元アメリカ副大統領で、8年前のアメリカ大統領候補のアルゴアは、以前から地球温暖化に警笛を鳴らしてきました。その長年の活動が認められ、昨年は、その教育ドキュメンタリー映画、「The inconvenient truth」でアカデミー賞を受賞、さらにノーベル平和賞を授与されました。彼の地球温暖化、環境問題に対する興味は、40年前にハーバードの学生であったころからのもので、在学中、Roger Revelleの地球気候の変化についてのコースを取ったのがきっかけのようです。昨日、ゴアはハーバードヤードで開かれた大学の環境保護活動の一環としての講演会に現れ、ハーバード総長のDrew Faustの約15分間のゴアの紹介を含む講演に引き続いて、約30分間の講演を行いました。ハーバードは数年前から、環境にやさしい大学を目指してキャンペーンを続けています。このゴアの講演会には多数の大学関係者ならびに一般の人が集まりました。研究の世界では余程のスーパースターでも講演会にこれほどの集客力はありませんから、ゴアのネームバリューというのは大したものです。会場では、寒い曇り空の下、ところどころにキャンペーンキャッチ「Green is the new Crimson」が書かれたバナーが下げられていました。濃い紅色(Crimson)はハーバードのスクールカラーであり、ハーバード大学そのものをさしています。このキャッチフレーズは、つまり、ハーバード(crimson)は今はエコフレンドリー(Green)だという意味です。講演はハーバードの校舎が取り囲む中庭で行われ、講演に先立って地元で取れたカボチャを使ったビスクととアップルサイダーが振舞われましたが、それには大量の使い捨て容器が使用されました。
ゴアの講演そのものは、とくに目新しい内容はありませんでしたが、「ガリレオが地動説を唱えたころは誰も認めなかったが、いまや真実として受け入れられている。同様に地球の温暖化が人の化石燃料の燃焼などによる人為的なものであるという考え方も最初は誰も認めなかったが、現在では受け入れられてきている」とゴアが語ったとおり 、長年、地道にあきらめずに継続してきた彼の活動が認められるためには、繰り返し同じことを訴え続ける必要があったのだなと思いました。地球温暖化は加速しつつあり、それを食い止めるためには、一人一人が協力して、皆で努力しなければならないと言うことを説きました。その時にゴアが紹介したアフリカの諺が印象に残りました。「早く行きたいなら、ただ一人で行くがよい、しかし遠くまで行こうとすれば、皆で行かねばならない」。この言葉は、様々な活動において真実だと思います。研究、教育、社会、経済などなど、そうした活動で個人ができることは限られています。とりわけ環境や社会の問題など、全員が同じ方向に向かなければ効果が上がらない問題については、ゴア言うように個人の活動に加え、より多くの人の意識の変化と協力が不可欠であるのは明らかです。ノーベル賞、アカデミー賞、エミー賞などの受賞によって、彼の発言の重みも随分増し、環境問題に対する一般人の意識は随分上がってきたとは思いますが、環境の悪化に対して彼はかなりの危機感を持っているようです。「(石油の代替となるクリーンエネルギーの開発、人口の調節、ライフスタイルの変更など、困難な問題を解決するために)われわれは皆で遠くにいく必要がある」と皆の協力を呼びかけましたが、一方では現在の状況は緊急を要するものであり、「遠くへ、しかも早く行かねばならない」と述べました。また一方で、近視的、利己主義的な金融機関の暴走が招いた現在の金融危機を例にあげて、目先の利益のために「不都合な真実」を隠したり、折り曲げたりする 人間の利己主義、刹那主義的行動を強く批判しました。
子供のころから「もったいない」という言葉を常々、聞かされて育ってきた私は、高度成長期時代の「消費は美徳」やバブルのころの「もったいないは、貧乏くさい」というような考えに随分嫌なものを感じていました。現在、「環境維持性」の意味で、アメリカでよく使われる「sustainability」という言葉は、つきつめれば「もったいない」精神に行き着くのではないかと思います。以前のアメリカでは「節約」するのは、その分をどこかでドンと使うためでありました。しかし、最近、エネルギーや消費を節約するのは、無駄なものを節約することによって環境への悪影響を減らすためである、つまり、無駄なことやもので環境を悪くしては「もったいない」というような意識が広がってきたように思います。アメリカの環境問題への対処に欠けているものは、実は、この「もったいない」という言葉ではないかとも思います。もし「もったいない」という言葉が英語にあったのなら、人々の環境問題への意識の改革はもっと容易に進んでいたのかも知れません。
追記。
インターネットで検索してみたら、「Sustainabilityは、即ち、もったいないである」という趣旨のことを述べておられる人が多数あることを知りました。中でも、http://www.ewoman.co.jp/winwin/40ej/ での環境ジャーナリストの枝廣 淳子さんの対談記事がよかったです。
ゴアの講演そのものは、とくに目新しい内容はありませんでしたが、「ガリレオが地動説を唱えたころは誰も認めなかったが、いまや真実として受け入れられている。同様に地球の温暖化が人の化石燃料の燃焼などによる人為的なものであるという考え方も最初は誰も認めなかったが、現在では受け入れられてきている」とゴアが語ったとおり 、長年、地道にあきらめずに継続してきた彼の活動が認められるためには、繰り返し同じことを訴え続ける必要があったのだなと思いました。地球温暖化は加速しつつあり、それを食い止めるためには、一人一人が協力して、皆で努力しなければならないと言うことを説きました。その時にゴアが紹介したアフリカの諺が印象に残りました。「早く行きたいなら、ただ一人で行くがよい、しかし遠くまで行こうとすれば、皆で行かねばならない」。この言葉は、様々な活動において真実だと思います。研究、教育、社会、経済などなど、そうした活動で個人ができることは限られています。とりわけ環境や社会の問題など、全員が同じ方向に向かなければ効果が上がらない問題については、ゴア言うように個人の活動に加え、より多くの人の意識の変化と協力が不可欠であるのは明らかです。ノーベル賞、アカデミー賞、エミー賞などの受賞によって、彼の発言の重みも随分増し、環境問題に対する一般人の意識は随分上がってきたとは思いますが、環境の悪化に対して彼はかなりの危機感を持っているようです。「(石油の代替となるクリーンエネルギーの開発、人口の調節、ライフスタイルの変更など、困難な問題を解決するために)われわれは皆で遠くにいく必要がある」と皆の協力を呼びかけましたが、一方では現在の状況は緊急を要するものであり、「遠くへ、しかも早く行かねばならない」と述べました。また一方で、近視的、利己主義的な金融機関の暴走が招いた現在の金融危機を例にあげて、目先の利益のために「不都合な真実」を隠したり、折り曲げたりする 人間の利己主義、刹那主義的行動を強く批判しました。
子供のころから「もったいない」という言葉を常々、聞かされて育ってきた私は、高度成長期時代の「消費は美徳」やバブルのころの「もったいないは、貧乏くさい」というような考えに随分嫌なものを感じていました。現在、「環境維持性」の意味で、アメリカでよく使われる「sustainability」という言葉は、つきつめれば「もったいない」精神に行き着くのではないかと思います。以前のアメリカでは「節約」するのは、その分をどこかでドンと使うためでありました。しかし、最近、エネルギーや消費を節約するのは、無駄なものを節約することによって環境への悪影響を減らすためである、つまり、無駄なことやもので環境を悪くしては「もったいない」というような意識が広がってきたように思います。アメリカの環境問題への対処に欠けているものは、実は、この「もったいない」という言葉ではないかとも思います。もし「もったいない」という言葉が英語にあったのなら、人々の環境問題への意識の改革はもっと容易に進んでいたのかも知れません。
追記。
インターネットで検索してみたら、「Sustainabilityは、即ち、もったいないである」という趣旨のことを述べておられる人が多数あることを知りました。中でも、http://www.ewoman.co.jp/winwin/40ej/ での環境ジャーナリストの枝廣 淳子さんの対談記事がよかったです。