百醜千拙草

何とかやっています

命よりカネ(2)

2014-07-01 | Weblog
都会では自殺する若者が増えており、社会は閉塞感に溢れ、いつ何時第三次世界大戦がはじまるかもわからない世の中ですが、とりあえずの問題は、雨の日に傘がないことであったりします。悲しいことやつらいことがあっても、腹は減るし夜になれば眠くなり、陽は昇り陽は沈みます。そんな感じで、一つ一つとやってくるものや日々の瑣末事に冷静に対処しつつ、私もやっております。

しかし、今日にカネがいるからと言って、明日の命のことは知った事ではないというのでは、余りに刹那的でしょう。多分、そんなふうにカネが欲しいのはカネが無いことに対する恐怖に捕われているのでしょう。恐怖に捕われ視野狭窄に陥ってはいけません。

一部の上級官僚が戦争をしたいと考えているのはおそらく間違いないと思います。これは以前にも取り上げた岩上さんの記事での内部の人間への取材を含む複数のソースや「戦争をさせない1000人委員会」アピール、それからxxxが弱いためにいくら表面をとり繕っても本音がスケスケのアベ氏の行動をみれば、「そうとしか考えられない」と思います。

しかるに、どうして、その上級官僚どもはそんなことを考えるのか。下に紹介するように、岩下おじさんは「病」であると言います。私も、そういう結論に達したところでした。「病気」です。喩えは悪いかも知れませんが、社会的にも大変成功している人が自殺をしたりする例が沢山あります。私も身近にそういう人がいました。教授になって、超一流紙に論文を載せ、外からは極めて順風満帆に見える人が、実は(多分その「成功」そのものによるプレッシャーのために)鬱になり、自殺にまでいたるという例があります。官僚の病もそれに近いものがあるのではないかと想像します。トレッドミルを走り続けるのをやめて「降りれば」いいのです。一生懸命走った所で、どこに行くわけではありません。それができずに絶望して、かえって己が身を害するに至るのは極めて有害な精神の病だと思います。

本来、テスト勉強は得意なT大官僚ですから、頭が悪いわけではない、しかるに、結果として頭が悪い人間よりももっと悪い行動をとってしまうのはなぜなのか、戦争は始めるのは簡単でも終わらせるのは大変だということを理解しようとしないのはなぜか、やはり、病気なのだろうとしか思えません。

先週末の岩下俊三おじさんのブログのエントリーを一部、転載します。

なんでこんなことになたんだろう
なぜ安倍晋三は急激な愛国主義、戦前回帰に走っているのか。具体的に日本版NSCとか秘密保護法とかの実行が早すぎ集団的自衛権も焦りに焦って直ちに閣議だけで容認しようとしているのはどうしてか。
それはズバリ、
日本経済、とくに政府の財政に対して「冷静に」絶望している旧大蔵省(つまり安倍を操る傀儡師)の勢力が起死回生の策として戦争やむなしとすでに意思決定しているからである。

安倍はその幼稚な知力でただ進軍ラッパを吹くだけの役割であるが、官僚上層部はそろばん片手にどう小手先であがいても財政が健全化することは不可能とみており、最終的な解決方法は「戦争」しかないと考えている。これは「ようだ」ではなく実際の官僚トップの証言もあるから、間違いないだろう。
、、、
複雑なことはいくらでも考えられても単純なことは考えられない、、、というよりかんがえないことにしているのである。なぜなら己の職責は短期間しかなく、短期間でつじつまを合わせ実績を作ることが自分にとっては重要であり具体的な出世や天下り先の収入の多寡にも直結するからである。
、、、
これは右とか左とかとは関係はない。イデオロギーの問題でもない。そして彼らは卑怯小心ではあるものの決してバカではない。高校、大学の過程で同級生だっているから具体的に彼らのパーソナリティは知っているつもりだ。


だから問題は官僚の視野狭窄にすぎないのである。病気なのだ。なんでそうなったかしらないが長年の業務内容と特殊な環境が彼らをそうさせてしまったのであろう。
、、、
卑屈な民と官僚の視野狭窄、第二次大戦に日本が参画したときの構図とまったく変わっていない


もう一つ、永田町異聞から。
公明は党是を捨て、安倍は歴史に悪名を残す

安倍首相が繰り返し口にするのは、「国民の命と平和を守る」だ。記者会見でも、国会答弁でも、党首討論でも、食傷するほど耳にした。

スローガンというものは昔から政治詐術の常套手段である。「国民の安全を守るため」、「平和のため」…。誰も反対しないそうした名目を掲げて、殺人兵器を使う
そんなインチキ政治家に鼓舞され命を捧げる兵士たちは気の毒だが、スローガンをぶち続ける政治家は彼らの犠牲を賞賛してやまない。
集団的自衛権行使についての自民、公明の協議とやらが、「限定的」と称して国民を欺く合意をつくるための文言探しの意味しかない“茶番”であることは誰しも分かっていたことではある。
しかし、すでに常識になっているように、集団的自衛権の行使とは、米軍の下請けをして戦争に参加するということである。
、、、
(イラク戦争時のコリン パウエルの補佐官の)ウィルカーソンは言う。「こういった誤った情報による戦争は今後も繰り返される。われわれはまったく学んでない。米国は唯一の超大国だからイラク戦争のようなことはやるべきでないが、またやるかと聞かれれば、『絶対にやる』と言える」

日本が憲法を改正する手続きを省いて、解釈変更で集団自衛権の行使ができる国になるということは、すなわち米国に巻き込まれて、世界の火薬庫に足を踏み入れ、憎しみの連鎖の輪に加わる可能性があるということである。

それで本当に日本人は誇りが持てるのだろうか。ウィルカーソンは続ける。

「私は日本がいわゆる普通の国になるのを見たくありません。普通とは、10年ごとにあちこちへ戦争に行き・・・何人も人を殺す銃や爆弾を持って、石油などのエネルギーを追いかけるようなことです」

イラク戦争の当事者の一人だった米政府の元高官が政治的立場を離れたがゆえに言える良識的な言葉と受け止めたい。

おそらく、知日派米国人の多くが、わざわざ米軍の下請けをやれるように憲法解釈を変えるなんて馬鹿げたことだと、利害を離れた本音の部分では思っているに違いない。

日本はやっかいな首相を選んだものである。


一応、建前上は、この首相を選んだのは国民ということになっていますので、己を恨むしかないのでしょうが。
コメント
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