百醜千拙草

何とかやっています

Ask and thou shalt receive

2014-10-24 | Weblog
そろそろグラントの結果が発表になります。結構おもしろいデータが出てきているので、研究を継続するのにこのグラントは重要です。グラントの審査の結果で、研究方針も場合によっては私の転職も考えないていけません。いまさら心配したところで結果がかわるわけではないので心配するだけムダなのですが、それでも人間ですからどうしても気にはなります。

ただ、年を経るごとに確信するようになったことがあります。
私は無宗教ですので、「神」という言葉のかわりに「ユニバース」と平静は呼んでいますが、ユニバースは私に必要なものは必ず与えてくれるということです。人は、この不自由な世の中で経験を積んで、何かを学ぶために生きていると思います。人生は学校であるという言明ほど私にはしっくり来る喩えはありません。授業は退屈であったり、面白かったりします。休み時間やお昼の時間は総じて楽しいです。いじめたりいじめられたりします。勉強しないとテストの点が下がって、親に怒られたり、友達にバカにされたりします。学校を卒業してもわれわれの人生、死ぬまで学校で起こったと同じようなことが起こり続けます。幼稚園、小学校、中学校、高校から大学へと長年かけて、知識を学び人間として成熟していくのと同じく、退屈な授業やテストを数多く経て、人は成長していくのだろうと思います。われわれが学びに必要なものは学校が揃えてくれるのと同じく、人生においてわれわれに必要なものはユニバースが揃えてくれる、そんなことを年を経るに従って実感するようになりました。

この数年、グラントの資金に給料も研究も全てが依存するような環境で、グラントを失えば、職も収入もなくなり、論文を出せなければグラントも当たらない、という零細企業の自転車操業的生活で、プレッシャーを感じることが多かったです。(本当の零細企業経営はもっとシビアでしょうけれども)しかし、私に限らず、誰でも一寸先は闇です。しかし、一寸先は闇だからと言って夢を見ることを止めて歩むのを止めてしまっては、どこにも行けません。明日も陽は昇り、そしてあたかも広々とした道が将来の成功に向けて続いていると思って、今日一日を充実して過ごしていくべきだとあらためて思います。

どう考えた所で、一寸先が闇であることにはかわりはありません。希望にあふれて勢いよくドアを開けて一歩を踏み出したら崖に落ちるのかも知れません。しかし一歩先は崖かも知れないと思って恐る恐る歩いてもやっぱり同じように崖から落ちるかも知れないのです。どうせ崖から落ちるなら、明るく笑って落ちていきたいです。人間はいつかこの世から去る日がやってきますから、死ぬ間際まで笑って楽しく過ごしたいものです。同じように人生は今日で終わるかも知れないからこそ、明日への希望を胸に今日一日を充実して生きるべきだと思います。そして、幸い、明日が訪れて新しい今日が始まるのならば、与えられた今日に感謝して、さらに力強くもう一歩を踏み出していかねばならないのだと思います。

学校と同じく、人生でも授業に必要なものは与えられるようになっているようです。もし必要なものが見当たらないなら「ユニバース」という先生にお願いすれば先生が持ってきてくれます。それが「求めよ、さらば与えられん」ということらしいです。(ただし、授業に必要でないものは求めても与えらるとは限りません)

いずれにしても必要なものが与えられないことはない思って、心静かに今日のことに集中したいと思います。
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