百醜千拙草

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大学の意義

2014-10-17 | Weblog
子供の大学進学に備えて、ちょっと早いですが、希望する大学のうちの一つの学校案内会に行ってきました。
私が大学生の時は、一旦、会社などへと就職すると定年までの過酷な労働の日々が待っているので、大学はその就職までの数年をモラトリアムの身分で遊んで過ごすための遊園地だと思われていました。確かに日本の場合は、終身雇用時代から企業は難関大学に合格することができる受験勉強を頑張れる人間を採用して、社員教育は社内で独自に行うシステムを採用していましたから、競争に打ち勝って有名大学に合格することは重視されても、大学での教育そのものはあてにしていない場合が殆どであっただろうと思います。だから大学は遊園地で良かったし、就職後に備えて学生は思う存分遊んでもらう必要があったのでしょう。勿論、その一方で、上昇志向の強い学生は、大学での成績にも細心の注意を払い、一流企業に入って出世街道を歩むために一生懸命勉強していました。
 私と言えば、大学の試験は通れば良いというレベルで試験前しか勉強しなかったので、大学の勉強が面白いと思えるようになったのは、最後の1 -2年ぐらいです。今から思えば、もっと早くから真面目にやっておくべきだったと後悔しています。ま、もう手遅れです。現在は病院付属の研究所にいるので、学生との接点は殆どありません。いろんな大学には足は踏み入れますが、授業を聞く訳でも学生さんと交流するわけでないので、今回、新入生むけの学校案内で、知らない大学の構内をウロウロしたのは、新鮮な経験でした。訪問者用の建物があり、そこには巨大なタッチスクリーンが設置されていて、大学の宣伝をしています。最初に大きな階段式の講堂で大学の宣伝ビデオを見て、担当の人(学生)との質疑応答があり、その後、小グループに別れて、構内のいろいろな施設を見学して回る二時間コースです。私が行った地方国立大の事務受付は、半分崩壊しつつあった木造のみずぼらしい建物にありました。それと比べると雲泥の差があります。
 大学は遊園地、という言葉の意味がわかるような気がしました。人が社会に貢献して、よりよい世界を作って行くために、創造力を鍛え、物事に熱中し、他の色々な人々と交流する経験を積むことはとても大切だと思います。そうした技術を学び、物事を俯瞰的に眺めて考えることは、忙しい毎日のルーティンの中では難しいです。大学はキャンパスという遊園地で、学生はその空間の中で、様々な刺激的で面白いことに遭遇するチャンスを与えられるわけです。Robert Fulghum のエッセイで、「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」というのがありますが、人は、このような「生きるための毎日の活動」を離れた場所で時間を過ごすことを通じて、大切なものを学び、創造力を育むのだろうと思いました。大学はそのような「遊園地」的な場所でなければならないのでしょう。そう考えると、この大学、マトモに払えば年間500万円ほどの授業料と寮費がかかりますが、実はそれだけの値段に値するサービスを提供しているとも思えます。ディズニーランドに正規料金で毎日通えば、年間、同じ位の費用はかかるでしょうし。

やる気のある人間は、どんな環境からも学び成長するでしょうから、私は大学に行くことがそれほど重要だとは思いません。しかし、私にとって、大学での数年というのは、資格をとるのに必要であったという実利的な理由以上に、大変有意義なものであった(当時は、よくわからなかったのですが)と思います。子供にもそういう機会を与えてやりたいとは思います。しかし年間500万円はとても払えませんから、なんとか奨学金を集めてもらうなり、別の安価な大学を考えるなりしてもらわなければなりません。(本人次第ですね)大学側も優秀でやる気のある学生を集めたいので、優秀であれば様々な方法で支援が受けれます。逆に言えば、奨学金が取れないような学生に対しては、大学側は授業料を払えるのなら来てもよいという態度なのだと思います。結果、優秀であればあるほどよい教育が安く受けられる一方、そうでない学生は高い授業料を払わされる上に教育の質も劣るということになるのでしょう。
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