百醜千拙草

何とかやっています

大学利権

2012-11-09 | Weblog
予想されたことですが、大統領選はオバマの再選ということになりました。しかし同時に行われた上院、下院の選挙の結果、議会でのパワーバランスはかわらず、下院は共和党、上院は民主党が制し、ねじれたままです。多分、二年後の中間選挙でもこの構図は変らないでしょうから、これからも、オバマは共和党の要求を飲まざるを得ないでしょう。ま、本当にアメリカを操っている連中にとっては看板がオバマであろうが共和党の誰かであろうが大差ははないので、国民に「大統領が何かしてくれる」という幻想を持たせるためだけのガス抜き選挙ともいえますけど。日本の場合はそのカラクリがあまりにバレバレなので、だれも政治家に期待しないというレベルにまで来てしまいました。民主党のおかげです。政治家も行政も信用がない、官僚独裁の無法国家です。

大学認可を拒否したあと、結局認可した田中眞紀子氏。この人の「暴走」に見える行動や発言は、天然なのか、計算されているのか、興味深いです。ネットでも今回の事件に関しては賛否両論。「内田樹の研究室」では、不認可というちゃぶ台返しは、政治的失策であったという意見ですけど、どうなのか。そこで述べられているビジネスと大学との関係など、うなずけるところもありますが、私は、もう一つ大きな要素が考察されていないように思いました。つまり、「大学利権」のことです。教育機関の大学は税金から補助金がでます。大学という機関をそういう目で見れば、大学を新設し、施設を作り教員ポジションをつくることによって、税金を流す受け皿ができることになります。官僚がいつもやっている、ハコモノを作って天下り先を作り、税金を撮み食いする、シロアリ活動です。どうも今回の大学は、反角栄派の清和会系と関係があったようで、地上げ屋さんは、田中眞紀子はそれに鋭敏に反応していまったのだと書いてあります。

また、内田氏は教育の質が下がっているのは中高教育の質の低下であり、大学が多過ぎることが必ずしも原因ではないというような解釈のようですけど、では、中高教育の質の低下はどうして起きているのでしょうか。ゆとり教育のせいでしょうか。しかし現代でも勉強している子供は我々が子供だった時代よりももっと勉強しているようです。教育の低下は、全体のレベルが平均して下がったのではなく、勉強しない子供の数が増えたからのように思います。いくらでも大学があって、誰でも入れるとなれば、勉学に対するモチベーションも下がるように思うのですが、どうでしょうか。新設大学は、とりあえず大学という名前のついた所に行きたい若者(の親)から、授業料を取り、そして税金から補助金をもらって、天下り教官ポストについた人間に金を払うということをやろうとしているのではないでしょうか。たしかに、学校に長くいれば学問が多少はできるようになるのはそうでしょう。しかし、税金が流れるのですから、バランスの問題ではないでしょうか。高等教育を受けていなくても素晴らしい教養を身につけた人格者はおりますし、東大を出てもどうしようもない人間(政府をみれば沢山いますね)もおります。税金が多少なりとも使われるのであれば、国民の利益になるように大学の政策も考慮されてしかるべきでしょう。ただでさえ余っている大学を新設して、若者のモラトリアム期間を延長するのは、正規職がないのでポスドクとかの一時雇用を増やして痛みを先延ばしにするのと似ています。いずれ、ツケは払わないといけなくなります。

例えば、かつてのリビアやナウル島のように資源が豊かで、国民は働かなくても良い生活ができるのであれば、死ぬまで大学にいって色々、学べばよいでしょう。オイルや資源を売ってその金で、国もジャンジャン補助してやればよい。しかし、今の日本にそれだけの余裕があるのでしょうか。衣食足りてこそ、礼節や教養に気が回るのではないでしょうか。シロアリが屋台骨を食いつくそうとしていて、そこに住む一般住人はまともな職がなく、若者は結婚するだけの財力を保つのも難しい一方で、老齢化が加速しています。加えて、これから何十兆円もかかるとされる福島原発事故の後始末をかかえ、災害にあった多くの人々はいまだに難民状態に置かれており、そして、これからは、増えてくるであろうと考えられる放射能被爆によるがん患者の問題が予測されます。国民の衣食住、最低の健康さえ満足に確保できないという現実があるのに、ただでさえ余っている大学を増やして、そこに助成金を流すことが賢いことなのか、私は疑問に感じます。
コメント
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