百醜千拙草

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9条のノーベル平和賞

2014-10-10 | Weblog
まもなく発表されるノーベル平和賞で憲法九条が授賞するかも知れないという話。

柳田先生は、なってもらっては困る、欺瞞になる、と言っておられるようです。多分、独立国として、自衛、軍備の権利は当然と考えられているのでしょう。

軍国化して戦争したいアベ政権にとってもうれしくはないでしょう。日刊ゲンダイの記事だと、

ノーベル賞の発表が6日からはじまった。本当に日本の「憲法9条」がノーベル平和賞を受賞するのか。もし受賞すれば、安倍首相の「改憲」のもくろみは吹っ飛ぶことになる。
しかし、「改憲」を訴える安倍首相は、「みっともない憲法ですよ」と吐き捨てるほど平和憲法を毛嫌いしている。いま日本政府は、受賞しないように働きかけている、という怪情報も流れているが、もし憲法9条が受賞したら、安倍首相は授賞式に出席するのか、どんなスピーチをするのか。

と希望的に書いてあります。しかし思うに、ノーベル平和賞ぐらいで、この連中の曲がった性根がなんともなるようなものではありません。原発が爆発して甚大な被害を地域住民に与えても、事実上の放置、棄民をする一方で、原発輸出、再稼働をごり押しする連中です。沖縄で数えきれないぐらいの米軍による犯罪や訓練に関わる迷惑行為が起ころうとも、基地利権を手放したくなくて辺野古の珊瑚礁を埋め立ててでも沖縄米軍の恒久化をしようとしている欲に目のくらんだ愚か者の集まりなのです。ノーベル賞ぐらいで態度が改まるわけがありません。

そもそも、軍備する意味は何なのでしょう。アベ政権も右翼の方々も「防衛」のためだと言うわけですが、だいたい、日本がいくら軍国化を進めた所で、敵国(?)が本気で日本を攻めてやろうとするのならば、五十数基の原発が林立する日本は、防衛などしようがないと私は思います。つまり、私が思うに、防衛はどうやったところで、単なる「防衛ゴッコ」に過ぎない。本音は、堂々と戦争ビジネスで金儲けしたいということでしょう。防衛は国民の命や財産を守るためではなく、一部の戦争ビジネスマンが一般国民の命と財産を使って金儲けをするための単なる口実であろうと私は思います。

日本の再軍備化に賛成する一般の人々には「国の誇り」みたいな心情的なものがあるのだろうと私は思います。そこで「国」とは一体、何なのか、というあたりの議論をしてもよいような気がします。われわれは、「国」がそこに住む人間の利益を守るための「民主的な」共同体、機関であると何となく思っており、外国は彼らの利益を求めて、日本にあるわれわれの財産を侵しにくる場合があると思っています。確かに、物理的に国同士の交流が限られていた時代、帝国主義の時代はそうでしょう。しかし、現在はどうでしょうか。国同士は経済的結びつきが強くなり、戦争した方がはるかに損を被る場合の方が多いのです。戦争をして得をするのは、戦争ビジネスをやって火事場泥棒を働く一部の連中だけであり、国際企業の経済によるパワーが強大になっている現在、日本と戦争して、得をすると考えている「外国」はまずないでしょう。

加えて、この国の支配者層(政府官僚)は、大多数の国民を税金を巻あげ、放射能の危険に晒し、挙げ句に徴兵して戦争してカネ儲けを企む(と思われる)ような連中です。そもそも、日本の国の重要な政策は、民意を代表するとされている国会の議論を通じて民主的に決められてるのではなく、官僚と日米地位協定という戦後日本がアメリカの植民地であることを確認する条約に基づく委員会、日米合同委員会での合意によって決められます。即ち、日本は民主主義国家でもなければ、独立国でもなく、日本政府は国民を守るためではなく、国民を管理し利用するために存在しているということです。この現状をみれば「独立国の誇り」などというものは、全くの幻想にしか過ぎないと私は思います。

それでも戦後の自民党は日本が植民地であるという事実を目の前に突きつけられてたせいでしょう、今の首相に比べたらはるかにしたたかで賢かったと思います。むしろアメリカの属国として、名を捨て、実を取ってきた歴史があります。名を捨てることによって、世界第二位の経済大国に発展し、その間、平和と豊かさを実現し、国民総中流という高い教育と安全を享受してきました。逆に、身を捨てて名をとろうとしていれば、多分、本当に一億総玉砕でどちらも取れなかったでしょう。アベが、靖国に参拝しておいて「国連の常任理事国になりたい」とかいうのを聞くと私はとても恥ずかしくなります。戦後史を本当に理解していれば、そういうことは少しずつ、地道に実績を積み重ね、慎重な交渉を根気よく続けていくことでしか実現できるはずがないのは明らかです。国連は第二次大戦の戦勝国が作った組織、そこで日本が常任理事国になれないのはあたり前です。国際社会が日本は敗戦国であり、アメリカの属国であると認識しているからに他なりません。にもかかわらず、靖国参拝し、戦勝国の機関である国連の常任理事国の神経を逆撫でしておいて、常任国にしてくれ、というのは、いったいどういう神経なのか、と向こうは思っていることでしょう。本音のところ国連は日本がまた戦争を起こしたりしないように管理する組織ですから。
 本当に独立国として認めてもらいたいのであれば、地道な努力を続けて、まずは日米地位協定を改定しないと話になりません。日米がお互いの得になるような落としどころを見つけて立場の弱い日本の方から下手に出てじりじりと交渉していくしかありません。国連総会でのアベを見た諸外国は呆れ果てたでしょう。ひょっとしたら本人はなぜオバマからこれほど冷たくされるのかさえ分かっていないのかも知れません。

しかし、最大の問題は、アベというような勘違い男ではありません。日本の支配者層は、在日米軍を口実にした利権と現状を、「独立国の誇り」みたいな喰えないものとの交換に手放したい気はさらさら無いない、つまり彼らは「国を売って」彼らの利益にしてきたし、これからもそうし続けたいと考えているということでしょう。

話がずれました。

私は、9条がノーベル平和賞をもらうことには意義があると思います。世界の人々の9割は、多分「民主主義」は現在の政治形態の オプションの中では最適解であると考えていて、彼らの意思の総和が社会の形態を決めるべきだと思っているでしょう。勿論、支配者層はこういう考え方はしません。支配する側は、9割以上の一般人は、一部の支配者層によって支配され、搾取されるべき階層だと見なしているであろうと思います。

憲法9条がうたう非戦の誓いは、戦争が絶対悪であるが故に、絶対的に「正しい」ことだと私は考えているのです。絶対的に正しいことは最後にはprevailします。そういう考え方が9割の人々に広まること(たとえ、9条がアメリカ進駐軍からの日本の再軍備化を防ぐための方便として押し付けられたという事実を鑑みても)は私は好ましいと思います。その普通の9割の人々が平和の善と戦争の悪を心に刻むことによって、恐怖で人々を牧場の羊のように支配しようとする支配者層の目論みを頓挫させることにつながると私は望んでいます。
ノーベル平和賞はそうした「平和の尊さ」を広めるにの多少は役立つのではないか、と思うのです。
9条の経緯が欺瞞であっても良いではないですか。腹に一物を持って悪人が言う言葉でも正しいことはあります。

それに、だいたい独立国でもないのに「独立国の誇り」みたいな口車に乗せられて、戦争ビジネスのコマに使われて戦場に駆り出される必要もないでしょう。
コメント (3)
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