1/25/10、Nierenberg死去。RNAの三つの核酸の組み合わせが、アミノ酸を決定しますが、その対応を最初に発見しました。
生化学者で、in vitroでの蛋白合成系を確立し、それを用いて有名なpoly-U実験を行いました。Uridineの連続するRNAを蛋白合成系に入れるとフェニルアラニンの鎖ができることを発見し、UUUがphenylalaninをコードすることを明らかにしたのが、1961年でした。当時の遺伝学業界では、未だに遺伝子は蛋白かDNAかというような議論もあったぐらいです。遺伝子暗号解読が50年も前に始まっていたというのは驚きです。この50年、長いような短いような、すごく進歩したような、そうでもないような、不思議な気持ちにさせられます。Neirenbergのように生命科学の中心にいて、その進歩と一緒に生きて来た人は、この50年をどう考えたのか興味があります。因みに、Nature追悼文はHarvard MecialのPhil Lederが書いていました。
京大iPS細胞研究所所長に山中教授就任とのニュース。4部門18グループ、人員は120人だそうで、オープンラボ方式で研究者間の交流を密にし、研究スピードを加速させるのだそうです。
この組織は多分、臨床応用を目標とした工学的な研究所になるでしょうから、皆で集まってトップダウンでやっていってもそれなりにうまく行くのかも知れません。しかし、引くに引けない立場に祭り上げられたようにみえる山中さんの心中は果たしてどうなのでしょう。察するに穏やかではないものがあるのではないでしょうか。世間の期待は必要以上に大きく、本来、基礎研究者である山中さんにとっては、それをかなり重荷に感じているのではないかと想像するのです。実際の所、iPS臨床応用の勝算をどれくらいと見積もっているのか本音の所を聞いてみたいと思います。私には、iPSの将来が(臨床応用という観点からは)それほど明るいものには見えないのですけど。
研究者は研究資金のあるところに引き寄せられますから、iPS研究所には勝算はなくとも集まってくる人々はいるでしょう。そういう人々は成功しなければ別の所に去っていくわけですが、所長となってしまえば話は別と思います。山中さんの場合、うまくいかなかった場合に、新しい所長を見つけて辞任して責任を取るということは難しいでしょう。多分、研究が期待ほど進まなければ、研究所は閉鎖になって別の組織に変わるのでしょうけど、山中さんは最後の最後まで運命を共にすることになると思います。
思うに、研究者であれば、誰も好き好んで研究所の所長などやりたくないと思います。周囲が必要以上に興奮して先走ったのではないでしょうか。口説き文句にのせられて、軽い気持ちで山中さんは(多分研究費につられて)つい「ウン」と言ってしまっただけなのに、言質を取られ、神輿にのせられて、突っ走らなければならなくなったのではないか、そんなように思います。
研究室を主宰し子分を抱えた身となれば、運営資金確保が第一の関心事であるはずです。政治の世界同様、秘書や書生を沢山抱える小沢さんのように、とにかくまず、研究者を喰わせて働いてもらわねばならないわけで、研究は(政治も)先立つものがなければ成り立ちません。所長就任と引き換えに、そこへ巨額の研究費を目の前に積まれたら、誰でも反射的に手が出るというものです。これはよくも悪くも子分を養って行かねばならない日本の研究室の宿命とも言えます。そういう点で、ノーベル賞をもらったあとも、数々の研究管理職のオファーを蹴って、生涯、一研究員を全うしたフランシスクリックは、幸せだったとも言えます。そういうしがらみなく、自分の興味のままに研究を続けることは、日本では(世界中どこでもある程度そうですが)困難でしょう。
もう一つの興味は、この研究室に集まる研究者が、どういうつもりでその研究所にやってくるのか、という点です。グループ長もポスドクもハイインパクト論文を出して、更に上のポジションを目指そうとするわけでしょう。とくに少ない正式ポジションを奪いあうことになるポスドクの人にとっては、同僚は皆、少なからぬ利害相反のあるライバルでもあります。オープンラボにしたからといって、研究の交流がそう簡単に促進されるものではありませんし、研究スピードも加速することもまず見込めないでしょう。iPSがそうであったように、ブレークスルーは小さな要の場所に起こります。それは線形的に研究者の数を増やしたからといって生まれるものではなく、ある時、ある場所で、突然おこるものではないでしょうか。一人の赤ん坊が誕生するのには、産婦人科医が何百人いても十ヶ月はかかるのです。数を増やせば研究の質が必ずしも上がるというものではないでしょう。iPSの臨床応用を目指した研究が、京大という場所で120人程度の人間で力任せにやっても成功するとはちょっと思えません。その類いの研究は企業が本腰を入れる気になれば、その何十倍もの規模でやるはずで、そうなると大学付属の研究所に勝ち目はないでしょう。
大学の研究室では大学研究に向いた研究、もっと先鋭的で小規模の研究、をやるべきではないのかと思います。iPS研究所のようなどちらかと言えば工学的、トップダウン式の研究所で、比較的目標がはっきりしている場所では、各研究員がユニークな業績をあげることが、より難しくなるような気がします。業績が出なければ職もないというのが、限られた資金を奪い合う競争社会である研究者の宿命です。
一つの目標をめざして「皆でやろうぜ」と和気あいあいと研究が進んで全員が成功すればよいのですけど、そんなことは現実にはありえません(同じ研究所の研究者同士ライバルなワケですし)。アカデミアでは誰かが浮かべば誰かが沈まねばならないワケで、大学付属の研究所でこのようなフォーカスした研究施設が長期的にランするのか、と私は人ごとながら少し心配です。
生化学者で、in vitroでの蛋白合成系を確立し、それを用いて有名なpoly-U実験を行いました。Uridineの連続するRNAを蛋白合成系に入れるとフェニルアラニンの鎖ができることを発見し、UUUがphenylalaninをコードすることを明らかにしたのが、1961年でした。当時の遺伝学業界では、未だに遺伝子は蛋白かDNAかというような議論もあったぐらいです。遺伝子暗号解読が50年も前に始まっていたというのは驚きです。この50年、長いような短いような、すごく進歩したような、そうでもないような、不思議な気持ちにさせられます。Neirenbergのように生命科学の中心にいて、その進歩と一緒に生きて来た人は、この50年をどう考えたのか興味があります。因みに、Nature追悼文はHarvard MecialのPhil Lederが書いていました。
京大iPS細胞研究所所長に山中教授就任とのニュース。4部門18グループ、人員は120人だそうで、オープンラボ方式で研究者間の交流を密にし、研究スピードを加速させるのだそうです。
この組織は多分、臨床応用を目標とした工学的な研究所になるでしょうから、皆で集まってトップダウンでやっていってもそれなりにうまく行くのかも知れません。しかし、引くに引けない立場に祭り上げられたようにみえる山中さんの心中は果たしてどうなのでしょう。察するに穏やかではないものがあるのではないでしょうか。世間の期待は必要以上に大きく、本来、基礎研究者である山中さんにとっては、それをかなり重荷に感じているのではないかと想像するのです。実際の所、iPS臨床応用の勝算をどれくらいと見積もっているのか本音の所を聞いてみたいと思います。私には、iPSの将来が(臨床応用という観点からは)それほど明るいものには見えないのですけど。
研究者は研究資金のあるところに引き寄せられますから、iPS研究所には勝算はなくとも集まってくる人々はいるでしょう。そういう人々は成功しなければ別の所に去っていくわけですが、所長となってしまえば話は別と思います。山中さんの場合、うまくいかなかった場合に、新しい所長を見つけて辞任して責任を取るということは難しいでしょう。多分、研究が期待ほど進まなければ、研究所は閉鎖になって別の組織に変わるのでしょうけど、山中さんは最後の最後まで運命を共にすることになると思います。
思うに、研究者であれば、誰も好き好んで研究所の所長などやりたくないと思います。周囲が必要以上に興奮して先走ったのではないでしょうか。口説き文句にのせられて、軽い気持ちで山中さんは(多分研究費につられて)つい「ウン」と言ってしまっただけなのに、言質を取られ、神輿にのせられて、突っ走らなければならなくなったのではないか、そんなように思います。
研究室を主宰し子分を抱えた身となれば、運営資金確保が第一の関心事であるはずです。政治の世界同様、秘書や書生を沢山抱える小沢さんのように、とにかくまず、研究者を喰わせて働いてもらわねばならないわけで、研究は(政治も)先立つものがなければ成り立ちません。所長就任と引き換えに、そこへ巨額の研究費を目の前に積まれたら、誰でも反射的に手が出るというものです。これはよくも悪くも子分を養って行かねばならない日本の研究室の宿命とも言えます。そういう点で、ノーベル賞をもらったあとも、数々の研究管理職のオファーを蹴って、生涯、一研究員を全うしたフランシスクリックは、幸せだったとも言えます。そういうしがらみなく、自分の興味のままに研究を続けることは、日本では(世界中どこでもある程度そうですが)困難でしょう。
もう一つの興味は、この研究室に集まる研究者が、どういうつもりでその研究所にやってくるのか、という点です。グループ長もポスドクもハイインパクト論文を出して、更に上のポジションを目指そうとするわけでしょう。とくに少ない正式ポジションを奪いあうことになるポスドクの人にとっては、同僚は皆、少なからぬ利害相反のあるライバルでもあります。オープンラボにしたからといって、研究の交流がそう簡単に促進されるものではありませんし、研究スピードも加速することもまず見込めないでしょう。iPSがそうであったように、ブレークスルーは小さな要の場所に起こります。それは線形的に研究者の数を増やしたからといって生まれるものではなく、ある時、ある場所で、突然おこるものではないでしょうか。一人の赤ん坊が誕生するのには、産婦人科医が何百人いても十ヶ月はかかるのです。数を増やせば研究の質が必ずしも上がるというものではないでしょう。iPSの臨床応用を目指した研究が、京大という場所で120人程度の人間で力任せにやっても成功するとはちょっと思えません。その類いの研究は企業が本腰を入れる気になれば、その何十倍もの規模でやるはずで、そうなると大学付属の研究所に勝ち目はないでしょう。
大学の研究室では大学研究に向いた研究、もっと先鋭的で小規模の研究、をやるべきではないのかと思います。iPS研究所のようなどちらかと言えば工学的、トップダウン式の研究所で、比較的目標がはっきりしている場所では、各研究員がユニークな業績をあげることが、より難しくなるような気がします。業績が出なければ職もないというのが、限られた資金を奪い合う競争社会である研究者の宿命です。
一つの目標をめざして「皆でやろうぜ」と和気あいあいと研究が進んで全員が成功すればよいのですけど、そんなことは現実にはありえません(同じ研究所の研究者同士ライバルなワケですし)。アカデミアでは誰かが浮かべば誰かが沈まねばならないワケで、大学付属の研究所でこのようなフォーカスした研究施設が長期的にランするのか、と私は人ごとながら少し心配です。