百醜千拙草

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レヴィ-ストロースと「知」の時代

2009-11-06 | Weblog
先日、レヴィ-ストロースが死去したことを内田樹の研究室で知りました。100歳だそうです。ちょっと驚きました。なんとなく、とっくに亡くなった人だろうと思っていましたし、それに、ちょうど今、彼の本を読んでいたところだったからです。
  私の大学院のころは、いわゆるポストモダンブームが去っていったころでした。ポストモダンが余りにもてはやされたので、ファジーとかニューロとかのように、ポストモダン掃除機とかがそのうち発売されるだろう、と冗談のネタになったほどでした。当時、若かった私は実験科学の方法論に疑問を持っていたこともあって、科学哲学的な話にも興味をもって、その関係で言語学、構造主義の入門書もちょっと読んだりして、それで、レヴィ-ストロースを知りました。レヴィ-ストロースは、私よりもう一世代上の年代のインテリの人なら知らない人はいないでしょう。民族学者ですが、構造主義の巨人です。ちょうど今、私が読んでいる本は、1955年に発表されたブラジルの紀行記、「悲しき熱帯 (Tristes Tropiques)」で、この上下ニ巻の本は、日本では、1977年に川田順造の翻訳で中央公論から各巻、1500円で発売されました。この本の第三刷版を私は大学院時代の友人から借りたまま、この15年以上も読まずに放っておいたのでした。この本はその友人が引っ越していって、私も数度の引っ越しをした後もどういう訳か私の本棚の中に鎮座していて、ようやく先日、ふと思い立ってページを開けて、読み始めたのでした。
 この本の出版に先駆けて川田順造がレヴィ-ストロース本人へのインタビューをしたときに撮影された本人の写真が巻頭に添えてあって、写真では既に初老のレヴィ-ストロースが気難しそうに眉間にしわを寄せてポーズをとっています。このベストセラーの本が日本で22年の後にようやく発売されることになったということでの戸惑いを隠しているかのような表情です。そしてそれから32年が経って、私がようやくこの本を読み始めた時になって、レヴィ-ストロースはこの世を去っていきました。
 この本は基本的に紀行記であって、余り哲学くさいところはありませんし、レヴィ-ストロース自身が言うように30年代の彼のブラジル滞在を彼は楽しいものとは捉えていなかったせいか(そのために、この本は紀行が終わって15年もしてから書かれました)、その客観的、やや批判的で平坦な記述が、かえって読者の興味を引きます。(といっても、私はまだ半分ぐらいまでしか読んでいませんけど) この日本語版のために、レヴィ-ストロースは短い序文を書いていて、子供の時に、父がくれた「広重」の浮世絵がきっかけで随分日本の美術に興味を持っていたこと、その日本へのあこがれのイメージが壊れるのが恐くて、この本の発売時点では、まだ日本に実際に来たことがないことを述べています。半分は日本の読者に対するリップサービスでしょうが、イメージが壊れるのが恐くて日本に来なかったというのは(彼はそもそも民族学者ですから)あるいは、本当なのではないか、と想像したりするのです。「悲しき熱帯」というタイトルにも、ブラジルの未開の種族の中に、すでに西洋文明が忍び込んでしまっていたことに対するレヴィ-ストロースの失望感が表されているのではないかと私は思います。悲しいのは熱帯ではなく、南米の未知の世界に対する期待を裏切られたレヴィ-ストロース本人であって、その心情が逆に対象に投影されているのです。同様に、もし広重のイメージを期待して日本を訪れていたとしたら、彼はおそらく随分失望したことでしょう。あるいは、それをネタにもう一冊本を書いていたかもしれません。
 実存主義も構造主義もポストモダンも、今、振り返れば、まるで何かの熱病であったかのような気がします。ベルボトムジーンズやアフロヘアのインテリ版のようなものだったのでしょうか。野坂昭如が「ソ、ソ、ソクラテスか、プラトンか、ニ、ニ、ニーチェかサルトルか、、、」と歌うウイスキーのコマーシャルを思い出します。
 あの頃に「知」と呼ばれた思想家たちは、確かに「知」とはなにかについて考え、何らかの結論に達して、そして「終わってしまった」、そんな感じがします。ポストモダンブームが去って数十年が経ち、サルトルもフーコーもラカンもメルロポンティもこの世を去って久しい、そんな祭の後のような寂しさの中、線香花火の最後の火玉がぽとりと落ちて静寂の闇が訪れるように、巨人が去って行きました。レヴィ-ストロースの死を聞いて、一時代が終わったのだという感じを、あの頃を知っている人は皆、抱いたのではないでしょうか。近代の「知」の祭の終わりを象徴しているようですね。   
 因みにレヴィ-ストロースとアメリカのジーパン会社、Levi-Straussの創設者とは、冗談ではなく、本当に血の繋がりがあるそうです。
コメント
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