いろいろ公私ともに問題が多く忙しい日々です。
9月の学会、今年はウチの二人がそれぞれ一つずつ演題を出しました。二人とも口頭発表演題に選択され、二つとも賞金つきの授賞演題となるという快挙。あとは論文です。うちの一つは先日、投稿しましたが、もう一つは結構インパクトがあると思うので、本命ジャーナルに出す前にN紙姉妹紙に記念投稿しようと企んでおります。 しかし、最近は、こういうのもちょっと疲れてきました。論文をジャーナルに載せるという活動、グラントを取る活動は、研究には必須の活動ではあるものの、科学研究の本質とは関係がない、そんなことを、この間なくなったGerald Edelmanの追悼記事を読みながら思いました。この人は抗体の構造でノーベル賞を貰った後、後年、「Neural Darwinism」という仮説を提唱し、実験科学のメインストリームからはずれた研究活動を続けていました。抗体が抗原刺激によって、数多くのレパトアから必要なものが選択されるように、脳の発達、活動というのも、レパトアから選択されるのではないかというアイデアです。私も随分前にその本を買ったので(結局サワリだけ読んで終わりました)名前を知っていましたが、追悼記事を読むまで彼のノーベル賞の仕事のことは知りませんでした。フランシス クリックのことを思い出させます。クリックもノーベル賞をとり、その後、数々の偉大な分子生物学の発見をしたあと、どういうわけか、「意識はどのように生まれるのか」という問題に残りの研究人生を捧げました。やはり、このメインストリームからはずれた研究活動は余り評価されませんでしたが、思うに、クリックは自分のやりたい研究が簡単には評価されないことは十分わかっていていて、だからこそ、ソークのグラントを書かなくていよい一研究員というポジションを手に入れ、本当に興味のあることに集中したかったのでしょう。一度きりの人生ですから、本当にやりたいことができるように戦略を立てるのは大切です。グラントも論文もその手段として必要なものですが、最近は、その手段そのものが目的化しているような気がして、多少、嫌気を感じることも多くなりました。
そんな中、二日後が〆切の原稿の手直しでデスマーチ中、思わぬ来客。随分前、実験で多少協力したことがあった中国人研究者の人で、二年ほど前に上海の研究機関で研究室を始めたという話。前回、協力した時も、当時私が研究していた遺伝子と大変近い遺伝子を研究していました。話をしていると、またもや私がやっている全く別のプロジェクトの内容と非常に近いものを研究しているという話。それで、またデータを見せ合いして、協力的にやろうということで話がまとまりました。私のところは零細研究室でほそぼそとやっているのに、この人や先週のドイツ人研究者のように学生やポスドクを十人以上抱えているようなところが、人海戦術でまともに競合されたら、私はひとたまりもありません。ひたすら「平和外交」です。「世界は一つ、皆が幸せになるように一緒にやりましょう」みたいなことを演説しました。
言うまでもなく、外交は、お互いの利益をともに上昇させるように交渉するのであり、戦争は力づくで相手から奪って自分のものにする頭の悪いやりかたです。どちらが長期的にトクかは自明だと思うのですが、日本の支配者層の連中は、頭が悪いはずはないだろうと思うのに、視野狭窄と拝金病に陥っていて、人間としてマトモな思考ができなくなっているのは悲劇です。世界は一つで全てつながっているのですから、オノレの行いはいずれ必ず自分に返ってくるのです。彼らの頭の出来は、死ななきゃ治らないどこかの首相のレベルとは違うと思うのですが。
武器を売り、戦争をし、人間を殺す、カネのためなら何でもやりますよ、ちゅーことですな。あさましいです。
「米国やイスラエルに武器を売らないで」-ガザの少女の訴え
https://twitter.com/akiharahaduki/status/487047578551201793/photo/1
9月の学会、今年はウチの二人がそれぞれ一つずつ演題を出しました。二人とも口頭発表演題に選択され、二つとも賞金つきの授賞演題となるという快挙。あとは論文です。うちの一つは先日、投稿しましたが、もう一つは結構インパクトがあると思うので、本命ジャーナルに出す前にN紙姉妹紙に記念投稿しようと企んでおります。 しかし、最近は、こういうのもちょっと疲れてきました。論文をジャーナルに載せるという活動、グラントを取る活動は、研究には必須の活動ではあるものの、科学研究の本質とは関係がない、そんなことを、この間なくなったGerald Edelmanの追悼記事を読みながら思いました。この人は抗体の構造でノーベル賞を貰った後、後年、「Neural Darwinism」という仮説を提唱し、実験科学のメインストリームからはずれた研究活動を続けていました。抗体が抗原刺激によって、数多くのレパトアから必要なものが選択されるように、脳の発達、活動というのも、レパトアから選択されるのではないかというアイデアです。私も随分前にその本を買ったので(結局サワリだけ読んで終わりました)名前を知っていましたが、追悼記事を読むまで彼のノーベル賞の仕事のことは知りませんでした。フランシス クリックのことを思い出させます。クリックもノーベル賞をとり、その後、数々の偉大な分子生物学の発見をしたあと、どういうわけか、「意識はどのように生まれるのか」という問題に残りの研究人生を捧げました。やはり、このメインストリームからはずれた研究活動は余り評価されませんでしたが、思うに、クリックは自分のやりたい研究が簡単には評価されないことは十分わかっていていて、だからこそ、ソークのグラントを書かなくていよい一研究員というポジションを手に入れ、本当に興味のあることに集中したかったのでしょう。一度きりの人生ですから、本当にやりたいことができるように戦略を立てるのは大切です。グラントも論文もその手段として必要なものですが、最近は、その手段そのものが目的化しているような気がして、多少、嫌気を感じることも多くなりました。
そんな中、二日後が〆切の原稿の手直しでデスマーチ中、思わぬ来客。随分前、実験で多少協力したことがあった中国人研究者の人で、二年ほど前に上海の研究機関で研究室を始めたという話。前回、協力した時も、当時私が研究していた遺伝子と大変近い遺伝子を研究していました。話をしていると、またもや私がやっている全く別のプロジェクトの内容と非常に近いものを研究しているという話。それで、またデータを見せ合いして、協力的にやろうということで話がまとまりました。私のところは零細研究室でほそぼそとやっているのに、この人や先週のドイツ人研究者のように学生やポスドクを十人以上抱えているようなところが、人海戦術でまともに競合されたら、私はひとたまりもありません。ひたすら「平和外交」です。「世界は一つ、皆が幸せになるように一緒にやりましょう」みたいなことを演説しました。
言うまでもなく、外交は、お互いの利益をともに上昇させるように交渉するのであり、戦争は力づくで相手から奪って自分のものにする頭の悪いやりかたです。どちらが長期的にトクかは自明だと思うのですが、日本の支配者層の連中は、頭が悪いはずはないだろうと思うのに、視野狭窄と拝金病に陥っていて、人間としてマトモな思考ができなくなっているのは悲劇です。世界は一つで全てつながっているのですから、オノレの行いはいずれ必ず自分に返ってくるのです。彼らの頭の出来は、死ななきゃ治らないどこかの首相のレベルとは違うと思うのですが。
武器を売り、戦争をし、人間を殺す、カネのためなら何でもやりますよ、ちゅーことですな。あさましいです。
「米国やイスラエルに武器を売らないで」-ガザの少女の訴え
「イスラエル兵の投げ込んだ爆弾で、パパは首から上が吹き飛び、ママはお腹が裂け、内蔵を飛び出させて死んだわ…」(ザイナブさん)。日本が武器輸出三原則の例外としてF-35共同開発に関わろうとしていることを話すと、ザイナブさんはこう訴えた。「米国やイスラエルに兵器を売らないで下さい。その兵器が私達を殺します。日本の人々がいい人達だと、私は信じています」
https://twitter.com/akiharahaduki/status/487047578551201793/photo/1