百醜千拙草

何とかやっています

旧友交歓、階前の梧葉すでに秋声

2008-10-07 | Weblog
昨日、久しぶりに昔の仲間にあって、積もる話をしみじみとして、楽しいひと時を過ごさせてもらいました。昔、もう二十年も前の社会に出たばかりの若かった頃に毎日顔を合わせて、将来への夢に胸ふくらませながら、共に研修した友人は、今は二人とも偉くなって、社会を支える重責を負う立場となっています。なのに、久しぶりに会ってしゃべってみると、ペーペーの研修医の頃と全然、変わっていませんでした。翻って、自分自身の二十年という月日を振り返ってみると、光陰矢の如しと嘆息するするばかりです。未だにフラフラとポスドク気分でその日その日を送っている私には、彼らの活躍ぶりは眩しいばかりです。そんな私に昔の仲間として、わざわざ忙しい時間を割いてくれて、変わらない友情で接してくれた彼らの好意がつくづくうれしく感じられて、涙と鼻水が出てきました。T先生、S先生、本当にありがとう。
 若いときは、いい仕事をして社会に貢献し、十年後には立派な仕事を成し遂げるのだという心意気に燃えていました。しかし、実際は現実の厳しさを思い知ることばかりで、大幅な目標修正の挙げ句に、毎日ちいさなことからコツコツやれば、死ぬまでには結ぶ実もあるであろう、と遅々たる歩みを繰り返す日々です。少年老いやすく学なり難しの句を噛みしめるばかりです。二十年前であれば、現在の自分を見れば、きっととても情けなく思うことでしょう。でも、月日が経って、雨風にさらされて多少角もとれて、「まあ、しょうがないか」と思えるようになりました。人生を生きることは、即ち、それを肯定することですから、どんな嫌なことがあっても全てを受入れていくことしか人間にはできないのだ、できることは自分のベストを尽くす努力をすることしかないのだ、と開き直った今では、藤村操や太宰治の苦しみを知ることなく、普通に家庭を持って、フラフラしながらも、それなりに生きてこられたことが幸せであったと思うのです。昨日の二人の友人も、私と同じように、苦労しながらもいままで生き抜いて来た、とそんな気持ちを共有することができたような気がします。手を振って別れた彼らの笑顔は永く忘れないことでしょう。
 今回は父の法事で帰郷したのですが、父の二十五回忌に集まってくれた父の兄弟や親類の人は、この二十五年の間に、皆がそれぞれ大病の一つ、二つを経験しています。その話を横で聞いていると、自分も知らぬ間に年をとって人生の半分以上が終わったしまっているのだということを思い出して、突然、人生には限りがあるという事実とこれまで他人事のようにしか思っていなかった「年をとって、老い、病気になって死んでいくこと」がどういうことなのか、そしてそれが自分自身に起こっているのだということをつくづく実感したのでした。
帰ったら、生命保険を掛け始めようと思います。
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