百醜千拙草

何とかやっています

戦争をさせない1000人委員会 (追記あり)

2014-03-11 | Weblog
STAP論文、おかしなことになってきましたね。つい先日、Knoepfler氏とのやりとりで、「理研を出る前に、脾臓からSTAP細胞を作ることに成功した。、、一年以内には誰かが再試したデータを発表するだろうと信じている。、、、私は逃げるつもりはない。私のデータでは全てのことは本当だからだ」と述べた共同研究者の若山さんは10日、「マウスの通常の細胞からSTAP細胞ができたとする成果について『証拠がない』」と言って論文の取り下げを勧めるメールを送ったそうです。この数日の間に何がおこったのでしょうか。思うに、先日の理研のプロトコールの中で、リンパ球から作ったSTAPステムセルにTCRの再構成がなかった、という記述が論文と矛盾すると感じたのではないかと思います。きっと論文投稿の時点ではその点については知らず、(頼まれてキメラを作っただけですしね)「そんな話はきいてないよー」という感じでだったのではないでしょうか。(ちょっと面倒ですがT細胞だけを分離して実験をやりなおしてみればはっきりすると思うのですが)Knoepfler氏が言うように、現時点では(論文の内容は本当かも知れませんが)とにかく問題が多過ぎるので、自主的に論文を一旦撤回するのが最も賢い選択であろうと思います。

さて、これも前の続きのような話ですが、科学と陰謀論について少し思う所を。科学とは「常識」的解釈を疑い、方法的懐疑に基づいて立てた仮説を検証する活動です。常識や信じているものを疑ってみることによって、現象に新しい光を当て、より包括的で原則的な解釈に達しようとする行いだと思います。「太陽が動くのではなく、地球の方が回っている」というのは科学的仮説です。一方、「911同時多発テロはイラク侵攻の口実のためにアメリカ内部のものが仕立て上げた」というと陰謀論と呼ばれます。しかし、思うに、これらの間に本質的な差はありません。差があるとすると、陰謀論の方には現象の裏に(証明されていない)人間の悪意を想定しているというぐらいです。この人間の悪意の部分を除くと、陰謀論も立派な科学的仮説になると思います。例えば「WTCの崩落は飛行機の衝突によるものではない」というのは(科学的)仮説であり、証拠を客観的に検討すればリーズナブルな結論にたどり着くでしょう。そう思えば、「陰謀論」という言葉は、正当性のある仮説に、negativeなconnotationを持つラベルを貼ることによって、考慮の対象から外すために使われていることの方が多いような気がします。

アベ第二次政権となってからこの政権のやってきたことを見ると、「日本は戦争を放棄し平和を望んでいる」という戦後の「常識」を疑うのに十分な根拠があると思います。本人は否定するでしょうが、「アベは戦争をしたがっている」という仮説を支持するかなりの証拠があって、それが不穏な空気を漂わせているのです。そうでなければ、知識人が集まって「戦争をさせない1000人委員会」や「特定秘密保護法案に反対する学者の会」のような会を結成する必要もなかったでしょう。「戦争を放棄し、恒久的平和を願う」のは戦後日本の「常識」でした。その常識が通用しない非常識な連中が政権を運営しているというのは、多くの状況証拠によって正しいことが支持されている「仮説」であると思います。

戦争は誰が何の目的で行うのでしょうか。アベ氏とか東京都知事選でかなりの票数を集めた元防衛省航空幕僚長とか軍事オタクとかは、何のために軍備をして戦争をするのか、本当に考えているのでしょうか。本気で「国を守り、愛する人を守るためだ」とかいう漫画の台詞をそのまま信じているのでしょうか。(そうだとすると、余計始末に終えないと感じます)

近代の戦争、とりわけ世界各地でアメリカが他国に介入してきたような戦争は、明らかに漫画や映画に出てくるような昔の戦争とは異なっています。しかし、戦争は、命を犠牲にして「誰かから何かを奪う」という行為であるという本質は同じだと思います。それでは、日本が戦争になったとき、誰が誰から何を奪うのか、そこを良く考えてみる必要があると私は思います。下の竹原前市長のブログ記事にあるように、戦争になったときに、最初に起こること、それは「日本政府」が「日本国民」から富と自由を奪うことです。

近代の戦争はビジネスであるという仮説は、陰謀論と一蹴するには困難な、十分な根拠のあるものです。私は人間の善意を信じていますが、同時に彼らは極めて自己中心的で、個人的な損得がからむと、理性的な判断がしばしばできなくなる存在であることも承知しています。ですから、つまらないプロパガンダに惑わされずに常に戦争の本質ついて普段から考えておくことは大切だと思います。陰謀論的言明ではありますが、私は、数ヶ月前に、阿久根市の竹原前市長が書いた「戦争の解釈」は十分、熟考する価値があると思うので、リンクします。

阿久根市の竹原前市長のブログから。

BISをコントロールしている人間が戦争を起こします。戦争は金儲けの手段ですから。その連中はすでに金持ちです。金儲けそのものは彼らの目的ではありません。カネという道具を使って人類をコントロールすること、世界を彼らの思うように変えるという支配欲が彼らの動機でしょう。彼らの考える「美しい世界」にしたいワケです。人間の傲慢さにはキリがありませんね。

 私は「戦争は八百長」と申し上げました。
 少し、戦争の仕組みをお話しします。 スイスのバーゼルに国際決済銀行(BIS)があります。各国中央銀行の元締め的存在です。中央銀行は政府の都合とは無関係に、決済銀行を通じて金融取引を行います。たとえば戦争中であっても、中央銀行システムはうまく機能して両方の政府に戦費を貸し付ける窓口をします。 戦争は中央銀行フランチャイズからおカネを借りて行う「政府の商売」なのです。
 
 戦争で儲かる人たちが密かに戦争を仕立てます。大元は国際金融資本です。中央銀行がある国の政府は国際金融資本の計画に抵抗できません。求められれば戦争をして国民を借金漬けにします。政府の現実は、保護者を偽装する暴力団の娼婦のようなものです。アメリカも日本も中国も韓国も同じです。
 国際金融資本は各国政府に対して緻密な戦争準備を指示します。なるべく戦争が長引き、たくさんのおカネを使うように仕向けるのです。時間とカネをかけ、戦争商売の仕組みがばれない様に秘密保護法や国民監視システムを作らせ、報道と教育で国民の心理状態を作り上げ、戦争の理由を捏造します。

 このように、戦争は第一番目に政府が自国民に対して行うものなのです銃弾が飛び交うのは、国民に対する戦争に勝った後です。開戦は国際金融資本の娼婦政府に対する国民の敗北であり、理性と自由の敗北です
政府は10月25日、特定秘密保護法案を閣議決定しました。日本政府がみなさんに戦争を仕掛けているのがおわかりでしょうか? もちろん、TPP参加も日本娼婦(政府)に対する国際金融資本の命令です。
 日本娼婦は 国民の口を止めるために、「国家の安定」を理由に名誉毀損を幅広く解釈するようになります。そのために、検察が事件を大げさにでっち上げ、マスコミが愛国キャンペーンを張ります。東京オリンピック開催決定は国家総動員体制作りの道具になります。
 1940年(昭和15年)に東京オリンピック開催の予定で 紀元二千六百年記念(天皇陛下バンザイ)行事として準備が進められていました。日中戦争から日本政府が開催権を返上しました。間違いなく、オリンピック準備は戦争体制作りに使われたのです。今の日本娼婦(政府)は同じ手を使います。

 国民は日本娼婦(政府)にだまされてお祭り騒ぎをします。この危険な事態を冷めて見る者に対して、回りの日本国民が迫害します。戦時中と同じ景色、なんとバカバカしくお目出たい事でしょう。


追記。追加する必要もないですが、先刻、決定的と思える捏造証拠と考えられる写真の使い回しがSTAP論文に見つかったことを知りました。これはもうダメです。こんな稚拙な細工を平気でできるとは、驚きを通りこして呆然とするばかりです。舐められたものです。これではいくらSTAPが本当であっても信用できません。Natureは、直ちにEditorial retractionするでしょう。理研が面子を保つには、その前に、すみやかに著者の同意を取って論文を撤回し、責任者に然るべき処分を下す必要があります。これは、確信犯と見なされるべき例であり、Natureも鷹揚に構えている訳にはいきませんでしょうから。そうなると、Schonのケースに似た経過を取ることになるのではないでしょうか。学位論文のデータを使い回したようですから、論文撤回のタイミングを誤ると、職場の解雇から学位の剥奪までフリーフォールとなりそうです。このイカサマ(と言ってしまいますが)の話をするのもこれが最後です。これに一杯喰わされた被害者の人々が気の毒です。私はサッパリと忘れます。
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