内部のポスドク向けのフェローシップの審査の担当分、ようやく終わりました。結局2ラウンド合計35本ぐらい読んで、コメントを書いてランクを付けることになりましたが、思ったより大変でした。数年前に引き位受けた時も量的には大変でしたが、ランク付けは比較的スムーズにいった記憶があり、私の評価と他の審査員の評価も比較的よく一致していたので、応募内容の評価は難しくはないだろうと思っていたのが、すっかり裏切られました。
私がボケてきたという可能性も否定はできませんけど、この数年で研究のトレンドが変わったのがその理由ではないかと思います。思うに5年-10年前のグラントは比較的単純な構造をしていました。
なんらかの科学的疑問があって、それに対して答えを見つける、という形のものが大勢で、そのために中心となる仮説を立て、その仮説(が正しいこと)を証明するための具体的な方法を提案するという形です。その頃は、科学的疑問の重要性と将来性、仮説の妥当性、提案されている方法で質の良い解答を得られる確率、などを評価し、応募者の実績を見て点数をつけていけばよかったので、分野が違っていても共通の判断基準を適用すれば、一致した評価を得るのは簡単だったと思います。
しかるに、今回のは、このような判断基準が単純に適用できず、結局は応募者の実績が最終的な判断に最も大きく影響したように思います。というのは、半数以上がtranslational projectであったからです。この手の応用研究的プロジェクトは、科学的疑問に答えるというよりは、基礎研究の成果を特定の臨床上の問題に応用することが目的の技術開発や工学的な研究になります。私はそもそも工学系のグラントや論文の評価に慣れていませんから、仮説の証明がゴールではなく、なんらかの目的に沿うものを作り出すのがゴールとなるようなグラントは戸惑います。これらのゴールの異なる生物系のグラントと工学系のグラントが混じり、しかも分野も様々で、基礎系、臨床系が混じっているものを、評価してランク付けするというのがそもそも無理があります。それで、今回の審査では、フェローシップであるという点も鑑みて、プロジェクトの内容より、応募者の実績と将来性を重視するという方針にしました。それでも総合点で評価すると極めて標準偏差の小さい分布となり、ごくわずかな点数の差で順位が大きく入れ替わるような評価となりました。多分、このような状況は一般のグラントにも当てはまるだろうと想像します。つまり、プロジェクトの内容や方向性が多様となり、一定の審査基準というものが審査員に共有されていないという状況になってきているのではないでしょうか。多様性は喜ばしいことですけど、逆に言えば、それは、分野の方向性を決定するような強い牽引点や技術というものがなくなってきた、つまり行き詰まりの状況を示しているとも解釈できます。Tranlational Researchの方向に流れるのもそういう理由ではないかな、と想像します。もちろん、世界中で「基礎研究は一定の成果をあげたから今度はそれを応用しよう」というような考えが強くなってきたというトレンドはあります。また一方、各分野での強い牽引点を失いつつある現況で、研究をjustifyする最も有効な手段は「実際に役に立つ」ことを示すことです。これが世界的に起こっていますから、もういくら毎年ノーベル賞受賞者が基礎研究の重要性を強調しようと、この流れは変えることはできません。この流れは次の行き詰まり点まで加速していくだろうと想像します。そして、こういう「流れ」こそが研究を進める原動力になっています。研究者の立場から言えば、この流れを無視していては廃業ですから、私も研究の方向を変えようとしています。(ま、それはそれでそれなりに楽しいので、いいのですけどね)
大切なのは、流れに竿して流されず、かと言って流れに逆らって力尽きることでもなく、ヨットの操縦のように流れを読みながら自分のやりたいことを実現していく能動性ではないだろうか、と思った次第です。
私がボケてきたという可能性も否定はできませんけど、この数年で研究のトレンドが変わったのがその理由ではないかと思います。思うに5年-10年前のグラントは比較的単純な構造をしていました。
なんらかの科学的疑問があって、それに対して答えを見つける、という形のものが大勢で、そのために中心となる仮説を立て、その仮説(が正しいこと)を証明するための具体的な方法を提案するという形です。その頃は、科学的疑問の重要性と将来性、仮説の妥当性、提案されている方法で質の良い解答を得られる確率、などを評価し、応募者の実績を見て点数をつけていけばよかったので、分野が違っていても共通の判断基準を適用すれば、一致した評価を得るのは簡単だったと思います。
しかるに、今回のは、このような判断基準が単純に適用できず、結局は応募者の実績が最終的な判断に最も大きく影響したように思います。というのは、半数以上がtranslational projectであったからです。この手の応用研究的プロジェクトは、科学的疑問に答えるというよりは、基礎研究の成果を特定の臨床上の問題に応用することが目的の技術開発や工学的な研究になります。私はそもそも工学系のグラントや論文の評価に慣れていませんから、仮説の証明がゴールではなく、なんらかの目的に沿うものを作り出すのがゴールとなるようなグラントは戸惑います。これらのゴールの異なる生物系のグラントと工学系のグラントが混じり、しかも分野も様々で、基礎系、臨床系が混じっているものを、評価してランク付けするというのがそもそも無理があります。それで、今回の審査では、フェローシップであるという点も鑑みて、プロジェクトの内容より、応募者の実績と将来性を重視するという方針にしました。それでも総合点で評価すると極めて標準偏差の小さい分布となり、ごくわずかな点数の差で順位が大きく入れ替わるような評価となりました。多分、このような状況は一般のグラントにも当てはまるだろうと想像します。つまり、プロジェクトの内容や方向性が多様となり、一定の審査基準というものが審査員に共有されていないという状況になってきているのではないでしょうか。多様性は喜ばしいことですけど、逆に言えば、それは、分野の方向性を決定するような強い牽引点や技術というものがなくなってきた、つまり行き詰まりの状況を示しているとも解釈できます。Tranlational Researchの方向に流れるのもそういう理由ではないかな、と想像します。もちろん、世界中で「基礎研究は一定の成果をあげたから今度はそれを応用しよう」というような考えが強くなってきたというトレンドはあります。また一方、各分野での強い牽引点を失いつつある現況で、研究をjustifyする最も有効な手段は「実際に役に立つ」ことを示すことです。これが世界的に起こっていますから、もういくら毎年ノーベル賞受賞者が基礎研究の重要性を強調しようと、この流れは変えることはできません。この流れは次の行き詰まり点まで加速していくだろうと想像します。そして、こういう「流れ」こそが研究を進める原動力になっています。研究者の立場から言えば、この流れを無視していては廃業ですから、私も研究の方向を変えようとしています。(ま、それはそれでそれなりに楽しいので、いいのですけどね)
大切なのは、流れに竿して流されず、かと言って流れに逆らって力尽きることでもなく、ヨットの操縦のように流れを読みながら自分のやりたいことを実現していく能動性ではないだろうか、と思った次第です。