百醜千拙草

何とかやっています

垂直農場、自然の恵み

2008-02-15 | Weblog
地球温暖化に起因する異常気象のために、この50年から100年の間に、地球規模の食料危機がおこる可能性が高いと私は思っているのですが、食料危機に対する危機感を感じているのはもちろん私だけではありません。一説によると100年後に人類が居住可能な陸地は温暖化による海水面の上昇などによって南極大陸の一部だけになるという予測もあるそうですし、そうなる前に温暖化のためにグリーンランドの最大のアイスシートが大西洋に溶け出せば、大西洋の暖流の北上を阻害し、相当な人口のあるヨーロッパ大陸全体が氷河期へ逆戻りしてしまいます。そうなると農作物を作る場所や条件は限られてきて、絶対的な食料不足になるのは間違いないでしょう。
Science誌で知ったのですが、そんな中で地方から都会への食物の輸送を減少し、都会生活者が都会での自給率をあげることを目的に、「垂直農場」と呼ばれるアイデアを実用化しようとする動きがあります。都会でのインドア農場は、スペースの制限があります。もっとも簡便なのは、屋上などのスペースに温室をつくることです。ニューヨーカーは年間100キロの野菜を食べるらしく、ニューヨークの屋上を全部使えば、その二倍の量の野菜を生産することが可能なのだそうです。実際にニューヨーク市では一部の学校の屋上に温室を作り、教育と食堂への供給の目的に野菜を育て始めています。その屋上菜園の発展型として、オフィスビルの二重ガラスを利用するというアイデアがあります。つまりビル全体を二重ガラスで作り、その隙間にベルトコンベアで移動できる水栽培の野菜を育てるというアイデアで、野菜がシェードの役割も果たすグリーンなオフィスというわけです。試算では、30階建てのビルを使えば、それだけで5万人の人が消費するに十分な野菜、果物、卵や肉をつくることができるらしいです。つまり日当りのよい上の方のフロアで野菜や果物をつくり、下の方のフロアで植物廃棄物を利用して鶏や魚を育てるというアイデアです。エネルギーは太陽熱や地熱を利用し、植物の肥料は、動物性廃物を利用するというリサイクルを行うことで、都会でも効率よく食物が自給できるようになる可能性があります。実際、オランダのロッテルダムでは、デルタパークという都会のビルでの垂直農場のアイデアがありました。これはかなり実現に向けて強い動きがあったのですが、食物生産が余りに「工場的」であるとの批判を受けて頓挫しました。私も自然の恵みとしての食物が、都会で工場的に生産されることに抵抗を覚えます。東洋人は、生きとし生けるものは皆、同様に命をもっていて、その命をいただいて私たちの自身の生命を保っているという考え方を多かれ少なかれ持っていると思います。都会のビルで生まれて育てられる食物としての動植物には、人間が生命を都合の良いようにコントロールするという工学的な背景があって、どうも自然の恵みという感覚が希薄になってしまうような気がします。(単に程度の問題に過ぎないかも知れませんが)現在、もっとも大きな都会の垂直農場プロジェクトは上海近郊のDongtan Eco-cityの一部として行われているそうです。人口の大きい中国やその中国やその他の外国に食料を頼っている日本では将来の食料問題は重要課題だと思います。プロジェクトディレクターは、「これは、従来の農場で穫れたものが良いとかビルでの作物が悪いとかのレベルの問題ではなく、人類が生きるか死ぬかの問題である」と述べているそうです。その通りだとは思いますが、日本人の私には、醜く生き残るぐらいならばきれいに死んだ方がよいのではないかという演歌調の意識もないわけではないし、都会人のライフスタイルをどうしても捨てたくないと思っている人々の思考にも共感できません。発想の転換で、現代の第三次産業中心の経済システムを変えて、脱産業化するという手もあると思います。もう一回鎖国してみて、食物の値段を3倍ぐらいにあげたらどうでしょうか。
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