百醜千拙草

何とかやっています

戦争法

2022-03-07 | Weblog
今回、ロシア軍がウクライナの原発施設を攻撃したというニュースが流れています。ロシア側はウクライナの自作自演だと主張。ロシア軍は電力供給を奪い、兵糧攻めにする計画なのか、あるいはロシアのいうように、ロシアへの国際的非難を高めるためのウクライナの芝居なのか、ニュースからはよく判断はつきませんけど、総合的に考えて前者だろうとは思います。

原発の攻撃は「戦争法(戦時国際法)違反」であると非難が多く見られます。法律は人々、団体、社会などの間でのコンフリクトを軽減するために上位に設けられているものだと思いますし、それを守るための強いの強制力や罰則がなけれ法律違反を抑制する効果は乏しいでしょう。強制力のない場合に法は確信犯には意味がないです。

現代の戦争において戦争法に違反した際の罰則は経済制裁しかありません。しかし、対立する側と経済圏で独立している場合であるとか、経済制裁を罰とも思わないような独裁者なら、効果は薄いでしょう。

そもそも、戦争法とか国際法という言葉に違和感を感じるのは、戦争は、直接暴力によって相手を屈服させるために行われる無法なものであり、この法が無法なものに関する法であるという理由でしょう。勝ったものが正しいのが戦争というものですし。

しかし、戦争は無法に行われるわけでも、不条理でもありません。仕掛ける方は、論理に基づく大義をもって戦争の必要について、兵士や国民を説得する必要があります。一定の手続きを踏み、段階を踏んで、暴力の行使に至るのですから、本来、長期的それから短期的目的に見合うような戦争のやり方を選択するはずです。とすると、戦争のやり方そのものは、戦争の大義とは別に、「誤ったやり方」があり、それを法として明らかにしておくことは意義があります。

ちょっと調べてみると、古代から戦争のやり方にはいろいろ決まりがあったようです。思うに、昔から戦争は何らかの問題を解決するための直接的方策であったわけで、その解決によって戦争を仕掛けた方に大きな損害が及ぶようなやり方では意味がないと考えたからでしょう。

Wikiによると、例えばユダヤのトーラーには、戦争でやってはいけないことなどが決められていたようです。例えば、戦争で木を伐採しないといけない場合でも、実のなる木は切ってはならない、とあるそうです。多分、戦争に勝ってその土地を手に入れもそれを荒廃させてしまったのでは意味が乏しいからだったのでしょう。他にも、いろいろと戦争においての制限があって、それは戦争を仕掛ける側が、自らに対して課すルールであったようです。こうした歴史的な戦争の目的を振り返ると、原発への攻撃はやってはならないことであると戦争法で定められている理由も明らかです。

ですので、ロシアの原発への攻撃が本当であったとして、戦争法を無視し、本来の戦争によって達成する目的から外れた行いに手を出してしまうことの意味は重大です。これは、追い詰められたプーチンが正気を失いつつあるという読みに合致します。そうではなく、もしKGBスパイ出身のプーチンが正気でやっているのなら、さらに危険であると思います。

戦争という無法手段に頼るということは、国際的な意見に反する行為、最後の手段をあえて選んだというわけですから、勝ってはじめてトントンの収支、負けるか引き分けならば、おそらく先に手を出した側のその責任者は重罰を受けることによってダメージの軽減を図るしかなくなると思います。とすると、プーチンは精神的に相当、追い詰められて、勝つためには手段を選ばない、というレベルに達している可能性は想像できます。

キエフの早期掌握に失敗したプーチンは、すでに、どういう形であれこの戦争が終わったらタダではすみますまい。というよりも、プーチンの失脚か急死以外にこの泥沼化しつつある戦争が終結するシナリオが見えません。ひょっとしたら、プーチンは、すでに拳銃自殺したヒトラーに自らを重ね合わせているのかも知れません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする