん」と答えるわけですが、富樫は更に「それでは九字真言とは何か」と聞いてきます。それに対して弁慶は劇中最も長い台詞で答えるわけです。

九字は大事の神秘にして、語り難き事なれども、疑念の晴らさんその為に、説き聞かせ申すべし。それ九字真言といッぱ、所謂、臨兵闘者皆陳列在前(りんびょうとうしゃかいちんれつざいぜん)の九字なり。将(まさ)に切らんとする時は、正しく立って歯を叩く事三十六度。先ず右の大指を以て四縦(しじゅう)を書き、後に五横(ごおう)を書く。その時、急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)と呪(じゅ)する時は、あらゆる五陰鬼煩悩鬼(ごおんきぼうのうき)、まった悪鬼外道死霊生霊立所に亡ぶる事霜に熱湯(にえゆ)を注ぐが如く、実に元品の無明を切るの大利剣、莫耶(ばくや)が剣もなんぞ如かん。武門に取って呪を切らば、敵に勝つ事疑なし。まだこの外にも修験の道、疑いあらば、尋ねに応じて答え申さん。その徳、広大無量なり。肝にえりつけ、人にな語りそ、穴賢穴賢(あなかしこあなこあしこ)。大日本の神祇諸仏菩薩も照覧あれ。百拝稽首(ひゃっぱいけいしゅ)、かしこみかしこみ謹んで申すと云々、斯くの通り。

形式美ですね。クレッシェンドでもりあがっていく日本語のリズムが力強く感動的です。魔除けとして、「臨兵闘者皆陳列在前」の真言を唱えながら九字を切り、刀の印を結んで邪を断つらしいです。本来、真言密教は呪術的な実用的(?)なものを多く含んでいるので、それが日本で田舎の大衆に真言宗が強烈に支持される原因であったようです。「ナルト」を見ていると現代でも日本の昔の伝統みたいなものがそれなりに伝わっているようで面白いです。四十年程前のテレビ漫画「サスケ」でも主人公の得意技は「影分身の術」でした。きっと江戸時代にも忍者ごっこははやったに違いありません。
コメント
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