Biomedサーカスに、STAP問題のまとめのまとめみたいな記事がありました。
「不正を防ぐのは不可能」という意見は私は完全に賛同します。研究不正というものは、極端に言えば、交通事故のようなものです。車がある限り必ず起こります。事故がおこれば、どんな場合でも誰に過失があるかが検討されます。交通事故の場合は意図的に事故を起こそうとするケースは少ないでしょうから、別の喩えで言えば、婚姻者の「浮気」の方が適切かも知れません。結婚があれば必ず浮気があります。動物的本能と人間の社会的制度との葛藤がもとにあるのですから、なくすには結婚という制度を止めるしかないと思います。研究不正も、論文出版という研究者の本能と研究におけるルールというコンフリクトで起こります。完全に予防するのは不可能です。予防するために監視や規制を強めるのではなく、一定割合で必ず起こるということを前提にして、起こってしまった不正にどう対処するかというところにもっとフォーカスすべきであろうと私は思います。今回の理研の対応は、成功だという判断ですが、その辺は微妙ですね。理研は第三者ではなくこの研究不正の一部の責任者でもあると私は感じます。
起こってしまった不正にどう対応すべきか、に関しては私は良いアイデアはありません。犯罪に関して言えば、罰則を強化するとその発生率はかなり下がるのだそうです。不正が見つかったときにその研究者への罰則を強めれば不正は減るでしょうが、そもそも研究不正というのはグレーゾーンで行われる微妙なものなので、罰則を強めれば、今度は、不正が疑われた場合にその不正を確定するプロセスに多大なリソースを費やすことが必要になるでしょう。
思うに、本当に深刻な不正は必ずバレます。その間にその不正のためにカネや労力や様々なものがムダになる可能性はありますが、そうした稀におこる深刻な不正を防ぐために、過剰な規制や監視をかけることは、全体的利益という観点からは遥かにマイナスであろうと思います。
論文に問題があった場合に、それが意図的な不正であるのか、不注意からくる過失であるのか、をはっきりさせることはしばしば困難です。どちらの場合でも、問題のある論文を出版した著者は、悪質、もしくは無能と判断されて評価を落とすでしょう。そう思えば、研究不正は「放っておく」のが、総合的に全体的利益の点でベストではないだろうかと思います。特に生物学の論文では過半数が再現性がないとも言われています。研究不正がこれに一部、加担はしているでしょう。私は、方法的懐疑に基づく自然科学の研究者であれば、発表論文の中には少なからず研究不正があるということを研究者の常識とするのが第一だろう、と思います。
とういうわけで、賛成してもらえないかも知れませんが、私は、研究不正は「放っておく」ことがベストだと思うのです。思うに、「研究不正を許さない」という感情の基礎にあるのは、(不正の有無にかかわらず)一流紙にサクサクと論文を載せる人に対して大多数の人が抱く不公平感や嫉妬心ではないでしょうか。一本、一本の論文がポジションや給料や研究費に直結していくこの世界では当然です。そこに不正があったとなれば正直者でバカを見たと思う人が怒るのも然るべしです。しかし、この人間の感情の問題を切り離して、研究界における不正問題にどう対処するかと言われると、やはり放っておくのがベストだと思わざるを得ません。少なくとも、私が見てきた中では、かりに不正が認定されなくても、怪しい研究者や不正研究者は淘汰され、あやしい論文は忘れ去れて行きますから。不公平感や不正によってムダになるリソース、そういったものは一定割合で不良品が出るシステムが払わなければならないコストだと割り切り、各研究者は、「喰わせもの」に引っかからないインテリジェンスを磨くことに集中する方が生産的と思います。私の昔の研究者の友人は、「信じるものは騙される」をモットーにしていました。不正論文を真に受けて被害に会わないようにするには、研究においては、騙される方が悪いと考える方が実利的です。つまり、研究不正を予防したり、見つけたり、糾弾したりしようとする活動に要する(しばしばマイナスの)エネルギーは、ポジティブな研究活動に振り分けた方が、全体としては、より有益だろうと思うのです。
この意見には賛同しかねます。研究不正を監視する組織とは具体的にどういう組織なのでしょうか?そんなものがある国はそもそもあるのでしょうか?それから、監視する組織があろうとなかろうと、研究不正は既婚者の浮気と同じで必ず起こるものです。不正をする人は見えないところでやるわけですし、浮気する方もコソコソと隠れてやるのです。家庭に浮気を監視する組織がないから浮気がおこるのだ、などというようなことを言う人はいないでしょう。
・メルボルン大の研究公正アドバイザー「研究のあるところには不正がある。教育やトレーニングをしても不正は止まらない。不正があった時に所属組織がどう対応するかの方が大切で、今回の理研の対応は成功である。データ管理やプレスリリースにおける誇張に問題があったことを理研は認め、対応は迅速で透明性があり、野依氏は理研の全発表論文について同様の問題がないか見直すよう指示した。」
「不正を防ぐのは不可能」という意見は私は完全に賛同します。研究不正というものは、極端に言えば、交通事故のようなものです。車がある限り必ず起こります。事故がおこれば、どんな場合でも誰に過失があるかが検討されます。交通事故の場合は意図的に事故を起こそうとするケースは少ないでしょうから、別の喩えで言えば、婚姻者の「浮気」の方が適切かも知れません。結婚があれば必ず浮気があります。動物的本能と人間の社会的制度との葛藤がもとにあるのですから、なくすには結婚という制度を止めるしかないと思います。研究不正も、論文出版という研究者の本能と研究におけるルールというコンフリクトで起こります。完全に予防するのは不可能です。予防するために監視や規制を強めるのではなく、一定割合で必ず起こるということを前提にして、起こってしまった不正にどう対処するかというところにもっとフォーカスすべきであろうと私は思います。今回の理研の対応は、成功だという判断ですが、その辺は微妙ですね。理研は第三者ではなくこの研究不正の一部の責任者でもあると私は感じます。
起こってしまった不正にどう対応すべきか、に関しては私は良いアイデアはありません。犯罪に関して言えば、罰則を強化するとその発生率はかなり下がるのだそうです。不正が見つかったときにその研究者への罰則を強めれば不正は減るでしょうが、そもそも研究不正というのはグレーゾーンで行われる微妙なものなので、罰則を強めれば、今度は、不正が疑われた場合にその不正を確定するプロセスに多大なリソースを費やすことが必要になるでしょう。
思うに、本当に深刻な不正は必ずバレます。その間にその不正のためにカネや労力や様々なものがムダになる可能性はありますが、そうした稀におこる深刻な不正を防ぐために、過剰な規制や監視をかけることは、全体的利益という観点からは遥かにマイナスであろうと思います。
論文に問題があった場合に、それが意図的な不正であるのか、不注意からくる過失であるのか、をはっきりさせることはしばしば困難です。どちらの場合でも、問題のある論文を出版した著者は、悪質、もしくは無能と判断されて評価を落とすでしょう。そう思えば、研究不正は「放っておく」のが、総合的に全体的利益の点でベストではないだろうかと思います。特に生物学の論文では過半数が再現性がないとも言われています。研究不正がこれに一部、加担はしているでしょう。私は、方法的懐疑に基づく自然科学の研究者であれば、発表論文の中には少なからず研究不正があるということを研究者の常識とするのが第一だろう、と思います。
とういうわけで、賛成してもらえないかも知れませんが、私は、研究不正は「放っておく」ことがベストだと思うのです。思うに、「研究不正を許さない」という感情の基礎にあるのは、(不正の有無にかかわらず)一流紙にサクサクと論文を載せる人に対して大多数の人が抱く不公平感や嫉妬心ではないでしょうか。一本、一本の論文がポジションや給料や研究費に直結していくこの世界では当然です。そこに不正があったとなれば正直者でバカを見たと思う人が怒るのも然るべしです。しかし、この人間の感情の問題を切り離して、研究界における不正問題にどう対処するかと言われると、やはり放っておくのがベストだと思わざるを得ません。少なくとも、私が見てきた中では、かりに不正が認定されなくても、怪しい研究者や不正研究者は淘汰され、あやしい論文は忘れ去れて行きますから。不公平感や不正によってムダになるリソース、そういったものは一定割合で不良品が出るシステムが払わなければならないコストだと割り切り、各研究者は、「喰わせもの」に引っかからないインテリジェンスを磨くことに集中する方が生産的と思います。私の昔の研究者の友人は、「信じるものは騙される」をモットーにしていました。不正論文を真に受けて被害に会わないようにするには、研究においては、騙される方が悪いと考える方が実利的です。つまり、研究不正を予防したり、見つけたり、糾弾したりしようとする活動に要する(しばしばマイナスの)エネルギーは、ポジティブな研究活動に振り分けた方が、全体としては、より有益だろうと思うのです。
EDITORIALS
「Agency of change」
・2014年4月30日付。
・過去に日本で起きた捏造事件として、アマチュア考古学者による自作自演や東大のトルコ人教授による100報以上の論文撤回を例に挙げ、日本には研究不正を監視する組織がないのが問題であるとしている。
「Agency of change」
・2014年4月30日付。
・過去に日本で起きた捏造事件として、アマチュア考古学者による自作自演や東大のトルコ人教授による100報以上の論文撤回を例に挙げ、日本には研究不正を監視する組織がないのが問題であるとしている。
この意見には賛同しかねます。研究不正を監視する組織とは具体的にどういう組織なのでしょうか?そんなものがある国はそもそもあるのでしょうか?それから、監視する組織があろうとなかろうと、研究不正は既婚者の浮気と同じで必ず起こるものです。不正をする人は見えないところでやるわけですし、浮気する方もコソコソと隠れてやるのです。家庭に浮気を監視する組織がないから浮気がおこるのだ、などというようなことを言う人はいないでしょう。