老若男女を問わず、日本には多くの習い事のための教室があります。実用的なものから文化的な活動、さまざまです。習い事に通う人や子供を習い事に通わせる人は、何事かを身につける、つけさせるという目的の他に、習い事をすることそのものの楽しみ、習い事を通じた社交活動、時間つぶし、そんな様々なことが副次的な目的としてあるのだろうと思います。私は、こうした課外活動が日本で盛んであるのは、社会的、文化的活動という点でも、経済活動という点でも、好ましいことだと思います。子供の塾通いにしても、子供は学校外の社交活動の一つとして参加し、楽しんでいる面もあると思います。私自身、子供のころに通った塾での経験は楽しいものでした。好奇心が強く勉強好きの日本人にとって習い事に時間とお金をつかうことは悪いことではないと思います。しかし、数々の習い事の中でも気に入らないのもあって、その筆頭は英会話教室です。純粋に他の国の文化を知る手段として外国語を習うことは悪いことではないと思います。ただ、英会話教室というのは、英語でしか意思疎通が困難な人と会話をできるようにするという目的が建前としてあると思います。ですので、他の習い事と違って、英語でしか意思疎通できない人という対象がいて、その人と会話をする機会がなければ、その習い事の成果は役に立ちません。そのような機会はそれ程多いとは思えません。過去を振り返ってみても、英語会話が役にたったことはほんの数回で、むしろ、切実に意思疎通が必要であった外国人は英語も日本語もどちらもわからなかったことの方が圧倒的に多いです。ビジネスで外国人との交渉が必要である人であっても、交渉においては、英語などしゃべれない方が有利に物事が進むこともあるのではないかと思います。しゃべれなくとも筆談であれば、日本人は英語の能力は通常高いわけですし。英会話教室の英語が実用に役に立つこともまれにあるかも知れませんが、私には、英会話教室というのはスキー場のない所でスキーの滑り方を教えるようなもののような気がするのです。にもかかわらず、英会話教室のビジネスがやっていけるのは、二つの理由があるのではないかと思いつきます。一つは第二次世界大戦敗戦後のアメリカの日本洗脳政策で、日本人に叩きこまれたアメリカ文化の優位性が戦後六十年たったいまでも残っていること、もう一つはやはり、アメリカ追従で甘い汁を吸い続けてきた日本の政官財が、アメリカによる経済支配を促進するため、経済のグローバリゼーションを、文化的側面にまで拡大してきたことではないかと思います。そのため、日本の「国際化」、その実体はアメリカの植民地化、は良いことであるとの信仰に近いコンセンサスが官民に広がっているのだと思います。国際化とは何か、その定義は人の立場によって異なると思うのです。アメリカ追従で経済的な優遇をうける政官財は、国民の税金をうまくアメリカに流れるように操作して、その見返りをもらうことが、国際化でしょう。一方、一般日本人にとっては、逆に、アメリカや諸外国と対等な立場で文化的、経済的な交流が行われるなることが国際化であろうと思っていると思います。後者を真の国際化と呼ぶとすると、その国際化を促進する上で、英会話力というのは、殆ど重要でないと思うのです。国際化と英語を結びつけたがる政官財は、日本のアメリカの植民地化を促進し、自らの利益を増加させるのに、言語教育が都合がよいから、それを宣伝するのではないかと、私は考えています。ちょうど、戦時中に日本がフィリピンなどで日本語を教えたようなものではないでしょうか。ドーデの「最後の授業」で描かれているように、言語は国の文化そのものだと思います。日本の政府の考える「国際化」という名のアメリカ植民地化にとって、英語教育は都合の良い洗脳手段なのであろうと思います。アメリカが世界経済の中心にいる限り、学問、ビジネスで英語を使うのは必要ではありますが、そういう目的の英語は簡単なものですから、現在行われているように、それに備えて小学生から英語教育をする必要は全くないと言えます。むしろ、頭の若いときに必要もない英語教育をするというのは百害あって一利無しであると言えるでしょう。(続く)
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