森繁久彌さん死去のニュース。森繁久彌さんと言えば、「屋根の上のバイオリン弾き」。奇しくも、映画版で主役を演じていたTopolもついに引退するらしく、現在、約10ヶ月に渡る「屋根の上のバイオリン弾き」さよなら公演をアメリカ各地で行っています。現在74歳だそうで、森繁さんよりも20歳も若いというのは、驚きでした。屋根の上のバイオリン弾きはもともとはブロードウェーミュージカルで、初演は1964年だそうです。Topolは67年にロンドンの舞台でテヴィエ役を演じ、1971年の映画版はアカデミー賞3部門を受賞したとあります。劇も音楽も、大変良く出来たミュージカルだと私は思います。名作ですね。
篠山紀信さん、公然わいせつ罪容疑で家宅捜索とのニュース。東京都内の公的な場所で、ヌード写真を撮ったのを問題とされたようです。中には青山霊園で満月の夜に墓石の前でのヌードというシャレた趣向のものもありました。これに対して、霊園と墓石の持ち主は、無断で撮影に使われた上、墓石にヌードの若い女の子が絡んだ写真を見て、激怒。その気持ちもわかります。しかし、この写真集の存在を知らなければ、誰も何も文句をいう人はいなかったのです。後から墓場でヌード撮影されたことを知って、関係者の気持ちが激しく害されたということです。激怒する気持ちはわかりますが、そもそも写真集を見るまで、知らぬが仏だった訳ですし、済んでしまったこととして、大目にみてやっても良いのではないかと思うのですけど。前にも述べましたが、木仏を焼いて暖をとったというお坊さんの話もあることですし。墓場でヌードというのも亡くなった人への供養ということにしておくわけにはいきませんでしょうか。
そもそも、芸術はアナーキーなものですし、それこそが人が芸術にそ求めるものであって、そうでなければ、芸術作品は単なる民芸品に過ぎないと私は思っております。墓場でヌードは、関係者の激怒を買ったという時点で、すでに芸術であります。ヌードという生々しい「生」と、「死」の象徴とも言える墓地、その取り合わせだからこそ、生まれる何かもあろう、というものです。私はヌード鑑賞の趣味を持ち合わせませんし、他人を激怒させても芸術を追求したいとも思いませんから、個人的にはどちらでもよいのですけど、墓場でヌード写真を撮るような人が日本にいることは、日本にとって幸せなことであろうと私は思います。少なくとも、墓場を荒らして金品を盗むよりは、はるかにましでしょう。篠山さん以外に墓場でヌード写真を撮ろうと考えるような写真家はどれくらいいるでしょうか。アイデアを考えつく人はそこそこいるかも知れませんけど、実行する人はこの人以外にはいないかも知れません。普通の人だったら、墓場でヌードというのは、自分の先祖の墓場でヌード撮影が行わた時のことを想像したら、実行には二の足を踏むでしょう 。しかし、そんなことを承知の上で、でも、表現欲を抑えられずにやってしまう、そんなアブナイ人が多少は必要であると思いますし、そして、篠山さんのような人がいる社会は豊かであると私、思います。こういう人は一種の「特権階級」なわけで、警視庁も社会も、無粋なことを言わず、「しょうがないねー」と言いながらコッソリ見過ごしてあげるような鷹揚さが大切だと私は思います。
ネットで人々の反応を拾ってみると、半年以上も前に出版された本なのに、どうして今になってガサ入れするのか、という一般人の疑問、写真そのものは猥せつ罪に問われないのに、撮影方法を以て公然猥せつ罪というのは無理があるのではないかという法律専門家の意見、こんなことでイチイチ検挙されていたら写真など撮れないという写真家の意見もあって、私はちょっとホッとしました。多くの人々は冷静かつ包容力があります。このガサ入れは、覚せい剤で挙げられた芸能人のように、いつもの見せしめ目的の恣意的な捜査である可能性が高いと思います。自分が「法」だとでもいうような思い上がった警視庁の体質を示すものではないでしょうか。最近の警視庁、本当におかしいと思います。墓場でヌードよりもよっぽどたちが悪いです。
篠山氏、これにメゲずにこれからも日本のためにも頑張って下さい。
篠山紀信さん、公然わいせつ罪容疑で家宅捜索とのニュース。東京都内の公的な場所で、ヌード写真を撮ったのを問題とされたようです。中には青山霊園で満月の夜に墓石の前でのヌードというシャレた趣向のものもありました。これに対して、霊園と墓石の持ち主は、無断で撮影に使われた上、墓石にヌードの若い女の子が絡んだ写真を見て、激怒。その気持ちもわかります。しかし、この写真集の存在を知らなければ、誰も何も文句をいう人はいなかったのです。後から墓場でヌード撮影されたことを知って、関係者の気持ちが激しく害されたということです。激怒する気持ちはわかりますが、そもそも写真集を見るまで、知らぬが仏だった訳ですし、済んでしまったこととして、大目にみてやっても良いのではないかと思うのですけど。前にも述べましたが、木仏を焼いて暖をとったというお坊さんの話もあることですし。墓場でヌードというのも亡くなった人への供養ということにしておくわけにはいきませんでしょうか。
そもそも、芸術はアナーキーなものですし、それこそが人が芸術にそ求めるものであって、そうでなければ、芸術作品は単なる民芸品に過ぎないと私は思っております。墓場でヌードは、関係者の激怒を買ったという時点で、すでに芸術であります。ヌードという生々しい「生」と、「死」の象徴とも言える墓地、その取り合わせだからこそ、生まれる何かもあろう、というものです。私はヌード鑑賞の趣味を持ち合わせませんし、他人を激怒させても芸術を追求したいとも思いませんから、個人的にはどちらでもよいのですけど、墓場でヌード写真を撮るような人が日本にいることは、日本にとって幸せなことであろうと私は思います。少なくとも、墓場を荒らして金品を盗むよりは、はるかにましでしょう。篠山さん以外に墓場でヌード写真を撮ろうと考えるような写真家はどれくらいいるでしょうか。アイデアを考えつく人はそこそこいるかも知れませんけど、実行する人はこの人以外にはいないかも知れません。普通の人だったら、墓場でヌードというのは、自分の先祖の墓場でヌード撮影が行わた時のことを想像したら、実行には二の足を踏むでしょう 。しかし、そんなことを承知の上で、でも、表現欲を抑えられずにやってしまう、そんなアブナイ人が多少は必要であると思いますし、そして、篠山さんのような人がいる社会は豊かであると私、思います。こういう人は一種の「特権階級」なわけで、警視庁も社会も、無粋なことを言わず、「しょうがないねー」と言いながらコッソリ見過ごしてあげるような鷹揚さが大切だと私は思います。
ネットで人々の反応を拾ってみると、半年以上も前に出版された本なのに、どうして今になってガサ入れするのか、という一般人の疑問、写真そのものは猥せつ罪に問われないのに、撮影方法を以て公然猥せつ罪というのは無理があるのではないかという法律専門家の意見、こんなことでイチイチ検挙されていたら写真など撮れないという写真家の意見もあって、私はちょっとホッとしました。多くの人々は冷静かつ包容力があります。このガサ入れは、覚せい剤で挙げられた芸能人のように、いつもの見せしめ目的の恣意的な捜査である可能性が高いと思います。自分が「法」だとでもいうような思い上がった警視庁の体質を示すものではないでしょうか。最近の警視庁、本当におかしいと思います。墓場でヌードよりもよっぽどたちが悪いです。
篠山氏、これにメゲずにこれからも日本のためにも頑張って下さい。