百醜千拙草

何とかやっています

アカデミー賞監督賞を勘ぐる

2010-03-12 | Weblog
アカデミー賞での監督賞は、アバターのジェームスキャメロンとハートロッカーのビグローとの元夫婦対決の末、ビグローがアカデミー賞を取りました。ハートロッカーの方は見ていないので、イラク戦争での爆発物処理班を描いたもの、という情報しか知りません。アバターは見ました。3D効果を駆使したファンタジーの映像は圧巻です。巨額の制作費と長い製作期間を費やしただけあって、映像は素晴らしいと思います。今も世界最高興行収益記録を更新中だそうで、この巨額の制作費も公開2週間でペイしたとのこと。こういう映画を撮れる監督はなかなかいません。構想に10年以上、ようやくコンピューター技術が追いついたものの、その製作には途方も無い時間と金が必要でした。その映画作りの意義と興行的投資の成功性について多額の金を出してくれるスポンサーを説得することができるだけのトラックレコードと器量と実力がキャメロンにあったからこそ可能となった仕事でした。
 金にまかせて作った娯楽映画、と斬り捨てる日本の映画評論家もいるようですが、それはとんでもない誤解というか僻みでしょう。日本では政治家などにも金銭的なクリーンさを求めますが、この清貧根性はかなり有害だと思います。金は社会と人間の潤滑油であります。金は集めると大きな力となり、このような巨大プロジェクトを遂行することが可能となるのです。「この人に賭けてみよう」と思わせるだけの人間でなければ、金はやってきません。スポンサーはジェームスキャメロンをそれだけの人間であると評価し、そして、彼はその期待に答えたのです。
  確かにストーリーにはそう目新しさはありません。パンドラという星を植民地化しようとする地球人とパンドラ星人との戦いを描いています。この構図はアメリカにやって来て、現住民を虐殺していったヨーロッパ人、オイル利権を求めて湾岸戦争やイラクへ侵攻していたアメリカと同じです。即ち、この映画は、ヒューマニズムを賛し、アメリカ帝国主義を批判する映画であると言えます。自然と平和を愛し、調和の中で生きるパンドラ星人の住む星へ経済目的で侵攻していく地球人。出てくるキャラクターは全くのステレオタイプで、その辺はちょっともの足りませんけど、メッセージを伝えるにはシンプルである必要もありますからこれで良かったのでしょう。
  一方、監督賞となったビグロー氏、オスカーが手渡された時に様子をちょっとだけ見ました。いきなり、「イラクやアフガニスタンで命をかけて働いている軍人の人に捧げたい」と言ったので、私はシラけてしまいました。イラクやアフガニスタンでアメリカのしていることは侵略ではないか、とムッとしました。いきなり住んでいる街に武器を担いで侵攻してきたアメリカ兵がイラクの一般人にどんなことをしているのか知った上で発言しているのなら、悪質だと私は思いました。その時に、この映画が監督賞になった背後には絶対に政治的な意図があると私は思いました。映画を見ていないので、この部分はあたっているかどうか知りませんけど、その受賞スピーチからしても、この映画は、「アメリカ軍は世界平和のために身を賭して頑張っている、兵士を応援しよう」みたいな「偏った」メッセージのプロパガンダではないのかと勘ぐってしまいました。きっと映画のスポンサーも武器商人かオイル会社でも絡んでいて、アカデミー賞と引き換えに、授賞式ではアメリカ軍人を讃えるスピーチをするように指示でもされていたのではないでしょうか。そうとでも思わなければ、58歳にもなる大の大人が、「お国のために一生懸命働いている兵士に賞を捧げます」みたいなオボコいことを、多くの国民が見ている前で言えるわけがないでしょう。確信犯とはこのことだ、と私は思いました。
  多分、ジェームスキャメロンも含めて、会場にいた人の半分は、この監督賞にウラがあると感じたに違いありません。この映画のプロデューサーがアバターではなく、ハートロッカーに投票するようにとアカデミー賞選考委員にe-mailを送ったという醜聞もありました。そうなると、ますますクサいです。そもそも、この興行的にはパッとしない映画がアバターと賞を競うということそのものが怪しいです。つまり、ジェームスキャメロンの元夫人が監督した映画だから、元夫君の大ヒット作と競っているという話にすれば話題性が高いというプロモーション上の理由があったのではないのかと思うのです。そして、(映画は見てませんから邪推ですけど)映画の筋からすると、非人道的テロを行うイラクのテロリストが「悪者」でそれと闘うアメリカ軍人が「正義の味方」みたいな描き方をしているようで、これは、一見ヒューマニズムの皮を被ってはいるようですが、事実はアメリカのイラク侵攻やアメリカ帝国主義の正当性を訴えようとしている映画ではないのか、と思えてきます。
  一方、アバターはアメリカ帝国主義批判ですから、いくらこの映画の出来がよくても実際にイラク戦争で儲けている連中は面白くないでしょう。そう思った連中がハートロッカーを利用して、反アメリカ帝国主義映画、アバターにぶつけた結果が、今回のアカデミー監督賞の結果ではないのだろうかと私は思いました。
  もし、この賞にそのようなウラの政治的意図がなく、純粋に映画の内容だけでアカデミー賞選考委員が(何の指示もなしに)決め、ビグロー氏の「アメリカ軍兵士に捧ぐ」スピーチが、心からのものだとすれば、アメリカ人のナイーブさはかなりの危険閾にあると私は感じます。(そんなわけないでしょうけど)

追記。このエントリーアップの直後、アカデミー賞より以前に出たハートロッカーのある批評を読みました。それによると、この映画はむしろイデオロギー的メッセージに欠ける(すなわち、サスペンスとアメリカ兵だけを描いた視野の狭い)映画であると酷評されています。

厄介なイデオロギーの問題には踏み込まず、戦闘をスリリングに描くことに徹した『ハート・ロッカー』は物語の背景を観客に示さないだけでなく、背景の欠落を示唆するヒントも与えてくれない。戦争サスペンスとしては見事だが、ただそれだけの映画だ。

しかし、イラク戦争のプロモーションに利用しようとする側の立場からすれば、こういう映画は利用しやすいと思われたのでしょう。とすると、ビグロー氏自身、きっと本当にこの戦争の意味など知らない(または、興味が無い)のでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする