百醜千拙草

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動物実験廃止への動機

2021-12-10 | Weblog
12月2日号のNature front pageのCorrespondence のカラムで、EUの立法的部門であるEuropean Parliamentのニュースに関して科学研究における動物実験の最小化、廃止を訴える記事を目にしました。

「、、、9月には、欧州議会のメンバーが、必要のない動物実験をできるだけ早く廃止するために、タイムテーブルに裏付けられたEU全体の行動を要求した。この課題に取り組むには、科学界の並々ならぬ努力と献身的なコミュニケーションが必要である。ワクチン接種、行動生物学、移植手術など、生物医学やトランスレーショナルリサーチの多くの側面が動物実験に依存しており、動物実験からの切り替えに消極的な研究者を克服するためには、科学コミュニティが代替手段の考案に参加する必要がある。、、、」

と、動物実験の代替手段の開発を勧める論調です。しかし、そんなものが簡単にできるのなら、誰も動物実験などしません。現在の技術レベルだと、人工的なオーガノイドなどは、ごくごく限られた用途にしか使えず、実験動物の変わりに使えるレベルには、おそらく永久に達しないだろうと私は思っています。生理学的あるいは病理学的な研究なら動物実験なしで説得力のある結論を得るのは困難であり、また説得力のある結論を得てインパクトのある論文を書かないと研究者としては生き残れないとなれば、現状では簡単に動物実験をやめるわけにはいかないでしょう。

とはいうものの、私も動物実験はすべきではないと考えるようになり、現在のプロジェクトにカタをつけた後は動物実験はしないつもりです。これは人間の我欲のための地球環境の破壊はすべきではないと思う私の子供のころからの価値観的なものの延長なのかも知れません。三つ子の魂なんとやらで、人間というものは簡単には変わらないものだと実感しています。

ところで、EUの動物実験抑制への取り組みは古く、この記事のもとになったEuropean Parliament の記事(MEPs demand EU action plan to end the use of animals in research and testing) から、化粧品成分のテストを動物で行うことはEUでは2009年から禁止されていることを知りました。一方で、EUが最終的に動物実験の廃止を目指しながら、現状では、2017年には1200万頭の動物がムダに殺されているという現実があり、この目標と現実との乖離がこの度の声明に繋がった模様です。

産業革命以来、物質的繁栄を求めて科学技術の発展を「良いこと」として人類は努力を続け、大変な量の質の知を蓄積しました。その努力には純粋に感動しますけど、一方で、その裏には動物実験や人体実験をはじめとして、無数のさまざまな犠牲がありました。それらを差し引きすると、トントンどころかマイナスでさえないか、と私は密かに思っております。科学技術の発展は良いこともありますが、それと同じぐらい悪いことも作り出し、そのうちのいくつかは取り返しのつかないレベルに達し、地球環境をそこに住むものに適さないような状態に変えようとしています。

これは私の予感にすぎませんけど、遠からず科学技術の発達は何らかの形でピークを迎えて、徐々に衰退していくのではないだろうかと思います。科学技術発展へのモチベーションは何か誰かに役に立つものを作って(金儲けをしたい)という動機が大きいと思います。純粋に学問的興味だけでやっている分には害は少ないと思いますけど、資本主義社会の「豊かさ(つまりカネ)」への追求への強い欲と結びついた科学技術開発の努力が現代の地球規模の問題を作り出してきたといっても過言ではないでしょう。そもそも目標に向かってひたすら努力するやりかたは人間を近視的にし、他を思いやる余裕をなくさせて、長期的に世界に害をおよぼすバランスの悪い状態を生み出します。

動物実験の規制の強化は、これまでのような人間の行き過ぎた利己的活動に対する反動の前触れでなのかも知れません。このEUが主導する動物実験廃止への動きは動物福祉、すなわち動物への思いやりの心に基づいています。つまり、これまでは「自然は人間の幸福のために利用する存在である」との狭い考えであったのが、他の生物へと意識が拡大した結果であり、人間の精神の成長の結果とも言えます。大義のために我欲を我慢することができるのが大人ですから、これが人間の成長なのであれば、人間の不便と引き換えにしても、こうした考えは徐々に徐々に世界に広がっていくでしょう。

多分、アメリカで奴隷制度が廃止された時と同様に、イデオロジカルな動機によって動物実験も遠からず(と言っても50年ぐらいはかかるでしょうけど)廃止にいたると私は想像しています。そして、100年もすれば人間は自然ではなく自らの欲の方をよくコントロールすることを覚え、科学技術の発展への情熱も冷めているのではないだろうか、と想像します。科学技術の発展が人々に幸福をもたらす以上に地球や地球に生きるものに害を及ぼすのであれば、将来的に科学技術は衰退するだろうと思いますし、それは多分人類の長期的な成長において望ましいことなのでしょう。
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