ビットコインの取引所が、ビットコインを「盗まれて」倒産、閉鎖になったという事件のニュースで、急にメジャーになったビットコインですが、この事件について、色々な人が意見を述べているの読みました。私の印象は、8割の人がビットコインのそもそもの意味について誤解しているように感じました。これをあたかも、新手の金融商品(博打の道具)と見なして、素人が詐欺にあってカモられたのだ、というような意見が多かったように思います。それで、人々の「カネ」に対する認識に、私はガッカリしていたのです。しかし、思えば、私も昔はカネのことを真剣に考えたことがありませんでした。ただ、どうして自分が持っているカネはつねに必要な量よりも少ないのだろうと、不思議に思っていただけでした。「カネ」の歴史を多少知るにつれ、中央銀行による管理通貨制という現在のシステムそのものが、実は壮大な詐欺なのではないか、という気持ちが初めて強くなりました。ビットコインを「通貨」の歴史から考えると、現在の「銀行券」よりも遥かにマトモだと私は思わざるを得ません。
今回のビットコイン騒動について、「5号館のつぶやき」先生が、科学者らしい(?)見方でのビットコインに関する記事をアップしてあるのを読んだので、私も思うところを書いておこうと思った次第です。
私も、昔は「カネ」というものは、政府なり発行機関が「責任をもって、公正に」発行、管理している「価値交換のための道具」だと、単純に思い込んでおり、そのメカニズムはどうあれ、カネがあれば物やサービスが手に入る、なければ困る、それでカネを手に入れるために働いたり、いい大学に行ったりする、という目先の現象が当然のことであるように思い込んでいました。しかし、半歩下がって客観的に見れば、太古の昔にはカネなどというものはなく(特に紙に印刷されたようなもの)、人々は物々交換で欲しいものを手にいれたり、農民は年貢は米で納めたりしていたのですから、カネなど別に絶対に必要なものではなかったのです。しかし、物々交換で必要なのもを手に入れるのは不自由ですから、便利なように物の「価値」を一旦、共通の媒体(例えば貴金属)などに変えた上で、それを使って物やサービスの交換を行うようになった、というのが通貨の歴史であろうと思います。それが発展して金本位制の通貨制度ができたころまでは、カネは従来のその役割を果たしているだけでした。しかし、金本位制を廃止して管理通貨制にしたときに、カネをつかって人々を広範に支配することが可能となりました。これはちょうど、麻薬中毒にさせておいて、麻薬で人を操るのと同じ構図です。都会に住む人間は、自給自足も物々交換交換もできませんから、政府の発行するカネに生命を依存しています。カネなしには生きて行けないようになっています。自然とカネのある人間が、カネに依存している人間を支配するようになります。「カネの奴隷」というのはそういうことです。ではカネを持っていて、人々を支配したい人間はどうやって、カネを手に入れるのか。もっとも簡単なのは「カネを刷る」ことです。カネを刷る立場に回ることが、もっとも簡単にカネを手に入れる手段です。アメリカではカネを刷っているのはFRBという中央銀行で、これは政府機関ではなく、秘密に満ち満ちており、実は、普通の銀行を運営している連中のの寄り集まりだと言われています。ということは極論すれば、「カネ」を人々に貸して利ざやを稼ぐ金貸し自らが、そのカネを刷っているということになります。ま、インチキです。彼らは別にカネが欲しいのではなく(いくらでも刷れますから)極論すれば、カネを使って、人々を支配し、彼らが思うように世界を動かしたい、そう考えているらしいです。(この辺の「銀行家」の意図の真偽は分かりませんが、陰謀論者によるとそういうことらしいです)
それはともかく、日銀も勝手に異次元の量的緩和(大量にカネを刷る)をしたりすることができるのですから、管理通貨制が金本位制に比べて、いかにイカサマなのかは自明と言えるでしょう。その一方で、カネがないから消費税を上げるという、変な理屈がまかり通ります。日本政府が抱える大量の借金、結局は、日銀が刷って政府に渡し、政府は国民の税金を使って、銀行にその利子を払い続けるということになりますが、では、その利子で儲けている連中は誰なのか、ビットコインをカネを儲けるための「金融商品」だと短絡的に考えるまえに、その辺のことを国民は考えてみる必要があるでしょう。
ビットコインは基本的には金を使わない金本位制です。その点から考えると、今回のようなコンピューター特有の問題があるにせよ、紙にいくらでも刷れる「カネ」よりも、よっぽど、本来の価値交換のためのツールとしてマトモです。問題がおこったのは、ビットコインを紙に刷った「カネ」に交換するという部分です。(今回の事件はカネとビットコインとの交換取引所の問題であって、ビットコインそのものの問題ではないのです)
理想的には、ビットコインはカネと交換せずに機能することを目指しています。イカサマの紙の「カネ」を通さずに物やサービスを交換するための別の媒体ということです。ビットコインのシステムは中央銀行や特定の個人に管理されているのではなく、ビットコインを手に入れるには交換、もしくはコンピュータプログラムを介して自ら「発掘する」しかありません。ということは、紙のカネのように、日銀やFRBのような特定の機関が彼らの都合で勝手に刷りまくったり、それを貸して利息を取るということができないということです。陰謀論的な言い方になりますが、ビットコインのような公平で一部の人間の都合でコントロールできないような「通貨」は、支配者層にとって、大変、都合の悪いものです。各国政府が潰そうと規制をかけたり、今回の事件のように「見せしめ(?)」にして印象操作をしようとするのは、当然の動きでしょう。人々がビットコインでいろいろ取引し、「円」や「ドル」を使わなくなったら、政府は困ります。税金も取るのが難しくなります。物々交換のようなものですから、そこに経済活動が発生しなくなり、商取引で生まれる利益がなくなり、課税できなくなります。
これは、既にある日本各地にある「地域マネー」の拡大版と言えるでしょう。目的は、中央銀行が勝手に操作できないようなより「公正」な通貨制を市民自らが作り出すという点にあると思います。
今回のビットコイン騒動について、「5号館のつぶやき」先生が、科学者らしい(?)見方でのビットコインに関する記事をアップしてあるのを読んだので、私も思うところを書いておこうと思った次第です。
私も、昔は「カネ」というものは、政府なり発行機関が「責任をもって、公正に」発行、管理している「価値交換のための道具」だと、単純に思い込んでおり、そのメカニズムはどうあれ、カネがあれば物やサービスが手に入る、なければ困る、それでカネを手に入れるために働いたり、いい大学に行ったりする、という目先の現象が当然のことであるように思い込んでいました。しかし、半歩下がって客観的に見れば、太古の昔にはカネなどというものはなく(特に紙に印刷されたようなもの)、人々は物々交換で欲しいものを手にいれたり、農民は年貢は米で納めたりしていたのですから、カネなど別に絶対に必要なものではなかったのです。しかし、物々交換で必要なのもを手に入れるのは不自由ですから、便利なように物の「価値」を一旦、共通の媒体(例えば貴金属)などに変えた上で、それを使って物やサービスの交換を行うようになった、というのが通貨の歴史であろうと思います。それが発展して金本位制の通貨制度ができたころまでは、カネは従来のその役割を果たしているだけでした。しかし、金本位制を廃止して管理通貨制にしたときに、カネをつかって人々を広範に支配することが可能となりました。これはちょうど、麻薬中毒にさせておいて、麻薬で人を操るのと同じ構図です。都会に住む人間は、自給自足も物々交換交換もできませんから、政府の発行するカネに生命を依存しています。カネなしには生きて行けないようになっています。自然とカネのある人間が、カネに依存している人間を支配するようになります。「カネの奴隷」というのはそういうことです。ではカネを持っていて、人々を支配したい人間はどうやって、カネを手に入れるのか。もっとも簡単なのは「カネを刷る」ことです。カネを刷る立場に回ることが、もっとも簡単にカネを手に入れる手段です。アメリカではカネを刷っているのはFRBという中央銀行で、これは政府機関ではなく、秘密に満ち満ちており、実は、普通の銀行を運営している連中のの寄り集まりだと言われています。ということは極論すれば、「カネ」を人々に貸して利ざやを稼ぐ金貸し自らが、そのカネを刷っているということになります。ま、インチキです。彼らは別にカネが欲しいのではなく(いくらでも刷れますから)極論すれば、カネを使って、人々を支配し、彼らが思うように世界を動かしたい、そう考えているらしいです。(この辺の「銀行家」の意図の真偽は分かりませんが、陰謀論者によるとそういうことらしいです)
それはともかく、日銀も勝手に異次元の量的緩和(大量にカネを刷る)をしたりすることができるのですから、管理通貨制が金本位制に比べて、いかにイカサマなのかは自明と言えるでしょう。その一方で、カネがないから消費税を上げるという、変な理屈がまかり通ります。日本政府が抱える大量の借金、結局は、日銀が刷って政府に渡し、政府は国民の税金を使って、銀行にその利子を払い続けるということになりますが、では、その利子で儲けている連中は誰なのか、ビットコインをカネを儲けるための「金融商品」だと短絡的に考えるまえに、その辺のことを国民は考えてみる必要があるでしょう。
ビットコインは基本的には金を使わない金本位制です。その点から考えると、今回のようなコンピューター特有の問題があるにせよ、紙にいくらでも刷れる「カネ」よりも、よっぽど、本来の価値交換のためのツールとしてマトモです。問題がおこったのは、ビットコインを紙に刷った「カネ」に交換するという部分です。(今回の事件はカネとビットコインとの交換取引所の問題であって、ビットコインそのものの問題ではないのです)
理想的には、ビットコインはカネと交換せずに機能することを目指しています。イカサマの紙の「カネ」を通さずに物やサービスを交換するための別の媒体ということです。ビットコインのシステムは中央銀行や特定の個人に管理されているのではなく、ビットコインを手に入れるには交換、もしくはコンピュータプログラムを介して自ら「発掘する」しかありません。ということは、紙のカネのように、日銀やFRBのような特定の機関が彼らの都合で勝手に刷りまくったり、それを貸して利息を取るということができないということです。陰謀論的な言い方になりますが、ビットコインのような公平で一部の人間の都合でコントロールできないような「通貨」は、支配者層にとって、大変、都合の悪いものです。各国政府が潰そうと規制をかけたり、今回の事件のように「見せしめ(?)」にして印象操作をしようとするのは、当然の動きでしょう。人々がビットコインでいろいろ取引し、「円」や「ドル」を使わなくなったら、政府は困ります。税金も取るのが難しくなります。物々交換のようなものですから、そこに経済活動が発生しなくなり、商取引で生まれる利益がなくなり、課税できなくなります。
これは、既にある日本各地にある「地域マネー」の拡大版と言えるでしょう。目的は、中央銀行が勝手に操作できないようなより「公正」な通貨制を市民自らが作り出すという点にあると思います。