「自分では語らない、理論に語らせる」という南部陽一郎博士の名言を、大学院で研究を始めた頃に知って、シビれました。ニヒルな正義の味方みたいではないですか。若い私が目指していたカッコいい研究者のイメージがこの一言で形成されたといっても過言ではありません。ナイーブな若者であった私は「そんな水戸黄門の印籠のような発見をしてみたいものだ」と思いました。結局、だんだんと理論物理と生物学というのは、同じ科学とはいいながら全く異なるものであるということがさすがの私もわかってきて、生物学では、自分で語らなければ誰も聞いてくれないこと、一生懸命語ってもしばしばやっぱり誰も聞いてくれないこと、聞いてくれてもすぐ忘れられてしまうこと、が身にしみて分かって来ました。結果、ニヒルな正義の味方タイプの生物学研究者というのは架空のヒーローにしか過ぎないことに気がつき、それを目指すのは全く現実的でないことを知りました。生物学研究者というものは、「ニヒルなヒーロー」ではなく、「愛想の良いセールスマン」を目指さねばならないことがわかったときには、進路の変更には手遅れでした。
その南部陽一郎博士が他の二人の日本人物理学者と共に、今年のノーベル物理学賞を受賞されたので、それで私は初めて南部洋一郎博士がどんな人なのか、テレビを通じて知ったのでした。ご本人は、ナイーブな若者を惑わせるような名言を残されたことさえ、あるいは覚えておられないかも知れません。私があの言葉を知ることがなければ、私はもっと平凡で幸せな道を歩んだかも知れません。決して繰り言を言う訳ではありませんが、非凡な天才の一言というのはそれほど、影響力があるのだと思います。出身地の福井の様子をテレビで見ると、早速、高校生の男の子が、「将来は物理学に進んでノーベル賞を目指したい」と話していました。昔の私を思い出します。
ともかく、日本の科学界にとって、このノーベル賞のニュースは喜ばしいことです。若い人に夢を与えてくれます。ノーベル賞受賞者のちょっとした台詞一つで人々の科学研究に対するイメージを大きく変えることも可能だと思います。今回の受賞者の先生には、ご自身が、若い世代を刺激し、社会の科学研究への理解を促進するもっとも効果的なアドボケーションであることを積極的に利用して、日本、世界の科学界の発展を支えていただけたらと思います。
今回は、「自分では語らない、ノーベル賞に語らせる」といったところでしょうか。出来の悪いセールスマンの私は、それでもやはり、ニヒルなヒーローに憧れるのでした。
ここまで書いたところで、ノーベル化学賞がGFP発見の下村博士に授与されることを知りました。下村博士の場合だと、「自分では光らない、GFPに光らせる」という感じでしょうか。ウーン、これもシビれます。(失礼ながら、テレビで拝見した下村博士は、ご自身も頭部付近が多少光っておられました)
その南部陽一郎博士が他の二人の日本人物理学者と共に、今年のノーベル物理学賞を受賞されたので、それで私は初めて南部洋一郎博士がどんな人なのか、テレビを通じて知ったのでした。ご本人は、ナイーブな若者を惑わせるような名言を残されたことさえ、あるいは覚えておられないかも知れません。私があの言葉を知ることがなければ、私はもっと平凡で幸せな道を歩んだかも知れません。決して繰り言を言う訳ではありませんが、非凡な天才の一言というのはそれほど、影響力があるのだと思います。出身地の福井の様子をテレビで見ると、早速、高校生の男の子が、「将来は物理学に進んでノーベル賞を目指したい」と話していました。昔の私を思い出します。
ともかく、日本の科学界にとって、このノーベル賞のニュースは喜ばしいことです。若い人に夢を与えてくれます。ノーベル賞受賞者のちょっとした台詞一つで人々の科学研究に対するイメージを大きく変えることも可能だと思います。今回の受賞者の先生には、ご自身が、若い世代を刺激し、社会の科学研究への理解を促進するもっとも効果的なアドボケーションであることを積極的に利用して、日本、世界の科学界の発展を支えていただけたらと思います。
今回は、「自分では語らない、ノーベル賞に語らせる」といったところでしょうか。出来の悪いセールスマンの私は、それでもやはり、ニヒルなヒーローに憧れるのでした。
ここまで書いたところで、ノーベル化学賞がGFP発見の下村博士に授与されることを知りました。下村博士の場合だと、「自分では光らない、GFPに光らせる」という感じでしょうか。ウーン、これもシビれます。(失礼ながら、テレビで拝見した下村博士は、ご自身も頭部付近が多少光っておられました)